2009年11月01日

みんなどこ行ったんだろう さっきの分かれ道で分かれた組とはもう会えないのかな

私たちはよく「自信がない」とか、「自信を持ちなさい」と言いますが、自信を持つということはどんなことなのでしょうか。 分かっているようで分からないことかも知れません。 

  辞書を引いたら「自信」とは、

自分自身の価値や能力を信ずること
自分で自分の言動や主義を疑わないこと

 と、ありました。

  もっと分かりやすく言えば、「自信」とは「自分で自分を頼りにすることができること」、「自分の命を自分に預けられること」と言ってもよいと思います。 自分で自分を頼れるからこそ、自分のすることに不安を持つことがない、あるいは不安があってもそれを乗り越えて進むことができるのだと思います。 自分で自分の命を自分に預けられるからこそ、不安もなくなるのではないでしょうか。 

  自分で自分を頼れなければ、なにをしても不安しか持てないし、その不安を払拭することもできなくなります。 不安しか持てなければ、なにをしても億劫だし、ましてや積極的に考えることもできず、ますます自分を頼れなくなって当然ではないでしょうか。 この世の中で唯一頼りにすることができるものは、自分しかいないと思います。 それなのにその自分を頼れないのですから、なにもできず、なにも信じられなくなるのです。 相手に依存はしても、自分を信ずることができなくなるのだと思います。 「頼ること」と「依存すること」は似ているようでも、正反対のことではないでしょうか。 自分の心の底では信ずることのできないものに依存しているから、なにもかも信じられなくなるのだと思います。 相手に依存している限りは、自分に自信を持つことはできないのです。 この悪循環を断ち切るためには、やっぱり決断しかないと思います。

  相手に依存しなければ自分を頼りにするしかなくなるので、なにごとも自分でするようになり、自然に自信が湧いてくるのです。 自分で決断し、行動しなければならなくなるからです。 繰り返しになりますが、自信はつけるものでもなく、生まれつき具わっているものでもなく、経験と努力によって身につけていくものだと思います。 相手に依存することさえ止めようと決断できれば、そのときから自信が湧いてくると思います。 依存を止めよと決断したこと自体に勇気が必要だからです。 自信がつくということは、このことの成功と挫折の繰り返しでもあると言えます。 「自信がない」ということは、自分で自分を頼れないことであり、なぜ自分で自分を頼れないかというと、それでも自分の生活を支えてくれるひとがいるからではないでしょうか。 自分で自分を頼れないというよりも、自分で自分を頼ろうとしないのです。 すなわちだれかに依存して生きているということです。 相手を信頼して生きていくことは必要ですが、相手に依存して生きていくことは自信の喪失につながるだけです。 このことをしっかりと胸に刻みつけておきたいと思います。


  自分が相手(家族であったり、友人であったり、上司であったり、同僚であったり)にどれだけ依存しているかが、自信の有無のバロメーターでしょう。 依存心が少なくなれば、それだけ自信がついてきた証拠です。 自信は自信を呼び込むはずです。 このことは自分の周りをみれば分かるのではないでしょうか。 自信のないひとはどんな生き方をしているのか、相手の顔色をどれほど気にしているのか。  だから自信のないひとは、おどおどしているのです。 相手に依存しているから、おどおどしているのです。 相手の気まぐれで考えが変われば、自分の生き方は危機にさらされるからです。 相手の気まぐれで自分の生き方が、その都度危機にさらされてしまうのです。  相手を信頼しているひとの顔は、おどおどしていますか。 自信のあるひとはいい顔をしていますよ。 他人の気まぐれによって、自分の生き方が左右されることがないからです。 自分で自分を頼っていて、相手に依存していないからです。

  なぜ自分は他のひとよりも、相手に依存する生き方をするようになったのか、そのことが問題だと思います。 それは幼いときからの親のしつけや教育に原因があるのではないでしょうか。 俗に言えば、甘やかされて育ったということです。 自分で決断しないで親の決定に従って生きることは、とっても楽なことですから。 自分で決断しなければ、責任は相手に押しつけることができますから。

  大変難しいことですが、自信をつけるためには「相手に依存しないこと」。 これしかないと思っています。



  自分で自分の命を自分に預けられるからこそ、不安がなくなるのではないでしょうか。 たとえ不安があっても、決断を下せるのだと思います。 最後には自分を頼ることができるからです。 自分の命を自分に預けることができないひと(最期には自分を頼ることのできない人)は、たとえ相手を信じていなくても自分の命を相手に預けなければならなくなるのです。 相手を信じられなくても自分を相手に預けざるを得ないから、ますます不安がつのってくるのです。 ここに自分を信じられないひとの不幸があるのです。 相手に自分がどのように扱われるか不安だから、いつも相手の行動を監視したり、相手にまとわりついて自分の心の葛藤を払拭しようとするのだと言えます。 「自信のない人は他人に依存せざるを得なくなる」ということは、こういうことではないでしょうか。 小さな子供を見ていると、よく分かると思います。 何事も決断できない人は、何事においても自分を頼ることのできない人のことです。  自分は自分の命を自分に預けているのだろうかと問い直してはどうでしょうか。 自分の命をだれに預けているのだろうかと。 自分の命をだれに預けるかを決めるのは、あなたなのです。 他のだれかが決めてくれるわけではないのです。 自分が決めなければならないのです。





こないだテレビの中で酒井法子がアフリカの難民キャンプにポツンと座っているのをみたあれはなんだったのだろう口をあけてその周りをハエが飛び回ってでもあれは確かに酒井法子だった ビクトリー美少女ガールズ すみません、手相をみせてもらえませんか?若葉はいった若葉はボサボサの頭とこれがはじまりアタシタチは布団よ、そして布団は夢なのそれを聞いた時美奈子はこの世には現実の対局にもうひとつの世界があって、そしてこの世にあるものともうひとつの世界にあるものはなんの脈略もなくしかし整然と対応しているのだと思った アタシタチはチンポがないから自分の中にもどれないの永久にそう永久によ私たちのことを描いた絵画があるの 喫煙所でポンプの話大盛り上がりところがどっこい余計なタービンがついてた爆笑一日中文字を書き続ける自動書記 タイトル「濃霧」8面真っ白い部屋右手前隅に石の写真 マリファナ吸いながらアニメを鑑賞するサークル「ガニメデ」を作ろうぜ新興宗教の勧誘のおばさんってなんでみんなサンバイザーかぶってるの中川さんに4000円貸し翔くんに1000円貸し奈良に本貸してる濱ちゃんにロジカルシンキング
posted by tuto at 18:54| 東京 晴れ| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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