2007年07月30日

アート案

人が10回かんだものを収める写真展
シーツににじんだ血に「泉」と収めてマルセルデユシャン
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家族計画

14 : パラ経(関東地方):2007/07/18(水) 02:55:13
カレー食ってるときに倖田の話すんな


15 : 学生寮の主様(コネチカット州):2007/07/18(水) 02:57:29
幸田「みんな毎日ぎょーさん私を便器にだしてくれておおきにぃ、女の子は一週間たっても私が出てこうとしないこともあんねやけど、それはあなたが好きやねん」


16 : 学生寮の主様(コネチカット州):2007/07/18(水) 03:03:18
うんこが叫んでると思ったら幸田が歌ってた
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うんこ

http://homepage3.nifty.com/peacefulspace/meisou.html


■今日、借りっぱなしになっていた「スターソルジャー」を売って、タバコを買いました。スパーッ… 苦げぇなぁ…


【不詳】
非常に良い(2VP) 良い(1VP) ふつう(0VP)
■俺が、燃えさかる家から命からがら逃げ出したとき、お前ら全員、スイカバー食いながら見に来てたよな。その時の、その時、スイカバーがなんかすげぇ美味そうに見えてさ… それからかなぁ、俺がちょいちょいスイカバーを食うようになったのは…


【不詳】
非常に良い(2VP) 良い(1VP) ふつう(0VP)
■自動販売機で買った洋ピン雑誌、みんなでページを分けあって持ち帰ったあの洋ピン雑誌。十数年ぶりに、一冊の本に。


【花より大名】
非常に良い(2VP) 良い(1VP) ふつう(0VP)
■小六のころ、ふざけて教室でボール遊びをしていて、蛍光灯を割って怒られたよなぁ… あん時、頭を二針縫う程度だったけど、こないだリーブ21に行ったら、そん時のガラス片が出てきてさぁ、懐かしいやら震えるやらだったよ!


【すごく美味しい】
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■夜中に突然、「チューヤンって今、どうしてるのかな?」ってメール送っても、ちゃんと返信してくれるのは、お前だけだ。


【花見日和】
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■家の前に路駐された車に、一心不乱にマヨネーズをぶっかけまくるお前。「十円玉で傷つける奴とかもいるけど、それじゃ修理にお金かかるし、俺は二度と止めないでくれれば、反省してくれれば、それでいいんだから…」と、汗をぬぐいながら言った、そのさわやかな笑顔。今も俺の心の中で燦然と輝いているよ。


【スマイルピクルス抜き】
非常に良い(2VP) 良い(1VP) ふつう(0VP)
■秋葉原は好きだけど、メイドは死ぬほど嫌い。俺たちみたいな難民は、どこへ安住すればいいのだろうか…


【ジライアモー】
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■ふたりだけの成人式。あん時やった「桃鉄4」の中段データ、まだ残ってるぜ。


【花より大名】
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■俺はネタで「ハゲ! ハゲ!」っていじられてたけど、お前のはリアルすぎてアンタッチャブルだったな…


【不詳】
非常に良い(2VP) 良い(1VP) ふつう(0VP)
■お前昔、「毒殺先生の呪い」とかいう怪談作って、俺たちに発表したよな。みんなが「怖えぇ怖えぇ」つってる中、俺ひとり強がって「全然怖くねえ! 全然怖くねえ!」って連呼してたけど、あれから二十年、今でもたまに毒殺先生が僕の夢に登場して、僕を苦しめている…



普通の香水だけど
CO2プールオムを勧めてみる。
以前使っててかなり女ウケ良かった。付き合った女に「なにが良くて付き合おうと思ったの?」て聞いたら
「正直、匂いが良かった」て言われたし。
タッキー愛用だしな。
今はそれよりもいい香水見つけたからこの香水はもう教えてあげるよ


今回は鬼教官kenkenの血と汗にじむ猛特訓に耐えて素晴らしい本番をやってくれたエリスにまず脱帽したよ。俺が軍隊のトレーナーをやってる時にも彼女ほどタフな女性はいなかったよ。因みにその頃のトレーニングを一般用に改造したブートキャンプTHEケンケンが世界中でヒットしてるからそっちもチェックしてくれたまえ。ってかエリス姫がベース持ってきてくれると普通にテンション上がって良かった。またベースと幸せを運びに来てね。

俺は、まったく俺を理解しえない人に対して従順である

圧倒的な受身の姿勢を示す。



http://www.ggking.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=MSD-609

http://plaza.rakuten.co.jp/zannsu/diary/
ポリアンナ物語
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2007年07月16日

dthgfnopmjpptf

246 名前: 名も無き冒険者 [sage] 投稿日: 2006/04/04(火) 14:29:40 ID:UItJJ8vh

小学校のとき下校の途中で犬の交尾をぼーっと眺めてたら
カメラを持ったじいさんに写真を撮られた
後日母親が俺に差し出した地元の情報誌に
「好奇心」って言うタイトルで交尾を見つめている俺の写真が載ってた



850 名前: カタログ片手に名無しさん [sage] 投稿日: 06/08/13 12:10 ID:???
前の奴の尻からブリュッ!プピー・・・って音がして嫌な予感・・・
そしたら案の定、ジーパンの裾から茶色い液体が
オエエエエ


855 名前:カタログ片手に名無しさん[] 投稿日:06/08/13(日) 12:11 ID:LoC3TEM6
>>850
それもすかして青いTシャツ+赤スニーカー?


861 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:06/08/13(日) 12:10 ID:???
>>855
ビンゴ


906 名前:カタログ片手に名無しさん[sage] 投稿日:06/08/13(日) 12:15 ID:???
>>850
ごめん
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839 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/16(木) 14:59:27 ID:N7DMbemO0
ケンカはやめロッテ!


840 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/16(木) 15:08:13 ID:i79rfwcp0
ケンカはチョコっとだけにしとけ。


841 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/16(木) 15:14:01 ID:yWSRoq5G0
(´・ω・`)知らんガーナ


842 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/02/16(木) 15:32:00 ID:n7PR+z1T0
えーと、ココアぼけといた方がいいのか?
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自己調節市場の暴力性

カール・ポランニーの主張
市場が経済生活の単なる付属物以上のものであった時代は現代が初めてである。財の生産と分配の秩序は価格のみに保障される、価格も需要も供給も固定されたり統制されたりしてはならない、という前提を含んだ、市場の自己調整の理念は発展の方向を完全に逆転させた。
それまでの重商主義社会では、国の政策として商業化を強力に主張し生産は商人によって管理されてはいたが、彼らは生産を純粋に商業的な事業として支配していて、産業に関する政府干渉の広範な拡大に示されるように、市場経済とは正反対の方向で市場を考えていた。土地や労働も社会組織そのものの一部を形作っていて、これらの全ては売買の組織から切り離され商業の範囲外にあり、まったく異なる制度的統制にゆだねられていた。
しかし18世紀末にそういった統制的市場から自己調節的市場へと転換する。それは精巧な機械・設備の発明と、それによって商業的な社会に工場制度が導入されたことが原因である。その転換は自己調節的市場の原理により、社会を経済的領域と政治的領域とに制度として分類する事を求めた。さらに経済活動が単独な物となり利潤の最大化という動機に帰せられるようになった社会は、労働・土地・貨幣ですら商品化されることを求めた。市場メカニズムが労働と土地とを内包するということは社会の実体そのものが市場の法則に従わされることを意味している。しかし労働とは人間そのものであり、土地とは自然環境そのものであり本来商品にはなりえない。社会の組織原理となってしまった労働や土地が商品のように生産されるというフィクションと、当然のようにそれらを受け入れる事ができないという大きな矛盾を抱えたまま、社会によって労働の組織は変化させられていき、人間社会は経済システムの付属物と化してしまっている。
現在の経済システムにはそういった暴力的な側面がある。しかしそのような破壊的なメカニズムに対抗する運動もまた現れている。本来的な商品に関する市場組織の拡大は、労働や土地など擬制商品に関する市場組織の制限化を伴ったのだ。社会は社会によって自らを防衛する。そうしなければ人間社会は滅亡していたかもしれない。
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非市場経済の可能性3

下の図は朝日新聞96年4月12日の朝刊に掲載された政治マンガです。住専問題で国会が難航してようやく予算審議が終わったところを皮肉っています。石器時代にはもちろんわれわれが使っているようなお金が存在したわけはありませんが、ともすれば、われわれの時代になぞらえて、こんな風に石器時代のお金を表現することはしばしばあります。こんなお金があったらどんなでしょう。大きすぎてサイフには入らないし、買い物にいくのも不便そのものですよね。だからマンガの題材にもなろうというものかもしれません。








 だけど、そのマンガそっくりの「石のお金」が実際に存在しているといったら、うっそーっていわれてしまうかしら。グァムの西南西の方角で飛行機で2時間位だったかな。ヤップ諸島というところにはそれがあるんです。大きいのは直径2メートル以上、小さいのは50センチ位の円盤状。真ん中に必ず穴があいていて、5円玉を大きくしたみたいです。このマンガのお金そっくりですが、真ん中に丸太を通して運ぶためなんですね。普通のサイズではこのマンガほど大きくはないものの、もちろんお財布に入るサイズではありません。
 このお金(石貨)を渡す時には、丸太で運ぶわけだけれど、大きなものになると置かれている場所にあげる人ともらう人がでかけて行って、これを貴方にあげますって宣言して終わりになるそうです。島の誰もがどの石貨がどこにあるかを知っているから、盗もうと思っても不可能なんです。ここには、ストーン・マネー・バンクという半ば観光地化した公園のようなところがあって、石貨が並べてあるけれど、現地の人にとっては、所有者は皆明確になっているんです。




ストーンマネー・バンク



 ところで、この石のお金、われわれが普通使うお金のように、何でも欲しいものを手に入れるために支払いをする、というものとはちょっと違う。使う場面が決まっています。まず、これは結婚の時に、花嫁の親族から花婿の親族に贈られるものです。結婚に際して、結婚申し込みから始まって初子の誕生や名付けに至る色々な儀式があるけれど、花婿方からは貝貨(白蝶貝や黒蝶貝を加工したもの)と椰子の実と魚、花嫁方からは石貨の他にタロイモとサトイモを互いに贈り合うことになっている。また、その他に、村同士の紛争解決のため、規則違反の贖罪のため、戦争や殺人、調停依頼等々、また埋葬に際しての呪術師、カヌー・家屋を建造する大工等に対しての支払いに用いられます。つまり、これで簡単に、タロイモや魚、欲しい腰布を買うというわけにはいかないんです。
 経済学では、お金は、何かと交換する媒体となるものであり、何か欲しいものがあるときに支払いをすることができ、そのように便利なものであるがゆえに将来欲しいものと交換する可能性をもつものとして貯めておくことができるものであると説明しています。

 またさらにお金は、われわれの社会では、交換できるお金の単位によってものの価値を一元的に測るものさしとなるという重要な役割を担っています。お金を媒介として、ものの価値が決まってくる。セーターは1万円で、パン1斤は200円である、というように。そうして互いの価値を比較できるわけです。

