2008年10月25日

経済学とトポロジーの関係性

経済学に最初に本格的な数学的方法を導入したのは、アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー(1801 - 1877)でした。彼は1838年に出版された著書『富の理論の数学的原理に関する研究』の中で、消費者の効用最大化問題と企業の利潤最大化問題として、経済を定式化し、その解として、「需要と供給は価格に関係する」という函数を導出しました。ところが当時、経済分析において数学や記号を用いることは、あまり受け入れられませんでした。
 その後、クールノーの学生時代の友人オーギュスト・ワルラスの子である、レオン・ワルラス(1834 ? 1910)を中心にクールノーの理論が評価されはじめます。レオン・ワルラス、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、カール・メンガーによって確立された、この微分演算を用いる経済学体系は、ロンドンスクール・オブ・エコノミクスの経済学者たちにより、「限界革命」と呼ばれました。
 ワルラスはまた、「すべての財の市場で需要と供給の一致が成り立つ」という状況を考える、一般均衡理論を創始します。一般均衡に対し、「あるひとつの財の価格に注目し、その財の市場で需要と供給の一致が成り立つ」という考えを部分均衡と呼びます。ワルラスの後、カール・グスタフ・カッセル(1866 - 1945)も主著『社会経済の理論』の中で、一般均衡理論について研究します。一般均衡は後に、ヴィルフレート・パレートを中心とするローザンヌ学派によって継承され、経済学の一大トピックとなります。実は、この一般均衡理論こそ、トポロジーを経済学に取り入れるきっかけでもあったのです(あとでわかります)。
 ワルラスは、一般均衡体系でも、変数の数(すべての財の価格の数)と方程式の本数(すべての財の市場の数)が一致しているので、これを解くような価格体系は存在すると考えていました。ところが、よく考えてみればわかることですが、本当はそうとは限りません。たとえば、
x+y=1
x+y=2
という連立方程式体系に解はありません(いわゆる不能)。
 ワルラス=カッセル体系における、この問題(一般均衡解の存在証明)に最初に注目したのは、ハンガリーの銀行家兼アマチュア経済学者カール・シュレジンガー(1889-1938)でした。彼は、1930 年代、彼の友人で数学者のカール (Karl)・メンガー(上で出てきた経済学者カール (Carl)・メンガーの息子) が運営していた「ウィーン学団」にこの問題を持ち込みます(ちなみに、メンガー親子は一般均衡の業界では、区別のために大メンガー、小メンガーと呼ばれたりします)。ウィーン学団は、さまざまな分野から人材を集めた研究者集団でした。カール・メンガー以外の主要な参加者としては、経済学者カール・シュレジンガー、数学者ジョン・フォン・ノイマン、オスカール・モルゲンシュテルン、統計学者のエイブラハム・ワルドらがいました。
 シュレジンガーの案のもと、ワルドがついに、静的なワルラス=カッセル体系の一意的な均衡の存在証明を完成させます(ワルド(1935, 1936))。その後、ジョン・フォン・ノイマンは別のモデルにおいて、「ブラウアーの不動点定理」の一般化を通じて均衡の存在証明を行います(ジョン・フォン・ノイマン (1937))。また、このときのフォン・ノイマンの論文『経済的均衡体系とブラウワーの不動点定理の一般化』で示されたフォン・ノイマンの交差定理(と呼ばれるブラウワーの不動点定理の一般化)に動機付けられ、後に、角谷静夫によって、より簡潔な証明(角谷の不動点定理)が示されています。また、フォン・ノイマン型成長モデルの斉一成長解の存在証明はその後、ミンコフスキーの分離定理を用いて、簡略化されています。

 角谷の不動点定理は次のような文章で記述されます。

角谷の不動点定理
「XをR^nのコンパクトな凸集合とし、f:X→XをXの点xにXの空でない凸部分集合f(x)を対応づける閉写像とすれば、不動点x0∈f(x0)が存在する。」

 さて、本題です。これらの「不動点定理」の多くがトポロジー的な考え方と密接に関係しているのです。NHKをご覧になられた方なら分かると思いますが、トポロジーとは、やわらかな幾何学のことです。不動点は、図形をトポロジーの目で見たときに現れてくる現象の一つなのです。お風呂のお湯をかき混ぜて、渦を作ったと想像してみてください。周りの水は勢いよく流れていますが、渦の中心の水は「動いていない」はずです。不動点定理を用いた経済学者たちはうまく、経済の均衡点の存在をこの不動点の存在に帰着させたのです。
 具体的には、ある財の需要量−供給量により「超過需要函数」なるものを定義します。この函数は当然、すべての財の価格の函数です。超過需要函数がゼロにならなかったとき、つまり、需要=供給とならなかったとき、「セリ人」はそれをみて新しい価格をコールします。この価格を聞いて、消費者と企業は再び、自分が買いたい量と売りたい量を決めます。この手順を何度もやっていくと、ついには「セリ人」は超過需要函数がゼロになる価格を見つけ出すはずです。するとどうでしょう。セリ人はもう新しい価格をコールする必要はありませんよね。つまり、さっきと同じ価格(需要=供給の価格)をコールするはずです。これ(需要=供給の価格)を不動点だと思うのです。マーケットの顔色を見て、セリ人は価格を上げ下げし、ある目標を目指し、最終的には動かなくなる。お風呂の水が、中央にできた渦に向かって吸い込まれ、そこにとどまるのと同じです。
 
 1938 年、ナチスがオーストリアを侵略して、併合が進行してから、ウィーン学団も解消され、一般均衡理論はアメリカへと持ち込まれます。その後、1950年代にケネス・アロー、ジェラール・ドブルー、ライオネル・マッケンジー、二階堂副包らの貢献により現在の整合的な分析手法となりました。一般均衡理論は経済学の中で、最盛期を迎えます。この業績により、アロー、ドブルー、マッケンジーの3名はノーベル経済学賞を受賞しています。二階堂副包先生がノーベル賞をとっていないのは、第2次世界大戦で論文の公表が遅れたためといわれています。










posted by tuto at 18:55| 東京 曇り| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]