あの場面で三盗するのは世界でイチローと常総学院の高校球児くらいしかいませんよ。
まあとにかく全日本からパワーもらったんで俺もがんばらなきゃって、とかそういうの俺よくわかんねぇんだけど、いつもどおり死にたいんだけど。
とにかく、私はひどいことを言ってみようと思うのです。
文脈も何も関係なく、ただただ、ひどいことを言いたいのです。
「アリクイにフェラチオされてみたーい!」だとか、
「さあ!あなたの金玉は!?BIG or SMALL!?」とか、
この際言ってみたいのです。
そして、なかなかに言霊のある、ひどいことを吐けたら、それらをコレクションしたいのです。
自分発のひどいことであるかどうかは問いません。ただコレクションがしたいのです。
勘の良い方なら、既にお気づきになられたかもしれません。
そう、私はそれらを集めて、カードダスにするんです。
ひどさがそのまま戦闘力になるんです。そうやって戦わせるの。
じゃあ例えば「ウンコ」と「くっさ〜いオマンコ」っていうカードがあるじゃん?
「これはどっちが強いのか?」と、みんな思うじゃん?
このカードゲームの画期的なところは、プレイヤーによって強さが変わるところなのです。
小学生同士で戦っていたら、「ウンコ」のほうが強いに決まってる。
中学三年生だったら?そりゃ「くっさ〜いオマンコ」のほうが強いとも。
そういう具合なので、ゲームバランスを崩す強カードというものは存在しないのです。
もちろんカードゲームの醍醐味であるコンボは存在します。
単発で出す「おマン汁飲み干し斎」と、「くっさ〜いオマンコ」の後に出す「おマン汁飲み干し斎」。どっちが強いと思うね? 正解は言うまでもない。
さらに面白いところは、このコンボは何も自分一人で積み上げていくものではないというところです。
相手の「どんなアナルパールも飲みこむアナル」の後に、「どんなアナルにも入らないアナルパール」というカードを出す。これをカウンターコンボ(CC)と呼ぶ。
しかしその後に「きみ、そのアナルパールは不良品だ」というカードを出されたら?
大抵の場合はゲームセットである。
CCが三回も続けば、勝負を決めるのには十分なのだ。
おっと「でかアナルでかアナルパールa.k.a矛盾」のカードをお持ちなら、再逆転も可能であることをお忘れなく。
つまり、自分のデッキをどのように構築するか。
他のカードゲーム同様、これがもっとも重要になるわけである。
コンボ、もしくはCCのことを考えれば、
例えば「オマンコデッキ」のようにひとつのジャンルに固めるほうが得策と言える。
しかしである。
相手が小学生でオマンコネタが全く通じないこともこのゲームでは往々にしてあるのだ。
つまり、ある程度「オマンコ」または「アナル」あるいは「金玉」など、ジャンルを絞りながらも「ウンコ」系のカードは忍ばせておいたほうが良いだろう。
おっと少々、説明が過ぎたようだ。難しく考えることはひとつもないのだよ。
習うより慣れろ。案ずるより産むが易し。
実際にプレイしてみてはいかがだろうか?