 そのような意味で、特定の場面でしか使用できず、何とでも交換できるわけではないヤップの石貨は本当にお金なのか、という疑問が涌きます。しかし人類学の対象となるような社会で、交換を媒介するものとして世の中を人から人へと渡されていくものの存在は様々に確認されています。例えば私の研究するサモアでは、同様に目のつんだゴザがその役割を果たしているし、メラネシアでは貝殻が使われています。このようなものを、人類学者はわれわれのお金である一般目的貨幣に対して、限定目的貨幣と呼んだり、交換財と呼んだりしています。

 われわれの社会のお金は、紙幣の他には、金属が用いられていますが、これは金属でできた硬貨の方が古い形です。金属の中でも貴重な金属を使用した金貨や銀貨は価値が高い。貨幣経済の初期には金や銀の粒が交換の媒体として用いられたこともありますが、これらは政府等による交換の媒体としての裏付けがなくとも、それ自体価値をもつものなのですね。金属がお金に用いられる理由を希少性に加えて、自由な大きさに加工でき、腐敗や磨滅しにくい材質であることが指摘されています。





20年前の著者と石貨



 ヤップの石貨は、稀少性という意味では実に興味深い。これはそんじょそこらの石で作ってもだめなんです。ヤップの南西にパラオ諸島というところがありますが、ヤップの男性たちはイカダを組んでパラオの北端の無人島にいって、そこの石を切り出して石貨に加工し持ち帰る。行きのイカダは軽いから楽だけど、帰りは命がけです。そんな命がけの冒険によって社会内に持ち込まれた数少ない石貨しか、石貨として認定されない。
 これには面白い話があります。オキーフというアイルランド系アメリカ人がヤップの話を聞き付けて、香港のある場所で石のお金を作らせ、ヤップに来てこれと交換でコプラ(ココヤシの果肉を干したもので、当時の石鹸の材料)を手にいれようとしたけれど、島の人々は見向きもしなかった。けれどもこの人のえらいところは、失敗の原因を調べたところです。人類学者のようにヤップで調査して「文化の秘密」を探りあてた。

 この後オキーフは、ヤップ人を帆船に乗せてパラオの石切場にやってきて石貨を作りました。今度は見事成功してオキーフは大儲けしたというお話。しかし、それまで流通していた石貨は一つ一つに伝えられる歴史的な語りがあるのだけど、オキーフのもってきた石貨は、やたら大きかったりするかわりにそうした歴史性が欠けているために、今ひとつ格が低いんだそうです。オキーフの冒険物語は19世紀のことでしたが、ヤップ諸島がミクロネシア連邦の一部として独立し、近代化された今日でも、石貨は使われております。(終)

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非市場経済の可能性

はじめに
 「私の欲しいものをください、そうすればあなたの欲しいものをあげましょう。」(アダム・スミス 1959(1776:118))ちょっと身もふたもない言い方だが、アダム・スミスの言うとおりなら、これこそが我々の社会をなりたたせる基本原理だということになる。なるほど、自分の生活に必要な物をすべて自分一人で作っている者など誰もいないわけで、だとするとそれらは誰かから手に入れてくるほかない。その手に入れる手段というのが冒頭のような取り引き、つまり「交換」だというのである。「こうして、あらゆる人は、交換することによって生活し、つまりある程度商人になり、また社会そのものも、適切にいえば一つの商業社会に成長するのである。」(アダム・スミス 1959(1776:133))

 とはいっても、我々の場合必要なものはたいてい買って手に入れているのであり、これをわざわざ「交換」と呼ぶのは若干ずれがあるような気もする。コンビニでタバコを買おうとする度に、「私の欲しいもの(タバコ)をください、そうすればあなたの欲しいもの(お金)をあげましょう」などといちいちやっていては堪らない。もしあなたが誰かに、タバコを買ってくると言うかわりに、お金をタバコに交換してくると言ったりすれば、変な目で見られることは請合いである。少なくとも言葉の感じとしては、買うことと交換することは同じではない。交換といえば、不用になった古新聞や古雑誌をチリ紙と取り替えたり、自分が余分にもっているビックリマンシールと引き換えに、友達から新しいビックリマンシールを手に入れたりすることであろう(ちょっと古いか?)。古新聞でチリ紙を買うなどとは誰も言わない。かと思うと、海外旅行にそなえて銀行の窓口で両替する際、実際には例えば円でドルを購入しているのであるが、我々はこれを、円をドルと「交換」したと言い、ドルを一ドルいくらで「買ってきた」とは普通言わない。「交換」と「買う」の使い分けはかなり微妙である。

 日本語の語感にこだわっていては経済学は始らないのだろう。たしかに物を買う際に我々は貨幣と引き換えに物を手に入れているのであるから、言われてみれば交換には違いない。アダム・スミスによると、貨幣自体もともと一つの商品、つまり交換されるさまざまな品物の一つであった。物々交換にともなう不便を解消するために、他の何とでも交換できる特殊な商品が選ばれそれが貨幣の役割を果たすようになったというのである。この話の真偽はさておき(私はおおいに疑っているが)、「交換」の概念をこんな風に広げて考えれば、そこに含まれる共通性も見えてくる。「交換」とは相手に何かを与えることによって、自分の必要とするものを手に入れる手段である。「チリ紙交換」しかり、「ビックリマンシール交換」しかりである。欲しいものを手に入れるためにはこちらも少しは損をしなければならないというわけだ(古新聞をもったいないと思う人もあまりいないだろうが)。もちろんその際、誰でも出来るだけ損を少なくして得を多くしようとするであろう。誰もがこの原理にしたがって振る舞っていると仮定することによって、多くの経済的な事象が説明可能となるらしい。これを経済学的な交換の概念だということにしておく。

 交換の概念をこんな風に広げていいのであれば、この際思い切ってもっと広げてしまった方がよい。ここではとりあえず交換を「誰かに何かを与えて、誰かから何かを受け取ること」だと考えよう。交換と呼べる行為の範囲は一気に広がって、逆に経済学的な交換の概念が実際にはきわめて限られたものであることが明らかになるはずだ。これがこの章のねらいである。ちなみに社会学の方でも、「愛」や「信頼」、「尊敬」といった無形のものまで交換の対象に含めて、すべての行為を交換として説明しようとする理論(社会交換理論)がある。これも「交換」概念の拡張の一種ではあるが、実際にはその交換のイメージ自体は経済学的な交換のイメージそのままだったりする(例えばブラウ 1976)。つまり、できるだけ損を少なくして得をしようとするという経済的交換行動の説明原理を、非物質的な利益にまで拡張しただけのものなのである。人類学が交換を問題にするときには、まさにこのイメージそのものを疑うことになる。

ワインと貝殻細工
 レヴィ=ストロースが交換の儀礼と呼んで紹介した次のような場面は、日本のどこかでも見られそうな光景である(レヴィ=ストロース 1977:141-143)。場所は南フランスのとある安レストラン、昼飯時で店が混んできたためか、二人の男が見知らぬ者どうしで一つのテーブルに向い合って腰をおろしている。それぞれの前には料理を載せた皿と、その料理にセットで含まれているちょうどグラス一杯分ほどの安ワインの小瓶。なんとなくぎこちない沈黙と装われた無関心。しかしそれは一方の男の何気ない仕草で一変する。彼は「まあ、どうぞ」などと言いながら自分のワインを相手のグラスになみなみと注いだのである。続いて何がおこるかはご想像のとおりである。相手は「いやあ、どうも申し訳ありません。恐縮します」なんて言いながら、すぐ相手に注ぎ返してやるだろう。ワインとワインの交換である。その後二人の間にちょっとした会話がはずんだということもおおいにありえそうである。

 いったい何が起ったのだろう。二人が注ぎあったワインは全く同じもの、同じ分量である。結果的には、めいめいが自分のグラスに自分のワインを注いで飲んだのとなんの違いもない。この「交換」によって、二人は互いになんの損も得もしていない。経済的には全く無意味な交換だということになろう。そもそも最初の男は別に相手のワインが欲しくて、自分のワインを相手に与えたわけでもないし、またこの交換によって得をしようとしたわけでもない。もちろん、もし相手の男が注ぎ返さなかったとしたら彼は不愉快になっただろう。喧嘩になったかもしれない。しかしそれはグラス一杯分のワインの損失に怒ってのことではないはずだ。実際、もし注ぎかえしてこなかったとしたら、そいつは恐ろしく非常識な男である。幸い、相手の男は恐縮しながらワインを注ぎ返した訳だが、この男にしてもその恐縮ぶりは自分が与えられたものの経済的な価値とは全く不釣り合いだ。もしこの男が見知らぬ相手からワインのかわりに、いきなりそれ相当の現金(100円程度か)を渡されたとしたら、彼は恐縮するどころか、むしろ受け取るのを拒み、怒りだしてしまうかもしれない。彼にはそんなわけのわからないお金を拒むだけの権利がある。しかし、彼がもし自分のグラスに注がれようとしたワインを頑強に拒んだとすれば、それはとてつもなく気まずい雰囲気を作りだしたことだろう。  この交換の前後で物質的な状況にはなんの変化も生じていない。交換しようとしまいと、二人はそれぞれ一杯ずつの同じワインを飲むことになる。しかし、この交換は無関係な二人の間に関係を作りだす。この変化こそ、この交換の効果なのである。

 たかがグラス一杯のワインのやり取りで経済学が拠り所とする交換のイメージを壊そうなんてと言われそうなので、この話はいったん措いて、もっと大規模な交換、マリノフスキーの報告によって有名な(少なくとも人類学ではあまりにも有名な)メラネシアのクラ交易、について紹介しよう(マリノフスキー 1980)。

 クラはニューギニアの東に広がる海域の島々を円環状に結ぶ交換制度である。ムワリと呼ばれる白い貝の腕輪とソウラヴァと呼ばれる赤い貝の首飾の2種類の財がそこで互いに交換されるのだが、各々の財の引き渡しは同時には行われず、時間をあけて行われる。その都度、特定の財を受け取る側が相手の所まで出向いて受け取らねばならない。一つの島内でのクラと島どうしを結ぶクラとがあるが、島どうしのクラには大掛かりで命懸けの遠洋航海がともなう。クラでの成功は男の威信をおおいに高める人生をかけての大事業なのである。人々は何人かの決まった取り引き相手をもっており、この関係は終生続く。身分の高い人は一人で何百人ものクラの相手をもっていることもある。遠隔地でのクラの場合、こうしたクラ・パートナーは「不安で危険な土地で彼を客人としてもてなす主人であり、保護者、味方である。」(マリノフスキー 1980: 156) パートナーどうしは互いにさまざまな義務をおっており、近くに住むパートナーはしばしば同時に彼の姻族や友人でもある。

 遠方の島とのクラで財(たとえばソウラヴァ)を受け取る番になると、男たちは特別に建造した大きなカヌーで船団を組んで何日もかけて相手の島に出かけていく。ただ貰うためだけに出かけていくのである。浜辺で儀礼的な歓迎を受けた後、それぞれのクラ・パートナーとの取り引きが始る。取り引きと言っても、値切ったりふっかけたりといったことはいっさい行われない。与えるホスト側は「やぶからぼうに、ほとんど怒ったような態度で」財を投げだし、受け取る客の側も同様に冷淡でいかにも関心なさそうな態度で受け取る。どのソウラヴァを与えるかは与える側の判断次第で、受け取り手は与えられたものを拒んだり、それに文句をつけたりすることは出来ない。贈呈が行われる毎にホラ貝が荘重に吹きならされる。3〜4日の滞在ですべてのクラ・パートナーから受け取るべきものを受け取ると、船団は特別のお別れの儀礼も無しに、もと来た島に向けて帰りの旅につく。

