弁護士エイブラハム・リンカーン
皆さんがよく知っている、アメリカ合衆国の第16代大統領エイブラハム・リンカーン大統領(1909〜1965年)を取り上げます。リンカーン大統領は、ゲティスバーグの演説、南北戦争時の大統領、奴隷解放宣言、さらには南北戦争が終了した5日後に射殺された大統領として知られています。しかし、政界に入る前、23年間も弁護士として活躍し、高く評価されてもいました。
ここでは、駆け出しの頃のリンカーンの名を世にとどろかせることになった、といわれている、ある殺人事件公判の1場面を紹介してみたいと思います。「事実は小説より奇なり」と言いますが、まさにそのとおりです。
その事件は18××年8月9日の夜に起こった。キリスト教のある教派の野外集会で、ロックウッド氏が射殺されたのだ。犯人は、グレイソンだという。グレイソンは、善良な人としても知られており、無実だと主張している。ところが、その殺人現場に居合わせたソーヴィン氏は、「グレイソンがロックウッド氏を狙撃し逃走するのを見た」と言っているのだ。人々は、この証言には信憑性があり、犯人はグレイソンに違いないと思っていた。
グレイソンの母親は、殺人罪で起訴された息子を何とか助けたいと、熟達した弁護士に息子の弁護人になってくれるよう依頼したが断られ、しかたなく駆け出しの弁護士リンカーンに弁護を頼むことになった。
殺人事件の審理が開始され、まず陪審の選定手続が行われた。裁判官・弁護人・検察官は、多くの陪審員候補者のなかから陪審員12人を選定する。弁護人と検察官は、取り決めた一定の人数の範囲内で、何ら理由を示さずに陪審員候補者が陪審の任務に就くことを拒否できることになっている。しかし、リンカーンはどの陪審員候補者に対しても拒否するとは言わなかった。検察官が被告人の殺人犯だと断定する冒頭陳述を行っても、これに対してリンカーンはただ無罪を主張するのみ。検察側が次々に出してくるの証人に対しても、反対尋問すらしない。
「リンカーンさん、なぜ、なぜ反論しないの!」 傍聴席に座っている母親は心のなかで叫んだ。そして、両手で顔を覆い、駆け出しの弁護士を当てにしたことを悔やんだ。しかし、傍聴席に大勢詰めかけていた人々は満足げであった。自分たちが想像したとおりの成り行きに、「当然だ」という顔をしていた。
検察側は、最後の証人を出してきた。切り札のソーヴィン氏である。大勢の傍聴人が見守るなか、ソーヴィン氏は証人席につき、検察官の主尋問が始まった。
検察官 − あなたは、ロックウッド氏と被告人(グレイソン)を知っていますか?
ソーヴィン − よく知っています。
検察官 − それでは、あなたが今月(8月)の9日午後10時に、この2人を見たときのことを話してください。
ソーヴィン − その晩、わたしはロックウッド氏さんと一緒にいたのですが、ロックウッドさんと別れた直後に、このグレイソンがロックウッドさんめがけて銃弾を発射したんです。この男は、ロックウッドさんを撃った後、すぐにそこから走り去りました。自分がロックウッド氏にかけより、抱き起こしたときには、すでに息絶えていたのです。
検察官 − ソーヴィンさん、ありかとうございます。以上で、主尋問を終わります。
もうグレイソンの有罪は確定的だ。誰もがそう思った。そのときである。若く背の高い弁護士(リンカーン)がやおら立ち上がり、証人をじっと見つめ、反対尋問を始めた。
リンカーン − それでは、私の方から質問します。いいですか、ソーヴィンさん。
つまり、あなたは、その直前までロックウッドさんと一緒にいて、それで撃たれるところを見たとおっしゃるのですね?
ソーヴィン − そうです。
リンカーン − あなたは、2人のすぐ近くに立っていたんですね?
ソーヴィン − いいえ、2人からは20フィート(約6メートル)ほど離れていました。
リンカーン − 10フィート(約3メートル)だったんじゃありませんか?