私はチャンピオンとして遥か高みに君臨しておこうじゃないか。
いつかきみが挑戦してくるその日までね。
まぁ話としては、どうしても連載を追いたくなるほどでもない普通の話なんだけれども、「ハーレムメイカー」という視点で見ると、非常に興味深い設定をしている作品で、その設定の故か、普通のショートストーリーも凄く深く見えてしまうので、今後、これの「オチ」をどこに持っていくか、ということが凄く気になっている。
というのは、地獄から逃げ出した「駆け魂」というのが逃げ込んだ人間から取り出すという使命を持つエルシィという少女のバディ(協力者)となって、女の子を次々攻略する・・・という話なんですが、この女の子を口説いて「落とす」と「駆け魂」確保できるという設定は、そのものズバリ、何人もの女の子を攻略することができるという現代物語上の嗜好を凄く満たしてくれる設定です。
けどね、、、なかなかこの作品が秀逸だなーと思えるのは、女の子を攻略する側の主人公に、非常に冷徹というか高いメタ意識が存在しているので、とてもクールにその女の子の恋愛感情を掻き立てるんだよね。形的には恋愛という設定になっているが、主人公はさすが「神」と名乗るだけあって、よくわかっていて・・・・女の子を救済することは、単純に恋をするとかそういうことではなくて、「その人の本質を全うさせること」・・・・いいかえれば、その人個人にとって救済に至るべき最も重要な課題を解いてあげるが故に、、、、いや「解いてあげる」のではなくて、その子が自分の力で自分の最大の悩みを解きほぐす手伝いをしてあげるが故に、それを理解してもらえたが故に、主人公に恋をするという形になっているんだよね。すべてのショートスト―リーがそう。僕的には、好きな女の子を本気で愛するということは、その子の「最も重要な本質を全うすることのパートナーとなること」だと思っているので、こういうお話は、非常にスキ。ただ残念なことを言えば、その子たちの悩みを救済する形で、その子たちが現実に新しい人生を獲得するスタートラインに立たせるのは助けるが、「メタ的な視点」で参加しているが故に、主人公は、自分がその「新しい現実を作っていく」ことにパートナーとして参加することはない。女の子も、「駆け魂」が抜けてしまうと記憶を失ってしまう。もちろん作劇上このようにして話数を稼ぐ方法は、正しいしよく分かるのだが・・・。
もう一つは、FLAG54の『4人とアイドル』なんだが、、、、この記憶が消えてしまうという作中の仕組み上、主人公のことを覚えているはずがない、過去の口説いた女の子が勢ぞろいする話なんだが・・・これ、面白かったー。というのは、上記で書いたように「その後」どうなるのか?という話につながりそうな予感が洗われるからだ。記憶を思い出したりすれば、主人公がメタ的にかかわるということが、できなくなってしまう。ハーレムメイカーの「時が止まる」仕組みが壊れてしまうのだ。
「その後」って何かっていうと、それは、単純に主人公の男の子自身が「救われるにはどうするか?」ってことになるんだよね。そっちの話が進みそうにもないほどに、この主人公の自己は完成されている。現実と幻想の違いをよく理解したうえで、自分の愛するモノもよく理解して、コンプレックスもなく、「それ」にコミットする主人公は、非常にバランスの取れた人間で…・って、だからこそ悩める女の子たちの本質を探し出しそれを救済することができるわけなのだが…・けど、こういう人間には、物語はいらないんだよね。なぜならばこういう人って「リア充」とでもいうのか、「いまが充実している」人だから。そしてコンプレがないように見える安定感のある人格は、あきらかに、物語を拒否する。・・・ある意味、物語を必要とするというのは、いまこの時の充実を、、、、実存をとらえることのできな不完全な人間だから…・って、人間は、ほとんどの人が、実存を抱え込んで、時間を消すような充実を感じるようには生きられないもので、「いまこの時(=カルベ・ディエム)」と「死へ向かう物語の時間(メメント・モリ)」のバランスの比率で生きているもので、、、この主人公の今のポジションほど、メタ的に超越して物事を見れないはず・・・。
だけれども、それでは、ただ単に自分ばかりが高見に、外界に隔離されて、外から苦しみ戦う女の子たちを見るだけで、それは「リアルというステージに上っていない」卑怯な生き方だし、なによりも、そういうことを逃げている人間は、大人にはなれない。大人になれないというのは、ナルシシシズムの檻の中で、永遠に閉じ込められて・・・・この限りある死へ向かう人生を、同じ苦しみをと孤独を分かち合うパートナーとして、ベターハーフに出会い、「共にあることの喜び」を知ることなく生きることになる。
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