 やがて半年もたつと今度は、自分たちにソウラヴァを与えてくれた島の人々がムワリを受け取りに海を越えてやってくるだろう。同じ手続きが繰り返され、はるばる海をはさんでのムワリとソウラヴァの交換がここに成立する。交換の成立を土地の人々は、男性であるソウラヴァと女性であるムワリが結婚した、などと言い表している。  こんなにも苦労して手にいれる財なのであるが、それを手元にいつまでも置いておくことはできない。財はそれを求めてやってくる別のパートナーに与えられねばならない運命にある。男が自分が手に入れてきた財を保有できるのはせいぜい一年か二年で、それですら「欲が深い」だの「がめつい」だのと非難されてしまう。まさに右から左に手渡すために苦労して手に入れてきたようなものである。ムワリを手に入れてきてはそれをソウラヴァをくれた相手に渡し、ソウラヴァを手に入れてきてはそれをムワリをくれた相手に手渡す。こうしていずれの財もこの広大な交易圏を、ソウラヴァはつねに時計回りにムワリは反時計回りにぐるぐる回り続けるということになる。個々の財はだいたい2年から10年かかってクラの輪を一周するが、その都度その値打ちを高めていく。価値があるから交換されるというよりも、交換されることによってどんどん価値がでていくのである。

 経済学的な交換のイメージからはちょっと理解困難な交換である。ムワリやソウラヴァに苦労して手に入れるだけの値打ちがないというわけではない。誰もが一緒にいった他の者より良いムワリやソウラヴァを手に入れたがっている。それらは実際に身につける装飾品というよりも(多くのムワリは、腕輪とはいうものの実際には小さすぎて腕にはめることはできない)ながめて幸福に浸るものである。またそれは悪霊に供えてその心を「やわらげる」ことにも使えるし、死者を飾って「やすらぎ」を与えることもできる。病人の胸や腹をそれでこすってやって苦しみをやわらげることもできる。単なる物ではなく、何か不思議な力をもった物でもあるのだ。しかしいかに値打ちのあるものであっても、結局のところそれらは、他人に同様な交換を通じて渡してしまうためのものである。交換によって利益を得ることは問題にならない。そもそも与えられたものに文句をつけることができないのであるから、自分が以前に与えたものに相応しい財を手に入れることができるという保証すらない。一個のソウラヴァは一個のムワリとしか、同じくムワリはソウラヴァとしか交換できないのであるから、それらを貨幣のように他の何かを手に入れる手段として用いることもできない。まるで交換そのものが目的になっているみたいだ。

 経済的にはほとんど無意味な交換なのであるが、社会関係の観点からはきわめて重要な交換である。相互にクラ・パートナーの関係にたつものどうしが財を交換する。しかし同時にこうした交換をおこなってこその恒久的なパートナー関係なのである。交換をつうじてこの関係のネットワークがその都度確認され永続化することになるのである。  この地方には他のタイプの交換もいろいろ知られており、なかには経済学的な交換と呼んでよいものもある。ギムワリと呼ばれるものがそれである。クラ遠征は他の島の人々とギムワリをおこなう機会でもある。ギムワリで交換されるのは日常の生活物資であり、また取り引き相手は自分のクラ・パートナー以外の人々であれば誰でもよい。ギムワリには値切りやふっかけがつきもので、途中の島で仕入れてきた物をより高い交換率でさばいて利潤を上げることもできる。またクラと異なり直接その場で決済される。クラとギムワリはいろいろな点で対照的で、「クラをギムワリであるかのようにおこなう」ことは最も非難されることである。

 ギムワリと較べてみると、クラでの財のやりとりは贈物のやりとりに似たところがある。その都度の財の受け渡しでは、財はつねに一方向に与えられるだけで、それに対するお返しはただちには行われない。一見したところ一方的な贈物そのものである。また財は「気前よく」渡されねばならず、また受け取りを拒むことはできない。このことから、この種の交換は贈与交換と呼ばれたりしている。マリノフスキー自身もクラを「ある時間的間隔をおいてお返しのくる贈物である」と述べている。しかし、そもそも「交換」という言葉自体もそうなのであるが、別の社会の出来事を説明するのに、自分たちの社会の概念を安易に適用することはしばしば誤解を生じやすい。マリノフスキーによると、男は自分の財をパートナーに渡す際に「しかるべきときに、お前はこれに見あう大きなソウラヴァを返してくれよ」というようなことを言うらしい。最初から見返りを要求しながら渡すものを贈物と言ったりするだろうか。ギムワリのような取り引きと比較するとクラは贈物のやりとりに似ている。しかし、あくまでも交換になることが保証されているような贈物のやりとりなのである。そう言えば、南フランスの安レストランでのワインの交換も、どことなくそんな贈物のやりとりに見えないこともない。

 クラはやや特殊な例に見えるかもしれないが、贈物のやり取りふうの交換ということであれば、実に多くの社会で広く見られる。日本もその一つなのだが、ここでは自分のことは棚に上げて、狩猟採集民のアンダマン島民を例にあげておこう。ここでも交換は人々の社会生活の特徴である。仲のよい友人、家族、集団どうしは互いに頻繁に往来しあい、そうした場合にはつねに贈物の交換がおこなわれる。この社会を調査したラドクリフ−ブラウンによると、時にはこうした交換が経済的にみて有益な結果をもたらすこともある。例えば、地方によっては自分のところで採れない彩色用の赤土とかをこうした交換を通じて手に入れることができるなど。「ほとんどの場合は、しかしながら、どの地域集団もどの家族も、武器にせよその他の品物にせよ、自分たちに必要なものは自分たちで調達できるので、こうした贈物の交換はより進んだ社会における交易や物々交換と同じ目的を果たしているとはいえない。」(ラドクリフ・ブラウン 1964: 83-84)たいていの場合、人々が受け取るのは自分たちがすでに充分に持っているものばかりであるし、また与えることができるのも相手がすでに持っているものばかりなのだ。人々は相手がそれほど「必要としていない」ものを贈りあって互いに気前よさを競っているのである。ラドクリフ−ブラウンが言うように、こうしたやりとりの目的は、経済的というより「人間関係」に関係しており「当事者間に友好的な感情をうみだすため」(ラドクリフ・ブラウン 1964:84)のものである。贈物が好感情を産むのだと言われても、当たり前すぎていっこうに感激しないが、しかし、ここではその好感情がけっして贈物を貰って得をして嬉しいということから、つまりもたらされた経済的な利得からくるものではないことに注意しよう。アンダマン島での贈物の多くは別に貰ってたいして得になるような品物ではないのである。

贈物と交換
 どうやら経済学でいうところの物質的な利益を目的とする交換と、物質的な利益を眼中におかず人と人とのつながりを作りだしたり、維持したりする交換との2種類の交換がありそうである。後者は、どこか贈物めいたやり取りによって特徴づけられている。しかし、贈物と交換というのもちょっと奇妙な取り合せだ。「海老で鯛をつる」なんて言い方もあるけれども、本来贈物とは見返りを期待せずにただ与えるだけの行為ではなかっただろうか。子供にクリスマスプレゼントをあげるとき私は何のお返しも期待していないし、事実これまでお返しなどもらったこともない。贈物は理念的には物の一方向的な移動であるし、多くの場合そのとおりである。しかし、とは言うものの、一方で贈物にお返しがつきものであるというのも事実だ。日本では親子や夫婦などのように一応親密だとされていたり、恩師と弟子のように上下関係がはっきりしている(?)関係の中では、贈物に対してお返しが問題になるようなことはあまりない。これに対し、ご近所づきあいや顔見知り程度の間柄での贈物については、かなりお返しに気を使う。子供からのお返しなどまったく期待していない一方で、他の場面では、贈物にお返しをしなかったために非常識呼ばわりされることもある。そんな場合、じゃあお返しが欲しくて贈物をくれたのか、と言いたくなってしまうが、もちろん送り主の方ではお返しが目当てなどという気は毛頭ない。にもかかわらず、いつまでたってもお返しがなければ、それはけしからんことである。実に厄介である。

 仮りにお返しをするにしても、それはそれで厄介な問題がある。律儀にその場ですぐまったく同じ品物でお返ししたりすると、それはもうほとんど贈物を突っ返しているのと変わらないことになってしまう。充分時間をおくか、程なくお返しがしたいのならぜんぜん別の品物でお返しするべきである。お返しをするタイミングや何をお返ししたらいいかは、微妙な問題だ。では、面倒だからといって最初から贈物を断って受けとらなければどうだろう。贈り主との関係が、単なる無関係という以上に悪くなってしまうことを覚悟しておいた方がよい。

 前節では贈物のやりとりのような形でおこなわれる交換を見てきたのだが、どうも贈物をする行為自体の中に、お返しという形で反対方向への贈物の動きをひきおこす要素が含まれており、従って「交換」を結果として成立させる、いやほとんど強引に交換を引き起こすとさえ言える場合があるようだ。贈物を受け取ることを拒むわけにはいかないし、受け取った以上いつか何かお返しせざるを得ないのであるから。それにしても、本来見返りを期待することなくただ与えられるはずの贈物が、なぜこのようなお返しを呼び起こすことになるのだろうか。

モースの「贈与論」
 マルセル・モースは、「交換や契約が進物の形式でなされる」ような諸社会を検討しながら、この問いに取り組んでいる(マルセル・モース 1973)。「贈物を受けた場合に、その返礼を義務付ける法的経済的規則はいかなるものであるか、贈られた物には、いかなる力があって、受贈者にその返礼をなさしめるのか」(マルセル・モース 1973: 224)というわけである。この問いのたてかたから見当がつくように、この問題に対するモースの解答は2つの道をたどる。

 第一の解答は比較的わかりやすい。贈り物の制度そのものに「義務のメカニズム」(マルセル・モース 1973: 264)が内在しているという答だ。贈り物は外見上は「任意的になされ」、「自由で非打算的」であるように見えるけれども、実は「贈る義務」「受け取る義務」「返礼の義務」の3つの義務を含んだ拘束的な制度なのだというのである。なるほどしかるべき状況で贈物を贈らねばならない「義務」があるから人は贈り物を贈り、「受け取る義務」があるから贈られたものを受け取らねばならず、「返礼の義務」があるからお返しなければならない。贈り物が結局「交換」を引き起こすのもまったく当然だということになる。この解答はわかりやすいのでたいていの教科書に書いてある。でも、これは少し考えてみるとあまり満足のゆく解答ではないことがわかる。見返りの要求なしになされているはずの贈り物なのにどうしてお返しせざるを得なくなるのだろう、というのが問いである。お返しの義務があるからですというのではまったく答になっていない。