ソーヴィン − いや、20フィートか、あるいはそれ以上離れていました。
リンカーン − 殺人現場は、広々とした野原ですか?
ソーヴィン − いいえ、林のなかです。
リンカーン − 何の木の林ですか?
ソーヴィン − ブナの林です。
リンカーン − 8月なら、ブナの木の葉っぱは、かなり茂っていましたよね?
ソーヴィン − かなり。
リンカーン − ところで、このピストルが殺人に使われたものだと思われるんですね?
ソーヴィン そうです。
リンカーン 被告人が撃つところが見えたというですね。銃身をどんなふうにかまえていたか、なんてことすべてが・・・?
ソーヴィン そうです。
リンカーン 殺人現場は、集会場の近くですか?
ソーヴィン 4分の3マイル(約1.2キロメートル)離れたところです。
リンカーン どこかに、あかりは点いていましたか?
ソーヴィン 集会場の牧師席の脇に点いていました。
リンカーン 4分の3マイル離れたところに?
ソーヴィン そうです! 前に言ったじゃないですか。
リンカーン ところで、あなたは、その現場で、ロックウッドさんか被告人かが、火の点った蝋燭を持っているのを見ませんでしたか?
ソーヴィン いいえ! なんでまた蝋燭の火が要るんですか。
リンカーン では、どうして狙撃のようすが見えたんです?
ソーヴィン 月明かりで、です!
リンカーン 夜の10時だというのに狙撃のようすが見えたというんですね。それも、あかりの点っている場所から4分の3マイル離れたブナの林のなかで見たんですね。ピストルの銃身も見えたんですね。被告人が発射するところも。月明かりだけで、全部見えたんですか?集会場のあかりが点っているところから4分の3マイル離れていて、見えたんですか?
ソーヴィン そうです! 前にも言ったでしょ。
人々は興奮していた。2人の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、傍聴席から身を乗り出していたのである。すると、リンカーンは上着のポケットから青い表紙の暦を取り出し、おもむろにあるぺージを開き、証拠とするよう求めて、陪審と裁判官にこれを示した。そして、その1ページのある箇所をゆっくりと読み上げた。
リンカーン 8月9日の夜に、月は見られず。翌日午前1時に、月は昇る。
リンカーンは、畳みかけて、力強く言った。
リンカーン ソーヴィンさん! あなた、自分にかかる嫌疑を振り払うために、無関係の人を犯人に仕立てようと、偽証してるんでしょ! 真犯人はあなたですよ。裁判官、この男の逮捕を要求します。
お見事ですね。でも、ちょっと話が出来過ぎているような気もします。実は、この事件は弁護士リンカーンが駆け出しの頃に手がけたものではなく、弁護士として最後に(政界入り前後のことで、政治活動を一時中断して、親友の息子の命を救うために)引き受けたものだということです。そして、被告人の名はグレイソンではなくウィリアム・アームストロングであり、ロックウッドではなくジェイムズ・メッツガー殺しの容疑で、1858年8月29日に裁判にかけられたそうです。しかし、こんな噂話もあるらしいですよ。証人が真犯人だと確信していたリンカーンは、その年の暦を出して見せたのではなく、古いものを見せたのではないか、というものです。
さて、みなさんはどう思いますか。この話に興味をもたれた方は、ウェルマン(林勝郎訳)『反対尋問の技術(上)』(1973、青甲社)64ページ以下、早川武夫『法律英語の常識』(1962、日本評論社)78ページ以下を本学の図書館で是非お読みいただきたいと思います。
http://web-consultants.jp/blog/kii/2009/01/post-14.html
今日は、Webコンサルタント.jpの紀井でございます。
最近読んだ書籍の文中に、リンカーンの反対尋問の引用があり、私的な観点ですが面白いと感じましたので、ご紹介いたします。