 また、この義務の3点セットが贈り物全般に当てはまるわけでもない。親が子供に対して贈るクリスマスプレゼントのように「返礼の義務」など全く含んでいないものもある。もっともモースは贈り物の形式で結局「交換」をしてしまっているようなケースだけを問題にしているのであって、贈り物一般について語っているのではないのだから、この批判は割り引かねばならないのかも知れない。たしかに前節で紹介したクラの場合などは義務の3点セットがまさに当てはまるケースで、贈り主はお返しをよこすよう念をおしながら財を手渡したりしているくらいであった。これは全くの余談だが、モースにならって、どの様な種類の義務(だけでは片手落ちで権利も当然考慮すべきだが)が日本のさまざまな贈与行為にともなっているかを考えてみるとおもしろいかもしれない。「贈る義務−受け取る権利」という組合わせが見られる場合もあろうし(例えば上司に対するお中元など)、逆に「贈る権利−受け取る義務」の組合わせのこともあろう(レストランで何人かで食事をとったあとに、誰が支払うかをめぐってしばしばおこる醜い争いを見よ)。日本はある意味で贈与慣行が実に複雑に発達した社会の一つなのである。同じ贈与慣行がさまざまなバリエーションをともないながら並存していることがわかるにちがいない。

 ところでモースの第二の解答の方はというと、かなり奇妙である。いきなり聞くとぶっ飛んでしまうかもしれない。贈られる物自体のなかにお返しがなされることを強制する力が宿っているというのがそれである。モースはさまざまな社会における贈与交換の慣習の背後に、物自体がもつこうした力についての観念を見出している。例えばニュージーランドのマオリのあいだに見られる贈物の霊「ハウ」の観念。マオリのある情報提供者は、要約すると、これを次のように説明したという。「ある人(A)が誰か(B)から品物をもらう。Aはそれをさらに別の人Cに渡す。やがてCからお返しの品物が届くと、AはそれをBに渡さねばならない。さもないとAは病気や死に見舞われる。というのも、AがCからもらったものは、AがBからもらいCに引き渡した品物のハウだからだ。」モースはこれを、贈物には霊的な力「ハウ」が宿っており、それはもともとの持ち主のもとへ帰ろうとしている、そして返礼がなされるまでその品物を引き渡された人に付きまとうのだ、というふうに解釈している。この解釈自体はどうやらモースの誤解だったらしいのだが(サーリンズ 1985,小田亮 1989)、贈物の形式での交換が発達しているところでは、しばしば贈られる物が単なる物ではなく、何か特別な力をおびた物みたいに考えられているということは言える。

 だからといってこれを返礼がなぜなされるのかの説明にしてしまうのはどうかと思う人も多いに違いない。日本でも、贈物には贈った人の「まごころ」がこもっているなどと言う場合があるけれども、これはいわば言葉の綾で、文字どおり贈られた品物のなかに何かが入っているなんて考える人はいないだろう。もちろん私も(そしてたぶんモースにしても)そんなことは考えていない。しかし、贈物として贈られたものが何かただの物とは異なるちょっと不可解な性格をもっていることもたしかなのである。身近な例で考えてみよう。繰り返しになるが、日本は贈物をめぐる慣習がけっこう複雑に発達した社会なので、この点で好都合である。

贈物のききめ
 贈物をもらうとたいてい嬉しい。でもその嬉しさは、買物や、チリ紙交換や、不用品交換バザーで得をしたときのように、贈物をもらってちょっと得をしたという意味での嬉しさではない。子供が父の日に絵なんかを描いて贈ってくれると、素直に嬉しい。部屋の装飾としてもあまり調和がとれていないので、たいていはしばらくのあいだ壁に飾られていて、そのうちいつの間にかどこかにしまい込まれてしまう運命にある。それほどもらって得になるものではないが、嬉しいものである(「こころ」がこもっているからだ?)。その嬉しさはもちろんその経済的価値とは何の関係もない。

 一方で贈物を受け取ることによって「借り」ができたと感じる場合もある。この場合にも、その「借り」は必ずしも贈られたものの経済的な価値とは比例していない。夏目漱石の「坊っちゃん」のなかで、主人公の坊っちゃんが、初め信頼をよせていた同僚の「山嵐」が実は陰で生徒を扇動していた張本人であると知って(もちろんこれは坊っちゃんの誤解だったのだが)、にわかに以前「山嵐」におごってもらった氷水の代金が気になってきてしまう場面がある。「ここへ来た時第一番に氷水をおごったのは山嵐だ。そんな裏表のあるやつから、氷水でもおごってもらっちゃ、おれの顔にかかわる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃいない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。」(夏目漱石 1991: 57)もちろん山嵐はこれを受け取ろうとはせず、この一銭五厘の借りは坊っちゃんにとってますます気にさわるものになっていく。ちょっと極端な反応ではあるが、坊っちゃんの潔癖さを物語る有名なエピソードだからご存知の方も多いだろう。アメリカの人類学者ルース・ベネディクトはこのくだりを評して、「些細な事柄についてのこのような神経の過敏さ、このような傷つきやすさは、アメリカでは、不良青年の記録や、神経病患者の病暦簿のなかで見受けられるだけである。ところが日本では、これが美徳とされている」(ベネディクト 1967: 125)と驚いている。

 一方坊ちゃんは幼い頃から自分を可愛がってくれた下女の清から三円という大金をもらっている。「その三円は五年たったきょうまでまだ返さない。返せないんじゃない、返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにはしていない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。...返さないのは清を踏みつけるのじゃない。清をおれの片破れ(かたわれ)と思うからだ。」(夏目漱石 1991: 57-8)坊ちゃんのケースでは金がからんでいるため、「借り」は文字どおり金の貸借関係のイメージと重なりあっているが、そこでも「借り」の重さ、その負担は実際の経済的価値にはよっていないことがわかる。それはむしろ与え手と受け手の人間関係に左右される。坊ちゃんのケースはやや極端であるが、それほど特殊でもない。先輩に喫茶店で一杯のコーヒーをおごってもらったときに、「御馳走さまでした」と思わず深々と頭を下げてしまうのは、一杯のコーヒーの値段から考えるとばかみたいな反応である。一杯のコーヒーのおごりがうむ「借り」の一撃は、明らかにその現金価値には比例していない(一瞬のことで、何日も続くものでもないが)。

 贈与がおこなわれるとき、贈られたものといっしょに何かが、あるときには贈ってくれた人との快い結びつきであると感じられたり、別のときにはちょっと厄介な「借り」と感じられたり、さらに別のときには両者が入り交じったように感じられたりする何かが、運ばれる。それは贈られた品物の経済的価値−使用価値にせよ貨幣価値にせよ−には比例していないし、またそれよって表わすこともできない何かである。例えば、それほど親しくない近所の人からの贈物によって生じた「借り」を返そうとして、それの価格に相当する現金を払おうとした場合を考えてみればよい。全然借りを返したことになるどころか、あなたは人間関係を壊してしまっている。

 経済的価値に還元することができないため、あらゆる贈物は個別的で、厳密には互に比べようのないものとなる。贈物によって生じた借りを返そうとしてもできることはこちらからも贈物を贈ることだけだ。最初の贈物と同時に同じものを返すということ(それは贈物を突っ返すことと同じである)が、禁じられている以上、最初の贈物とお返しの贈物との間には、時間的な差異と内容における差異という二重の差異がさしはさまれる。貨幣価値という尺度が無効であるとすれば(貨幣をもたなかった多くの社会での贈与慣行については言うまでもない)二重の差異を含んだ二つの贈物を互いに比較するすべはない。ある人から頂いた田舎から送られてきた漬物のお裾分けと、しばらくしてこちらから差し出した出張土産のお饅頭とをどうやって較べることができるだろうか。父親が自分に大学までの教育をつけさせてくれたからといって、そのお返しに今度は父親を大学に入れてあげるという訳にはいかない。ではどうすることがそれに匹敵するお返しになるというのだろう。答えなどない。ご存知だろうか。日本でも昔は「親の恩(師の恩も!?)はいくら返しても返し切れない」と言われていた。

 経済的な貸借関係とは異なって、贈物が作りだす「借り」は原理的にキャンセル不可能である。ちょうど誰かに殴られたとき、そいつを同じ強さで殴り返してみても自分がこうむった打撃を帳消しにしたりできないのと同じである。「借り」は、いわば相手によって自分の位置、立場が規定されたという感覚につながっている。それは一方的な規定なので、そこにはある種の上下関係の萌芽が含まれている。それが親子関係のようにすでに二人の間にある関係の再認識に過ぎない場合は、それは甘んじて受け止められ「借り」はとくに意識されない。しかし、そうでない場合はそれは返すべき「借り」としてときに強く意識される。お返しの贈物とは、今度はこちらから相手に「借り」の一撃を加えて均衡をはかろうという試みにほかならない。贈物形式の交換を通じてお互いの位置が繰り返し確認され再生産されていくのである。

交換と境界性
 上で述べたことは、日本の贈答慣行の論理の一つの粗っぽいスケッチであり、「坊ちゃん」みたいにわかりやすい話しに対するルース・ベネディクトの当惑からもわかるように、他の社会についてはあてはまらないだろう。しかし、すでに見てきたように贈物めいた交換は、世界中のほとんどあらゆるところで見られる。それをすべて贈物として一括してしまうことは、くどいようだが、特定の社会の概念を無批判に適用してしまうことで、あまりお勧めできないが、それらの慣行が贈物っぽく見える理由がないわけではない。時間的に隔たりをおいたり(ワインの注ぎあいのようにたとえその隔たりが数分、数秒程度のものであっても同時ではないことが重要である)、同じ品物のやり取りを禁止したりして、個々のやり取りを見れば常にそれが一方的な物の移動のように見えることがそれである。そして、こうした交換の効果は常に、経済的である以上に社会的である。それは当事者間の社会関係に一定の影響を及ぼす。「贈物」のこの奇妙な振る舞いは、日本では「借り」や「恩」といった変数によって語られ、他の社会では贈物そのもののなかに宿っている不思議な力や、「霊」といった言葉で語られる。

 しかし、なぜ単に物が当事者間を移動することによって、こうした奇妙な効果が生じてしまうのだろうか。こんなにまで似通った現象が世界中のあちこちで見られるとなると、一般化に関してはすごく慎重な人類学者(私のことだ)といえども、もしかしたらすごく単純なメカニズムがそこに働いているのじゃないかと、ついつい考えてしまう。  再び、日本の例で考えてみよう。贈物として誰かにあげられるものは自分の物だけである。当たり前だ。自分の物じゃないものを勝手に取ってきてそれを誰かにあげたとすれば、それは贈物ではなく、刑事事件である。しかし、こと贈物に関しては、この当たり前のことがそれほど当たり前でない域に達している。例えば、誰かから贈物としてもらったものを、ちょうどお中元シーズンでもあるしというので別の人に贈物としてあげてしまうこと、これはあまりよいことではないとされる。ばれるとひじょうにやばい。デパートで買ってきた物ならよくて、誰かからもらった物だとまずいというのは、いったいどういうわけだろう。どうも贈物をさらに第三者に回すことはいけないことのようで、私の母は急な来客に茶を出さねばならないのに買い置きの菓子を切らしており、たまたまそこに近所からの頂きものの菓子があったときなど、言わなきゃばれる訳がないのにわざわざ、「頂きもので申し訳ないのですが」などと言いながら出していた。贈物として受け取ったものは、自分の物でありながら、同時に充分には自分の物ではないとでもいうかのようである。贈ってくれた人の「まごころ」がこもっていたりするせいだろうか。