反対尋問とは何ぞや?とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単にご説明いたしますと、裁判でこちらが召還する証人や被告人に対する法廷での尋問である主尋問と、相手方がその証人や被告人に対して行う尋問が反対尋問といわれているそうです。(「そうです」と記載したのは、私には法律に関する知識が乏く、読んだ書籍に記載されていた内容を抜粋しただけで、説明根拠がそろえられていない為)
また、リンカーンはアメリカ合衆国の大統領をする前は弁護士をされていたようです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、先の説明からすると反対尋問は主尋問での間違い・勘違い・嘘を指摘して証言内容を正しい方向へ導く為の機会だと言う事になります。
別の角度から見ると、主尋問を行う側は反対尋問時に誘導尋問よろしく、自分達の不利益に繋がるような証言をしてしまわないように身構えてしまうと書籍にはありました。
前述から敵意むき出しな証人に対して反対尋問を行う際、リンカーンがとった手法というのが、「退路を無くす為に外堀を埋めて、最後に決定的な証拠を突き出す」といったものでした。
あなたは事件現場を目撃し、犯人を見たのですよね?事件当時は、夜でしたか?何故夜なのに見えたのですか?周りに外灯はありましたか?などと次々に質問を浴びせかけ、証人が発言した内容と一致しない「事実」を証拠提出したのです。
今回の引用からは、証人が月明かりで見えていたと証言していたので、犯行時刻に月が出ていない事を立証する新聞の記事を提出したそうです。
反対尋問側であるリンカーンは、「もし、自分自身が証人側で、反対尋問に対して誘導尋問されないぞ!って意識を持っていると仮定した時、どのような言い逃れをするか。」を予測したそうです。
つまり、証人が逃げていく方向(質問の穴)を予測し、その穴を埋めていくわけです。
これには、プログラミング時も同じ事がいえます。
理想の結果を作り上げる為に、もし、こうすれば?こうやったらどうなる?どういう部分に気をつければ間違いを起こさないか?
ありとあらゆる状況を予測して、実行テストを行ったり、プログラミング時に機能を追加したりします。
共通していえる事は、相手側の立場で考え、穴を発見し、それを埋めていく作業だと思います。
社会人スキルとして必要なものって、やはりどのシーンでも役に立つんだなと、そんな風に考えさせられた一瞬でした。
では、本日はこれにて失礼いたします。
http://blog.livedoor.jp/yutethebeaute999/archives/50145225.html
ホリエモンの公判、特に被告人質問の記事を読むとニッポンの検察のお粗末さに涙が出てくる。イギリスの法廷弁護士の格言に、
「検察側は勝利せず、敗北もしない」
というものがある。検察の役目は裁判を通じた真実の探求の一助となることであり、そこに裁判の結果に対する意図を有する必要は無いからだ。
そんわけで(どんなわけだ?)、イギリスでの経験をまとめた3年前の文章です。
先日深夜番組を眺めていたところ、馬鹿話主体のトークショーが私の興味を引いた。テーマは「女の子の口説き方」と、馬鹿馬鹿しいながら切実なものだったのだが、その道の「エキスパート」なる男性が話をしていた。たしかにものすごい話術でもなければ異性に相手にしてもらえないような御仁だったが、かれのアドバイスのひとつが、デートでの禁句は「私と付き合ってください」だ、ということだった。つまり相手に対しYesかNoの判断を迫ることは禁物だということだった。
なぜこれが私の興味を引いたかというと、これは私の法廷弁護士修行時代に反対尋問のやり方で教わったことに通じていたからだ。
法廷弁護士として試験に合格し、資格を取得した後も法廷弁論の技術向上は私にとって大きな課題だった。そこで所属するミドル・テンプル法学院が主催した実地研修中の見習い法廷弁護士(pupil barrister)を対象にした法廷弁論講座の話を聞いたとき、私は真っ先に参加することにした。