 誰もが同じようなものしかもっておらず、しかもそれを互いに贈物として交換しあっているアンダマン島民のような社会について、知らない人ならきっと「私有財産」の観念がさぞかし希薄な共産社会のような社会だろうと考えるかもしれない。こんないかにもありそうな誤解にマリノフスキーは釘をさす。「彼らは人にものをあげるということをあれほど熱心に考えるがゆえに、自分のものと人のものとのあいだの区別はなくなるどころか、むしろひどくなるのである。」(マリノフスキー 1980: 212)自分のものにこだわらない気前よさを示すためには、前もって何が自分のものであるかが逆にはっきりしていなければならないのだ。

 贈物の当事者たちはそれぞれ、自分と自分が自由に処分できる物からなる世界、はっきりした境界線によって囲まれた「自分の世界」をもっていなければならない。そして贈物とは相手の世界の境界線を破ってそこに打込まれた一撃、境界侵犯の行為だと言ってもよい。贈物はたとえデパートから配送されたものであっても、贈物である以上単なる物ではなく贈り主の世界からやってきた、贈り主のなにかがそこに刻み込まれた物である(「まごころ」がこもっている。ちょっとくどかったかな)。受け取り手は、贈り主の世界が刻みつけられた自分の世界には異質な要素を、甘んじて自分のうちに取り込まねばならない。贈られたものは、けっして完全には自分の物にはならない。それを受け取ることは自分の世界を贈り主の世界の影響下におくことなのである。モースが「贈物の霊」をめぐってたどり着いた議論もこれである。「ある者になにかを与えることは自分自身の一部を与えることである...だれかから、なにかを貰うということは、その人の霊の一部を貰うことである。かような物を保持しつづけることは危険であって、命にかかわることである。」だから贈物には返礼が必要となるのだ、というのがモースの結論であった(マルセル・モース 1973: 240)。

 第7章で「きたないもの」をめぐって紹介された「境界性」をめぐる議論を思いだしてほしい。贈物の交換をめぐって我々は、再びこの問題に出会ったことになる。境界はそれを侵犯する行為を通じてはじめてその正確な位置を明らかにする。贈物の交換は、互いに境界を侵犯しあうことを通じて両者の世界のあいだの境界の位置と性格を確認しあう行為である。贈物を通じて、無関係だった者のあいだに関係ができていったり、既存の社会関係が確認されたり、再定義されたりするというのもこのことに起因する。贈られたものは単なる「物」ではなく、境界線を往来することによって境界線上の存在に固有の「奇妙な」性格を必然的に宿した物となるのである。

経済的交換と贈物交換
 経済学では交換はもっぱら必要なものを手に入れるための手段であり、またそうしたものとして発達してきたように描かれている。しかし市場経済をもたないさまざまな社会では、こうした経済学的な交換よりも贈与交換、つまり贈物形式での交換の方がずっと一般的に見られる。ラドクリフ−ブラウンがアンダマン島民について指摘していたように、贈物形式の交換も一定の経済的役割を果たすことはできる。しかしそれが目指しているのは経済的な機能というよりは、むしろ社会的なものである。

 まとめの意味で、この二つのタイプの交換の違いを整理しておこう。 典型的な態度:贈物に典型的な態度は気前のよさである。これに対し、経済的な交換を特徴づけるのは利得の追及である。
社会関係:贈物の場合、交換が成立することによって無関係だった者どうしが結びつけられたり、すでにある関係が強まったり、変化したりする。つまり交換の成立が関係を作る。これに対し経済的な交換の場合、交換に入るにあたっては特別の関係は前提とされておらず、交換のあいだ一時的な取り引きの関係が生じ、交換が成立するとその関係は解消される。つまり交換は関係を解消する。実際、ハンバーガーショップでハンバーガーと現金を交換する度にお店の女の子と新たな関係ができ上がったりした日にはうっとうしくてかなわないだろう。たぶん。
等価性:贈物の場合、交換された物どうしを比較する一定の基準はない。むしろ厳密には比較不可能であり、二つの贈物が釣り合っているかどうかの判断は漠然としている。これに対し、経済的な交換の場合、交換されるものの等価性に対する合意が厳格に追及される。
時間性:贈物の場合、二つの贈与行為が時間的に隔てられることがしばしば重要である。経済的な交換の場合基本的には交換の同時性、直接性が要求される。


 二つの交換形式は、ほとんど正反対と言っていいほど対照的である。我々がよく知っている利得目的の交換よりも、贈物形式の交換の方がより一般的な交換の形式であるのだとすれば、一つの疑問がもちあがる。どちらの形式も交換の当事者間での物の移動であるという点では、違いはない。仮にこうした物の移動が、つねに前節で見たような「効果」をともなってしまうのだとすれば、一見こうした効果をまったくともなっていないように見える経済的な交換が、そもそもどうして可能なのだろうか、という問いである。あるいは、こう言い直してもよい。経済的な交換は、どのような方法で物の移動にともなう贈物的「効果」を消し去ることに成功しているのだろうか。

 贈物において、この効果を消し去るおそらく唯一の方法は贈物を受け取らないこと、それを突っ返すことである。同じものを同時に返すことによっても、それは可能である。経済的交換は、まさにこれを目指している。直接性、同時性の強調がこれにあたる。クラ圏でクラと平行しておこなわれている経済的な交換、ギムワリにおいては、決済はその場でなされねばならなかった。ただし経済的な交換においては貰った物と同じものを渡したのでは話にならないので、こちらの点に関しては二つの品物の等価性を強調することでカバーしている。こうした交換には値切りやふっかけがつきものである。単により得をしようという意図だけで、こうした交渉がおこなわれていると考えては片手落ちである。もちろんそれもあるが、実際には人々はまるでゲームのようにこうした交渉を楽しんでいる。値切り交渉は、この種の交換の本質的な一部と言えるほどである。貨幣という共通の尺度のない社会では、この長々と続く交渉を経たことが、まさに交換されたものの等価性を保証するのである。この交渉によって、両者は「同じ」品物になるのだ。

 しかし、おそらく我々の社会ほどこのタイプの交換を首尾よく成立させている社会はないであろう。貨幣の存在がおおいにこれに関係している。単に貨幣が共通の尺度として機能することによって、等価性が見えやすくなっているというだけではない。冒頭で、私はお金でものを買うことが交換とは若干ニュアンスの異なる行為である点に注意を向けておいた。アダム・スミスやその他の経済学者は、貨幣も、きわめて特殊なものではあるが、商品の一種であると考えているようであるが、実際には貨幣は商品の、交換される品々の秩序には属さない独特の存在である。貨幣を支払うことは、他の一切の品物ではそう易々とは成し遂げられないことを、一気に成し遂げる。つまり、それは贈物のあらゆる効力をキャンセルしてしまうのである。私は、貨幣の起源などを論じるつもりはないし、その準備もないが、「貨幣」という言葉自体、ケガレや危険を「祓う」ための呪物である「御幣」に由来するという説がある。そう言えば、お金を「払う」という言葉も「祓う」という言葉に似ていなくもない。その起源がなんであれ、少なくとも我々の社会では、貨幣が交換を媒介しているおかげで、贈物のやり取りが引き起こすだろう煩わしい関係に入ることなく、そんなことをほんの一瞬も意識することなく、我々は毎日無数の人々と交換関係に入ることができているのである。
posted by tuto at 02:23| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

非経済共同体の可能性

沈黙交易は交易方法の原初的なものと考えられ、異種族間の交易方法として、その一風変わった形式から注目されてきた。ある決められた場所に品物を置き、合図をして姿を隠すと、取引相手が現われて等価と思われる品物を、相手の品物の傍に置いて去る。取引の両者が相手の品物に満足すれば、相手の品物を持ち帰り、交易が成立する。このような形式の交換では、取引相手は必ず一対一(部族同士あるいは共同体同士)に限られ、交換レートをほかの尺度に置き換えて用いるような一種の貨幣の形成もあまりみられない。



春休み最後の一日。
何も用事がない日というのは結局春休みのあいだこの一日しかなかった・・・ので、謡本を買いに三宮に出かける。
『葵上』『屋島』『殺生石』『安達原』の四冊を購入。
なんだか恐そうな話ばっかり。

ひさしぶりに本屋に来たので、コミックを大量購入。
川原泉『甲子園の空に笑え!』吉田秋生『夢みる頃をすぎても』『ラヴァーズ・キス』森田まさのり『ろくでなしBlues』西原理恵子『鳥頭紀行』『アジアパー伝』。
川原泉や吉田秋生は、るんちゃんが洗いざらい東京に持っていってしまったが、ときどき発作的に読みたくなる。
川原泉の『銀のロマンティック・・・わはは』がウチダは好きなのである。
名越先生の『ホムンクルス』を探すがみつからないので、あきらめてAmazonで買うことにする。

そういえば、どうしてインターネット書店が「アマゾン」なんていうネーミングにしたのかについて朝日カルチャーセンターでの講演中に発作的に思いついたので、忘れないうちに書きとめておく。

インターネットでお買い物というのは「沈黙交易」の今日的な甦りであるという仮説である。

「沈黙交易」というのは、交易の起源的形態で、ある部族と別の部族の境界線上にぽんと物を置いておくと、いつのまにかそれがなくなって代わりに別のものが置いてある・・という、交易相手の姿も見えず、言葉も交わさない交換のことである。

ウチダの考えでは、この沈黙交易こそが交換の本質的・絶対的形態であり、これ以外の交換はすべてそれが堕落したものに他ならない。

交換というのは「私が欲しい物を君が余らせている。君が欲しいものは私が余らせている。おや、ラッキー。じゃあ、交換しましょう」というかたちで始まるものではない。
そういうのは「欲望の二重の一致」と言って、「ありえないこと」なのである。
交換においては交換される物品の有用性に着目すると交換の意味が分からなくなる。
交換の目的は「交換すること」それ自体である。
考えてもみたまえ。
どうして大航海時代なんていうものがあって、ひとびとが海図のない旅に乗り出したのか。
それはヨーロッパはすべてが「既知」になってしまって、もう「姿も見えず、言葉も交わすことができない交易相手」がいなくなってしまったからである。
そういう交易相手を探して、ヨーロッパ人はアジアやアフリカやアメリカにぞろぞろ押しかけたのである。別に胡椒やら砂糖やら煙草やらお茶やらが「欲しかった」わけではない。そんなものなしでそれまで何千年も気楽にやってきたのである。どうして命がけでそんなものを手に入れる必要があるだろうか。
人間は交易という行為そのものがしたいのであって、交易されている「もの」には副次的な意味しかない。

20世紀になって、地球上から「暗黒大陸」がなくなって、それと同時に「言葉をかわすことも、姿を見ることもない交易相手」は消滅してしまった。
そこにインターネットが出現して、私たちはふたたび沈黙交易をすることができるようになった。
だから、「アマゾン」なのである。
「マットグロッソ」の森に向けてそっと電磁パルスを打ち込む。しばらくすると宅急便の配達のお兄ちゃんが「ぴんぽん」をチャイムをならして「はい」と本やCDを届けてくれる。
アマゾンさんがどういう会社組織で、どこに本社があって、誰がそれで利益を得ているのか・・・私たちは知らない。というか知りたくない。
知らないからわくわくするのである。

私たちが交換に求めているのは純粋状態のコミュニケーション、すなわち「私の理解も共感も絶した他者と、私はなお交換をなしうる」という事実を確認することなのであり、そのような能力をもつことで人類は類人猿と分岐したのである・・・
という話。

だから携帯メールというのも新手の沈黙交易なんですよね、という話に繋がるのであるが、どういう理路でそうなるのかはみなさん自分で考えてね。

人文科学のコーナーで自分の本がどんなふうに配架されているのかチェックにゆく。
私の本は「西洋現代思想」のところに置いてある。
『子どもは判ってくれない』や『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のようなお気楽エッセイがどうして「西洋現代思想」に分類されるのか。ジュンク堂さんの分類原則はミステリアスである。

家にもどってはっぴいえんどを聴きながら、西原理恵子をげらげら笑って読む。
ひさしぶりの休日気分。
でも、今日でおしまい。明日からは書類仕事が待っている・・・

http://blog.tokeidai.net/reading/silent-trade2/


みなさん、なぜ私がプロフィール欄で「マーケティングという言葉にとても違和感 を持つマーケティングのコンサル屋」と名乗っているのか、その理由をご存じでし ょうか?
マーケティングという用語に存在するマーケットとは市場であり、現代は一見した ところ、市場経済の論理で全て機能していると一般的には思われています。
ところが、そのように捉えた途端、見失ったり、誤解してしまったりすることが多 数発生いたします。
今回、事例としてワン・トゥ・ワン・マーケティング協議会の坂本正治氏の論考を 参考にしてお話を進めましょう。
http://www.1to1.ne.jp/special25.htm
(以下のお話をご理解いただくためには、この論考を必ずお読み下さいね)
ここで坂本氏は、コミケなどの事象を通じて「非定型市場」に注目していることま では鋭さを示しているのではありますが、残念ながら肝心なところの詰めが甘いと言 わざるを得ません。
それは、そこに書かれている次の発言から見て取れます。
「非接触型交易は、非接触型ライフスタイルを前提にしている。非接触型ライフス タイルは近代社会と近代文明の産物であって、交易・通商の起源に比べれば、はる かに歴史が浅い。」
う〜む。これはかなり甘い認識です。少し勉強不足と言わざるを得ません。
なぜなら、日本のみならず過去を遡れば世界中至る所に、「沈黙交易」なるものが 存在しました。
沈黙交易とは、例えば、山の民と農耕民とが、片方がある場所に交換するものを置 いて姿を隠し、その後、もう片方がそれに対しての交換物を置いて姿を隠すという 形でお互いに話をせずに交易を行う形態を指します。
ここで、元・経済人類学者??栗本慎一郎氏の論考を見てみましょう。
『以上の認識を基礎として、反対者たちがまるで無視しているアジアの、ことに日 本における沈黙交易の存在を論じてみよう。もっとも、戦前鳥井龍蔵教授は東南ア ジア全般にこの交易法の慣習が広く存在したとした。岡正雄教授はこれを受けて、 中国の鬼市(Ghosts’Market)と称する姿を見せない鬼神(これは異人の表象であろ う)が無言のうちに交易を行う例を挙げているが、それらの孝証はいずれ別個に行 いたい。 著名な民俗学者南方熊楠もこの鬼市について述べている。 日本には実は、世界的にみてヘロドトスの記述に次いで古いと思われる沈黙交易の 報告がある。それは、「日本書紀」斉明天皇六年(西暦660年)三月の条である。』 (註1)
このように、様々な研究者の発表によると、交易形態において、世界中で見受けら れた形態のひとつが「沈黙交易」です。
商業・交易は、接触型の物々交換から始まり、それ以降は非接触型交易がなかったと する説は小学生の社会科教科書までで留めておくべき「常識」なのです。
坂本氏の言われるような非接触型交易は近代特有のものということは決してあり得ず、 逆に近代以前の社会において普遍的に存在したものなのです。
従って、坂本氏の主張は次のように言い換えられるべきものであるはずです。
非接触型交易は、近代以前においては沈黙交易という形態で普遍的に存在した。
ところが、近代以降、市場経済が思いもよらないかたちで蔓延してしまい、それに伴 って非接触型交易も一見、消滅してしまったかのようなものとなってしまった。
でも、2000年近くまたはそれ以上というスパンで続いてきた非接触型交易という形態に対して、 本格的な展開はここ100年というレベルの市場経済一色という社会に何らかの無理が あるということは十分考えられることである。
そのような状況下、インターネットが登場し、それが一種のカルチャーとして世の中に浸透してい くに従って、再び非接触型交易が登場するというのは、一種非市場経済的な揺り戻しが起こっているとは言えないのであろうか。
私はインターネット社会となって、今までのように市場社会ということでは捉えき れない大きなウネリのようなものが起こっていると感じています。
そもそも栗本氏的に言い切ってしまえば、市場経済自体が近代特有のガン化した病 にかかった社会であり、非市場経済こそが普遍的社会の姿であるということになり ます。
だとすれば、インターネット登場後に、非市場経済への大きな揺り戻しの現象が見 受けられる、あるいは近代とは違った新しい時代が始まりつつある兆候が見受けられる とは言えないものなのでしょうか?
勿論、それは、そこかしこに見受けられます。
典型的事例としては、ネット上のオークションに見受けられます。
これこそ、ネット社会における沈黙交易とも言える現象です。
個人的にも知っていますが、一個人がこのネット・オークションを利用することだ けで、メシが喰えるという現象も起こっています。
税務署さんもたいへんで、海外のオークションサイトで得た売上は、税務申告しな くても済むかもしれないとの、市場経済論理を前提とすることでは掌握しづらい状 況ともなってきています(笑)
今、経済学理論が現状と乖離していて、机上の空論なのではないかというイメージ を抱かれかねない状況は、経済学が市場経済の論理だけで考えようとする頭しか持 っていないことが原因となっているように思えてなりません。
あまりにも合わないので、その隙を突いて現場に根ざしたというイメージのある経 営学という学問が力を持とうとしているということなのでしょう。
言葉論議だけの話にはしたくはありませんが、市場社会という視点ではなく、非市 場社会的という普遍的?なウネリがあるという意味で、今までマーケティングと呼 ばれてきたものを、私自身は、それを「商売戦略」と呼び変えてみたいと思います。
その理由は、
1.「マーケット=市場」唯一中心主義では、今の経済を捉えきれない。
2.マーケティングの定義を「伝えたい価値を顧客に伝えるようにすること」とすれ ば、そもそもマーケティングという言葉のイメージと違いすぎる。
3.ビジネスにおいてかなり根幹的なことであるのに、訳の分からない横文字でしか 表現出来ないこと自体、不自然である。
4.商売戦略と表現してしまえば、大手コンサルティング会社の役に立たない手法 を前提にしなくて済む。MBA然り。
ですから、誠に勝手ではありますが、次回以降のお題も「21世紀型マーケティング」 ではなく、「21世紀型商売戦略」と変更させていただきます。
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aida makoto

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サタデーナイト

KABA'ちゃん、アジャ・コングに「女性器を譲ってくれ!」。

華原朋美がああなってしまったのは、「大スターになる」という夢と引き換えにかわした喪黒服造との約束を破ってしまったため。



僕も「ヘヘッ!これで僕の事滅茶苦茶にぶん殴って下さいッスよ!」
とか言いながら棒キレ手渡してますからね。


まあそりゃね。「○○子と一生幸せに過ごせますように!」なんて書いてるもんだと思い込んでて、
出てきた短冊に「国王になりたい」とか書いてりゃ怒りますよ。
婚約指輪だと思って開けた箱にガンダムが入ってたら誰だって怒るわ。

■何度聞いても痛快だよなぁ、お前の親父が振り込め詐欺の電話の相手に向かって「うちの保は! 三年間家から出とらん!!」って、啖呵切ったって話。

■一度もやってないけど、お前ん家行くたび、プラレールパクるチャンスうかがってた。一度もやってはいないけど…

■中学校二年の頃かなアタシ、「霊感がある」とか言いはって、「真由美ちゃんにはお姫さんの霊がついてる」とか「優子ちゃんにはカエルの霊がついてる」とか、適当なこと言っちゃって… そのうちみんなにウザがられはじめても、アンタだけは「私にもく… 首の無い馬の霊が見える…」って乗ってくれて。そのうち、そんなアンタがうっとおしくなっちゃて、「アタシ、朝起きたら霊感が消えてた!」ってことにして、しばらく会わないでいるうちに、アンタ転校しちゃったね… 今アタシ、新潟で小さなスナックやってる。いろいろあって、すっかり他人を信用できなくなっちゃってるけど、アンタとだったら心を割って話せるような気がするんだよね…

■いつの間にか美化されてしまった、俺の手の傷の伝説。真実は、ベンキマンのキン消しの頭に乗ってるウンコをカッターで切り取ろうとして… 失敗したものなんだ…


■なんか、「こんな俺にもいい思い出ないかなー」って考えると、昔学校で「今日の午後、大地震が来る!」って噂が流れたとき、みんなでかわりばんこに男子便所に入って、最後のオナニーをしたこと、思い出すんだ… あれ、いい思い出で… いいんだよな…?






















■ふたりで拾ったブラジャーを、ふたつに切って分けあったあの日。













■中一の夏休みに、「みんなで五丁目のお化け屋敷に肝だめしに行こう」ってお前が言いだしたとき、俺ひとりが「絶対やめたほうがいい!」って反対した。「なんだよお前! お化けが怖えぇのかよ! ただの廃墟だろ!」って言われても、俺かたくなに「行かない!」って言ってたのは、怖かったんじゃない、俺ん家だったからだよ!

■もしお前が、まだ遊戯王続けてるんだったら、俺の家に来い。レアカードがたくさんあるから。代償なんて何もいらないよ! ていうか、お前んだ!