講座の責任者はミドル・テンプルの幹部(Masterと呼ばれる)重鎮の一人であり、ユダヤ系法廷弁護士界の大物で、ベテラン法廷弁護士のMichael Sherrard氏だった。氏は冤罪の可能性が高いとして有名なHanratty事件の弁護を担当した人物として有名で、その折にクライアントを廃止される前の死刑判決に失った無念さからか、若手弁護士の弁論術の育成にひときわ情熱を傾けられていた。また変り種の日本人バリスターであった私にも特に眼をかけてくれ、講座参加時もいろいろと面倒を見てくれただけでなく、プライベートでも食事を共にするなどよくしてくれた。
その講座で「反対尋問の十戒」ということを教えられた。これはアメリカの弁護士協会が作成した映像教材で、Sherrard氏が「若い人向きではないかも知れんな...」などと冗談めかして紹介したように、なんと白黒のフィルムだった。しかし講師が法学生相手に熱弁を振るうその内容は強烈でかつ有用だった。
十戒の一つ一つは忘れてしまったが、「普通の人々が使う言葉で質問すること」などという基本的なことからはじまり、「反対尋問では答えが分かっている質問だけすること」とか「反対尋問では誘導尋問が許される、つまり誘導尋問のみを行うこと」などという実践的なものがあった。そのうちのひとつが「女の子の口説き方」同様、「証人に対して結論をもとめる質問をしてはいけない」ということだった。例えば次のような例。
弁護士:「そこであなたは奥さんに電話をしましたね。」
証人:「はい」
弁:「そこであなたは駅から電話をかけているといいましたね。」
証:「はい。」
弁:「しかしこの通話記録にあるように実際には犯行現場からそう離れていないところから電話をかけていましたね。」
証:「...」
と、陪審員に証人に対する疑惑を植えつけた段階で質問を終えるのが上策。ここで勢いに乗じて、
弁:「つまりあなたは駅から電話をしているということで、アリバイを作ろうとしたわけですね。」
などと結論を突きつけてはいけない。もしここで証人が、
証:「いえ実は浮気がばれないようにと...」
などと見当違いな証言、言い逃れをされては、せっかく陪審員の心中に生じた疑惑の焦点が曖昧になってしまう。反対尋問では証人の証言に対する疑惑を最大限までかき立てておいて、陪審員の思考を自らが望む方に向けさせるだけに留め、結論は最終弁論でそれら陪審員の考えに沿う形で述べたほうが効果が上がるという戦術だ。
この点に関してフィルム中のアメリカ人講師は二つの反面教師を紹介してくれていた。一つはマッカーシー上院議員の赤狩り旋風が巻き起こっていたときの上院反アメリカ活動調査委員会の例。自分の横顔のテレビ映りばかりを気にする某上院議員の質問は「あなたは共産党、またはアメリカ合衆国の国益を害することを目的とした団体にかつて所属したことがあるか、もしくは今現在所属しているか。」というお決まり文句。これに対して「いいえ」とだけ答るだけの証人。もちろん悪名高い委員会の前に引きずりだされた証人たちにはそれだけでダメージがあったわけだが、これではとても効果のある質問とはいえない。またナチスドイツを裁いたニュルンベルグ国際裁判の折のロシア側検察官の質問スタイルも反面教師として例示された。ロシア戦車のようなと揶揄されたその質問テクニックは次のようなものだった。「お前はxxxx年xx月xx日付の総統命令xx号の発令に関与した。この事実によりお前は自分がヒトラーの犬でありファシズムの豚であることを認めるか。」「いいえ。」「なぜだ!」と叫んで机を叩く。この繰り返し。
この「結論を質問しない」と密接に関連するのだが、反対尋問の十戒のひとつは「証人に説明をさせない」ということだった。反対尋問の目的は最終弁論において自らに有利となる材料を採取することにあって、訴訟案件の実体に関する証人の証言、意見、または解説を述べさせることではない。これはその証人を呼んだ側の主質問(Examination-in-chief)の目的である。
この点に関してアメリカ人講師はアメリカ法制史に名高い二つの裁判を例外として紹介していた。