■《「ケンイチ、自転車のかごにゴミを入れられる」の巻》
自転車で近所のスーパーに行ったケンイチ君。ひとしきり買い物も終わり、そろそろ家に帰ろうと自分の自転車に戻ると、かごにスナック菓子の空き袋やらペットボトルやら空き缶やらゴミが満載。一本行くかと思いきや、「まだ三十分のアニメ一本分のエピソードには短い」とガマン。スーパーのゴミ箱の前に行き、ひとつひとつゴミを捨てていると、店員がやってきて、「申し訳ありませんが、家庭ごみの持込みはご遠慮願いますか?」と言われてしまった。ゴミ満載の自転車を無我夢中でこいで、知らない街についたケンイチ君は…




舞台は小学校の昼休み。給食が終わり「ドッジボールをしよう」ということになりました。みんな走って校庭駆け出していきます。しかし動物小屋の前を走りすぎようとした時のことです。「自分の体がおかしなことになっていたんだ」ということを思い出しました。首から胴体が落ちそうなのです。へ? なんでこんな状態になってるのかわからず、体中から汗がドバドバ出てきます。校庭からは、友達が「早く来いよ! 早く来いよ!!」と叫んでいます。僕は首が落ちないように手で押さえ、「まず落ちつこう… 落ちつけ… みんなげ気づきさえしなければ大丈夫だから…」と思っていて、ふと飼育小屋を見ると、僕が世話をしていたウサギが十匹ぐらいこちらをじーっと見ています。「あー気づかれた…」と思って、また汗が滝のように流れてきます。「もうダメだ…」と思っていると、その中の一匹が突然立ち上がり、真剣な顔をしてこちらに歩いてきます。「ああそうか、君が夢太郎か… やっと会えた…」と思っていると、目の前に来た僕と同じぐらいの背丈のウサギが、突然ニターッと笑って「あれ? 首? 取れてんじゃないの?」とゲラゲラ笑いながら頭をつっついてきます。「やめてくれよ!! やめてくれ!! 本当に取れちゃうじゃねぇかよ!! もうダメだよ!!」と思ったところで目がさめました。メモには「ウサギ、ごめん」と書いてありました。





「えなりかずきに似てない?」と合コンの席でついに言われ、すかさずこの時のために練習を重ねてきた「そんなことないよ母さん〜」を連発。






妹にフマキラーかけたら動かなくなった





・ゴキブリは、今まで食べたものを覚えていますか。

DIO さん 群馬県 10さい 男の子

ほんの数時間前なら、何を食べたか記憶力があるようです。例えばある餌を与えた後、
罰を与えると、しばらくの間その餌を食べなくなるという報告がされています。




・ハチの中でも社会性を持たない種は多いのに社会性を持つ種は複数の分類群に跨って存在します。
このことから他の種では稀な社会性の獲得がハチの進化の過程では幾度も起こったと考えるのが
妥当だと思われますが、だとするとなぜ何度も社会性の進化が起こったのですか?
ドーキンス さん 新潟県 21さい 男の子

昆虫界で社会性が独立に何度も起こったという考えは学会でも支持されています。それぞれの
種の生活の中では独特の社会性が形成され、それはそれで独特のメリットと限界を含んでいます。
進化というのは一つの筋で進行しているのではなく、日和見的でご都合主義で、
部分的であると思います。社会性は間違いなく新しい可能性を付与するが、
単独性の方が優れたときもあるのです。
そうすると、いったりもどったり、とまったりということが往々にして起こります。
これが、社会性が独立に何度も起こる理由と考えられます
posted by tuto at 17:45| 東京 🌁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フィギュアに毒を塗って出荷したら、オタクがみんな死んでしまうという仮説

人と人が一緒にいるという事は一体どういう事なのだろうか


その傷をおまえは誰かに泣きながらぶつけなさい






『幸せになる』なるということ、『家族』というもの、それは二人から始まるものではないだろうか。
 其処に在るのは幸せな家族の形というわけではない。結局家族計画は“崩壊”という展開をもたらす。それは他人同士であるといった理由で終わることもできるし、家族ごっこという形だけで終わっているともいえる。そのなかにある相手を見返りなく思いやったり、鬱陶しさをぶつけたり、一緒に暮らすことにある問題が浮き彫りとなる。各個人が抱える問題もあからさまに出てきて、釈然としない人間関係。

ゆえに寛が言うこの疑似家族を維持するためにも「相手の状況改善を貢献するためにも義務と権利が生じる」という発言も納得でき、物語を終えた時、非常に意味ある言葉として残る。家族計画とは幸せになることへの学びであったのではないだろうか。それぞれが抱える“傷”を通して人物達は学んだいったのではないだろうか。

philosophy(哲学体系、原理、人生観、) 

 物語を終える時に聴くその歌、その詩が大切な何かを語っているように感じた。

 真純は自殺といった願望を抱え、何かを欲しているようにさえ見える。それは最後に描かれる本当の「愛」 前の夫は金にすがる。その象徴を受け取った時、はきっりと見える利用価値に騙されたものがそこにある。末莉は生きることに精一杯のため、無垢でもあり同時に人から疎外される存在でもある。その感情ゆえに胸打たれるものもある。“人を好きになった時”その感情もまた真っ直ぐだった。互いが見出すことに彩られているシナリオでもあり、司によって教えられたというのが二人を通して強く伝わる。


君に出逢えたから気がついた 自分の中に流れていること

誇りに思える 何かがきっと 心の中に芽生えたこと


 誰からも助けはいらずただぶっきらぼうに生きる青葉にとって信じるものひとつは祖父との思い出。そこには少しの勘違いやすれ違いがあり、また“死んでも相手を思いやる”といった気持ちが溢れており、司と共に過去のパズルを繋げた時にある「亡き祖父の想い」が胸を打つものがある。どこか共感したものがあった人もいたのではないだろうか。準はまったく家族というものに関心がないようにさえ見える。それは気持ちの裏側で本当は誰よりもここに居たいと願っているからこそ自己犠牲をしてしまう人。それをまったく見返りなく許す春花や笑顔で受け入れるそれぞれによって心温まる感動がある。人の温かさに触れたときにある感動というものが何より共通しているように思える。


君に触れたから 優しさや 許し合うこと 今はわかるんだ

歩き出す僕を背中を押した 君の言葉を忘れないよ


 貰うより与えることのほうが幸福。それはここにいる人たち以上に自己犠牲ができる優しく不器用な人。目の前に居る親にさえそれを告げづ、相手の幸福を願い笑おうとさえする。散々辛いものを見てきた彼女にとって“悲しむ”という感情は何も生まないと考えているのかもしれません。どんな時も自分らしく、彼女の強さと包み込む温かさに教えられるものがある。“見返りを求めない”


あの日の涙が教えてくれた 悲しみさえも道を照らすこと



強制的な涙を流すものではなくそっと温かいものがそこにあり“幸福感”により感動する。

司が思う「幸せ」なんて望まなくても生きていけるといった価値観はどこか共感してしまうものがある。

だからこそ幸せになっていく人物たちに胸打たれるものがある。

泥ぐさく生きていく人たちに『幸せになってもいいんだよ』と背中を押される。

幸せな家族の形のヒントがそこにあるのかもしれません。






――ヒューマンドラマ。
この言葉に尽きると思う。色々な生き方があり、平凡な生き方やそうでない生き方、どちらも等しく価値があり無意味であったりもする。大切なものは生まれ、育ち、立ち去るまで――命ということだろう。それを伝える司とあかりの人間ドラマ。

 家族計画からのその後の物語。短い話ではあるがそれは司のあせりというものを表しているようにも思う。

  「どうして、親って選べないの?」

 疲弊し欺瞞に生きるしかなかった母を思い、親元を離れて生きようとするあかりが唯一すがったものが司であり、その司がもう長くないことも知っている。誰かに寄生することも、強烈にひとりで生き抜くこともできる。だからこそ司は自分に依存しないように追い返そうとする。

  
  「おまえは……おまえの居場所で、主役を張りゃあいい」


  「……司のフリ見てわたしは育つ」


 少しだけすれ違いながらも温かい交流があるのは抱えている寂しさがあるからだろうか。疑問に思うことをあかりが司に問いそれに応え教えようとする、そのやりとりがなんとも微笑ましい。自分は何かをしているんだって一番思える時間なんじゃないかなと。そういうことを繰り返していってやがて司も思うわけだ。

  
  「条件を一つ追加だ」
  「おまえはな、おもいっきり幸せになってやれ。それがもう一つだ」

  「幸せになれ」

 
 こういった言葉のひとつひとつに重みを感じるのは「家族計画」を通して司という人物をみてきたから、寂しさを抱えながら幸せになっていく姿をみてきたからこそひとつの言葉にも様々な想いを感じる。“自分が美しいと感じたものを相手にも同じように感じてもらいたい”という願いがある。

  悲しみさえも道を照らす、ということだと思う。


 この作品には「死」がある。それはあることの終わりでもあり始まりでもある。『そしてまた』という言葉にも感慨深い。それを感じさせたのはあかりの涙でしょうか。あっけなく終わることが悔しくて寂しさを抱えている感情を全て出したことで周りの人々も救われたでしょうし。家輝さんが「君が泣いてくれたから」という言葉も温かかったなぁ。これまでの司とあかりの時間がふたりの中にだけにある絆を感じさせる。司の死がどこか清々しく感じるのも彼の生き方を表しているからだろうか。

 その後の素っ気無いあかりの姿は芯のある心の行き先が決まったからなんだろう。

 
  「自分の意志とは関係なく出る涙」
  「泣き虫の換気扇は、涙だよ」


と司は末莉に伝えていた。末莉とあかりは正反対なんだけどどこか雰囲気が似ているものがあるように思う。

 『転んでも泣かない』―――転ぶことは歩きださなきゃできないこと。

素晴らしい関係だなぁ。その言葉を胸に、また逢えると信じて生きてゆくわけだから。

 
  ―――地を蹴る、絆を目指して―――


 かつての誰かの姿が目に浮かびました。

 幸せを目指して、とまた背中を押された気がする。





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許し合いことや受け入れること、過ちは哀しみをもって接すること、

そういったことを家族計画を通して学んだ司だからこそ、家族を選べないことからくる苦悩と寂しさを抱えているあかりだからこそ人と人とが描いたヒューマンドラマ。

何度見ても司とあかりの会話がとても温かくて微笑ましい。ああいうやりとりって今は少なくなってきているのかなとも思う。だからこそ温かいと感じたのだろう。同時に自分もどこか寂しさを抱えているのかな…それは『家族計画』を通しても感じたことです。

ゆえにあかりの涙に胸を打たれたのだろう。



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2007年07月12日

ベトナムへの道

私は97年2月ベトナムへ赴きました。その前後に考えたことをメモの形で
まとめてみました。あくまでも私的なメモであり、コメントは歓迎しますが
これをもとに議論を戦わせようという気はありません。

『ベトナムへの道』 --- 核冷戦下での兵器消費

●二つの冷戦

第二次世界大戦が終結を告げた1945年、既に冷戦は始まっていました。
スターリンとルーズベルトはある程度うまくいっていたようでしたが、チャ
ーチルは違いました。1945年4月、ルーズベルトは大戦の終結を見るこ
となく病気でこの世を去ります。副大統領のトルーマンは、ただちに大統領
に就任。8月に原爆を広島、長崎に投下します。この核の圧倒的力により、
大戦を終結させたのです。

戦後すぐの1946年3月、トルーマンはアメリカの故郷の街フルトンにチ
ャーチルを招聘。チャーチルは有名な鉄のカーテン演説を行います。「ソ連
の共産主義に備えよ」と、アメリカ国民にも強く訴えたのです。これにより、
核の勢力下での米ソ対立は決定的になりました。

しかし、この時点でソ連は核を保有していなかったため、アメリカは非常に
有利な立場に身を置くことができました。ソ連が核開発を行うには相当の
年月が必要という楽観的な観測が流れていました。つまり、冷戦とはいうも
のの、アメリカの圧倒的優位が続いており、そのためにアメリカは核を実際
に使用する必要性がなかったのです。

ところが1949年、この状況は一変します。ソ連で初めての核実験が成功。
1950年は、米ソ両国が、いや全世界が「核冷戦」下の不安の中で迎える
初めての新年となりました。

私は冷戦を2つの期間に分けて考えるべきだと思います。49年までの冷戦
と50年以降の「核冷戦」です。この核冷戦によって、一触即発の緊張状態
下で、あらゆる政治的軍事的交渉が行われることになったのです。