一つは大統領になる前、一開業弁護士時代のリンカーンが手がけたイリノイ州対アームストロング事件。これは後にヘンリー・フォンダ主演の「若き日のリンカーン」の題材にもなった事件なのでご存知の人も多いかもしれない。実際にはこの事件はリンカーンが当時急速に発達していた鉄道会社の顧問弁護士として功遂げ名を成し、一財産作った後にあえて弁護を引き受けた事件だ。アームストロング兄弟には殺人容疑がかけられていた。この事件の目撃者という証人に対してリンカーンはなぜ夜中に犯行を目撃できたのかと問い、説明を促す。証人は主質問で証言したように「あの晩は月明かりがことのほか明るくて遠くまで夜目が利いたからだ。」と答える。これに対してリンカーンは暦を引き、犯行当日のその時間はすでに月入り後で月明かりなど無かったと反論し、最終的にアームストロング兄弟は無罪放免となる。リンカーンの名弁護士振りを後世に伝える話として高名だが、アメリカ人講師はこの場合リンカーンは証人がどのような証言を行うかすでに知っていたからあえて説明を促したのであって、ましてや諸君らはリンカーンではないのだから絶対に真似してはいけないと釘をさしていた。
今ひとつの例外は20世紀初頭1911年に起こったトライアングル・シャツ工場火災事件。ニューヨークのローワー・イースト・サイド、ワシントン広場近くにあったトライアングル・シャツ工場では多くの少女たちが働いていた。その多くはロシアから移民してきた貧しいユダヤ系の少女たちで、家計を助けるため過酷な労働条件の中で働かされていた。ビルの8階にあった工場には当然火災時における避難経路として屋外に階段があったのだが、勤務中その避難階段の踊り場に出て仕事をさぼる少女たちがいるということで、工場の所有者は避難階段へのドアに鍵をかけていたのだ。結果として火事の際逃げ場を失った少女たちの多くが焼死し、死者150人あまりという大惨事になってしまった。この事件は当時おおきな注目を浴び、アメリカにおける労働組合運動のきっかけとなった大事件で、いまでも火事の記念日には労働組合が追悼集会を行うという。当然のことながら工場の所有者は起訴され刑事裁判となった。この弁護を担当したのが当時の有名訴訟弁護士、マックス・シュテューアー(Max Steuer)である。工場主の責任を追及する世論の高まりの中でさすがのシュテューアーも無罪を勝ち取るのは至難の業とされたが、シュテューアーは検察側の主証人である火事を生き延びた少女に対して伝説となる反対尋問を行った。彼は少女に対して火事の有様を繰り返し繰り返し証言させたのである。迫りくる煙と炎。逃げ惑う少女たちの悲鳴。必死になって逃げ道を探し開かないドアの前で絶望する様。鬼気迫る証言に陪審員を初め公聴席の誰もがそのような弁護側に不利な証言を繰り返させるシュテューアーの真意を測りかねていた。四回目の証言が終わったとき、シュテューアーは証人の少女に対してこう言った。「ケイティー、今の証言で君はひとつ言葉を忘れていただろう。」少女の証言は四回とも一言一句異ならないものだったのだが、四回目に彼女が間違えたわずかな箇所をシュテューアーは見逃さなかったのだ。ことここにいたって法廷の同席者たちはシュテューアーの狙いが分かった。つまり彼は証人がまるで機械のように一言一句とたがわない証言を繰り返すことを陪審員に印象付けることにより、世論のたかまりに突き動かされ、また自らの功名心に駆られた検察側が英語もままならない移民の少女に証言のすべてを吹き込んでいたことを明かして見せたのである。結果として検察側は陪審員の信頼を失い、被告工場主たちは無罪放免となった。これはアメリカ法曹界ではあまりにも有名な話だが、アメリカ人講師はお前たちはマックス・シュテューアーじゃないんだから絶対に真似するんじゃないぞと締めくくっていた。
5年にわたる英国での法廷弁護士活動で私も約50回ほど法廷で弁論する機会を得たが、結論として言えるのは結局は経験に勝る教師は無いということだ。しかし毎日毎日の執務で遭遇する難題に対して、偉大なる先人たちが同じような困難に立ち向かい彼らなりの方法でそれらを解決してきたという歴史の事実を知りそれを学ぶことは大きな助けであり、また精神的な励みになる。
来年度からわが国で発足する法科大学制度は優秀な法曹人材を数多く輩出することをその目的として謳っているが、日本の弁護士たちは後輩たちにどのような遺産を受け継がせていくのだろう。気になるところだ。
【日記の最新記事】


本も読んでみます。