●核冷戦下のジレンマ

アメリカ軍需産業は、究極の兵器として核を作り上げました。しかし、この
核によって、アメリカ軍需産業は皮肉な運命を背負わされることになります。
つまり、戦争を起こすことが難しくなったのです。軍需産業は戦争がなけれ
ば儲けにあずかることができません。兵器が消費されないことには、基本的
に利益をあげることができないのです。

しかしながら、核冷戦下で戦争を仕組むことは、軍需産業を含む人類の一瞬
の死を暗示させるものでもあります。したがって、軍需産業にとって生き残
る道は、核戦争に発展しない規模に巧妙にコントロールされた、局地的、ゲ
リラ的、且つ遠隔地での消耗戦となったのです。

このような状況下での最初の局地戦は1950年に起こった朝鮮戦争でした。
ところが、この戦争では二つの重要なテクノロジーがまだあまり発達してい
ませんでした。一つはロケット、もう一つはメディアです。

そのため、この代理戦争においては、ワシントンやモスクワがミサイルで核
攻撃される心配は少なく、母国から遠く離れた「安全地帯」で行うことが
できました。朝鮮戦争の戦況もテレビメディアで国民に直接伝えられること
はまだ少なく、そういう意味でも政府にとって都合のよい時代だったのです。

●次なるチャンス

アメリカの軍需産業は最低10年あるいは15年に1度は大きな国家紛争が
ないと生き残れないとよく言われます。1960年代初頭、朝鮮戦争から約
10年、アメリカの軍需産業は瀕死の状態にありました。

この時期にベトナム情勢が不安定になったのは、表向きにはアメリカにとっ
ての災難でしたが、一部の人々にとってはこの上ないチャンスでありました。

朝鮮戦争と異なる条件は、核ミサイル技術の発達と映像メディアの普及でし
た。これらの条件は、アメリカ軍需産業にとって、有利なものではなかった
のですが、それでも千載一遇のチャンスの到来に違いはありませんでした。

核を使わずに通常兵器を大量に消費したい。そのようなニーズに、ベトナム
は、おそらく最適だったのではないでしょうか。

●私の見たベトナム

私は、以上のような興味もあり1997年2月にベトナムを訪れました。
率直に感じたことは「ベトナムには中心がない」ということです。

例えば、フランスとの国家紛争を考えてみてください。パリを占領すること
が、フランスを降伏させる最も早い方法でしょう。日本にも東京や京都があ
りますし、アメリカにもNYやLAなど中枢的大都市があります。

ところがベトナムでは全てのものが「分散」しています。ベトナム戦争では
南北の境界線上でのみ戦闘が行われたのではありません。当時の南ベトナム
領土内には多数の北側ゲリラが分散して潜んでおり、彼らは幾度となくサイ
ゴンに奇襲をかけ、アメリカ大使館の爆破さえ行いました。

したがって、ハノイが落ちれば戦争が終結するという単純な構図ではなく、
アメリカにしてみれば南ベトナム領内の北側ゲリラの拠点を、しらみつぶし
に攻撃する必要があったのです。

これは「ベトナム戦争の泥沼化」と呼ばれていますが、この状況こそが、
軍需産業にとってはこの上ない好条件でした。中心がないため、核すら効果
的ではなく、大量の通常兵器を長期間使用するほかない軍事的パラダイスだ
ったのです。サイゴン(現ホーチミン)市内にも特に主立った歴史的建造物
はなく、ベトナムから奪い取るものは何もなかったというのが、あくまでも、
私の個人的な感想です。サイゴン自体も、極度に集中化した都市ではありま
せん。アメリカはイデオロギーという大義名分だけを理由に、この戦闘を継
続させたのです。

つまり、ベトナム戦争は泥沼化したのではなく、意図的に泥沼化させられた
のではないかというのが私のささやかな仮説です。ベトナムで使用された典
型的な兵器に軍用ヘリコプターがありますが、事実ベトナム戦争が起こって
から、ベルヘリコプター社の株は急騰しています。

ビリージョエルのアルバム「ナイロンカーテン」は「アイアンカーテン」の
比喩で、ベトナム戦争を意味しています。このアルバム収録の曲「グッドナ
イト・サイゴン」にヘリの音が効果音として使われているのは、まさに象徴
的と言えましょう。

●JFK

ベトナム戦争は、1963年頃本格化しました。当時の大統領ケネディは、
この紛争への介入の長期化をどちらかというと避けようとしていました。そ
して、63年11月、ダラスであのような事件が起こってしまいます。ケネ
ディの頭部が吹っ飛んだ瞬間、ジョンソンはそのわずか数十メートル後ろで
一部始終を目撃していました。

副大統領だったジョンソンは大統領に就任しますが、あの事件を間近で目撃
しているジョンソンには、軍部からの依頼に盲目的に従うしかなかったよう
です。64年8月、連邦議会は、ベトナム戦争に関する全権委任状をジョン
ソンに託し、事実上、ベトナム戦争はアメリカの戦争になりました。全権
委任を受けたジョンソンは、ペンタゴンの出す提案にOKを出し続けること
になったのです。

ケネディ暗殺については、このような断言を行うことは無謀かも知れません。
63年、キング牧師を中心とする人種差別撤廃のための公民権運動がピーク
に達していました。「私には夢がある」とキングが演説を行ったワシントン
大行進のあった日に、ケネディとキングはホワイトハウスで会見しています。
その3ヶ月後にケネディは公民権運動反対者の多い南部のテキサス州に遊説
に出かけ、あの惨事に巻き込まれたという見方も可能です。

しかし、それでもなおかつ、ケネディとベトナムの関係には無視できないも
のがあると考えるのは、私だけではないでしょう。

●核戦略とインターネット

サンタモニカの桟橋から1ブロック離れたとりわけ目立ちもしないビルの中
に「ランド」という名の研究所があります。この研究所は戦後設立され、究
極的な目的は第3次世界大戦の予防と、あるいは起こってしまった後の急速
な報復、復旧などを目的としています。

「ゲーム理論」と呼ばれる経済、軍事、生物進化などに応用される数学理論
のメッカということもあり数学者が多いのですが、自由な研究風土もあって、
多くの研究者のあこがれという時代が長く続いています。

連邦政府とくに軍部は、核による世界大戦を想定した国家戦略をランド研究
所に依頼し、それに基づくリポートが提出されました。これが、分散型ネッ
トワーク(ARPAネット)と呼ばれるもので、現在のインターネットです。

センターをなくし迂回路を非常に多く設けることにより、都市ピンポイント
型の核攻撃を無力にするという戦略は、ひるがえって考えればハイレベルな
テクノロジーとはいうものの、まさにベトナムが行った分散戦略と通じるも
のがあります。

ベトナムは「分散」により最終的には勝利(たとえもしそれがアメリカがプ
ログラムしたものであっても)したわけですが、その結果10年以上におよ
ぶ、じゅうたん爆撃と枯れ葉剤による化学的身体異常に悩まされ続けました。

軍事的側面から見たインターネットも、そういう逆説的欠点が存在していな
いか、検討してみる価値があるかも知れません。

●ベトナム戦争とメディア

ベトナム戦争は、戦闘がその日の内に一般の茶の間に映像として伝達される
最初の戦争になりました。多くのジャーナリストが次々と現地に入り、生の
映像とリポートを遠く離れたアメリカ本国に、また、世界中に、ほぼリアル
タイムで伝えました。

それでも、10年以上におよぶ戦闘は続きました。ニュースでほぼ毎日ベト
ナム戦争の様子がリアルタイムに伝えられていたにもかかわらずです。

ここにも、もう一つの逆説が存在しているように思えます。つまりメディア
特に映像メディアの高度な普及が、戦争そのものを日常的にし過ぎたのかも
知れません。

「ほぼ」リアルタイムと書いたのは編集を含むという意味で、もっとも悲惨
な部分に関する映像は、多くが隠蔽されていた可能性があります。

もちろん、当時大学時代を過ごした人、特に知識を持つ人にとって、映像メ
ディアの影響は大きいものだったでしょう。ベトナム戦争は反戦意識の象徴
だったに違いありません。世界中の人々が、マスメディアによってベトナム
戦争を共有体験とする。そのような状況は、それ以前はなかったでしょう。
しかも、その共有体験から「自分にとってのベトナム戦争」を考えた方も多
かったのだと思います。

しかし、おそらくは中央集権的なメディアの限界なのでしょうか「ベトナム
への補給基地としての日本の位置づけ」について指摘している大人は、私の
近くにはいませんでした。ベトナム戦争への視点は、どちらかと言うと平板
なものだったような気がします。

今考えれば、日本の60年代の繁栄はベトナム戦争抜きには考えられないも
のかも知れません。沖縄の人々がアメリカに対して持つ気持ちも、ベトナム
戦争の後方支援基地という視点から見れば、もっと別の理解が可能かも知れ
ません。

でも、少なくとも今まで私は、そういう教育は受けることはありませんでし
た。日本における教育は全てではないにせよ、戦後について語らず、教えず、
たまたま偶然興味を持つことでもなければ国際社会についての「さまざまな
ものの見方」が存在することに、気づく機会すらありません。

今後インターネットがさらに普及すれば、私のような一市民も、このように
コストをほとんどかけずに発言を行うことができるでしょう。もちろん、ど
の程度の効果があるのかはまだ全くよく分かりませんが、60年代に比べれ
ばずっと恵まれた環境にいると、私は考えています。

●アメリカとアジア、そして日本

いろいろ書いてきましたが、私は実はアメリカが好きです。ですから、その
恥部とも言えるベトナム問題には並々ならぬ関心をもっています。

なぜ、あの頃、自国から地球を半周近くも離れた見知らぬ土地に、何十万人
もの派兵を行う必要があったのか。もちろん、思想上の対立はあったにせよ、
「正義なき戦い」とまで言われながら、10年以上に及ぶ不毛な戦闘がなぜ
続いたのか。今なお、問題視され続けるベトナム問題とはいったい何なのか。
自分なりに少しだけ考えてみようと思ったのがこのメモです。

ちなみに私は左翼主義者ではなく、イデオロギー的観点からベトナムにシン
パシーを感じているわけではありません (かと言って右翼主義者でも競争
礼賛主義者でもありませんが)。

ベトナムは現在、皮肉なことにドルへの拝金主義が横行しており、売春や詐
欺などの社会主義のつけが大きな問題となっています。たしかに将来性は高
いのでしょうが、ドイモイは誇張されて伝えられている可能性があります。
そういうネガティブな側面も冷静に見つめる必要があるでしょう。

私はベトナムの帰りに台湾に立ち寄りましたが、全く繁栄の規模が異なるの
で驚きました。現在の台北の購買力平価は、東京をしのいでいるかも知れま
せん。アメリカに背を向けることの恐ろしさを身を持って感じました。

一方で、ベトナムへの投資が現在一番多いのは台湾であり、アジアの浮いて
いる国同士のしたたかな外交も行われています。アメリカと1995年にな
って実に20年ぶりに国交を回復したベトナムと、中国から国家と認められ
ないがゆえに、南アフリカ共和国など非常に限られた国としか正式な国交を
もたない台湾。

同じくアジアで浮いている日本は、そのようなしたたかさすら持ち合わせて
いないのでしょうか。

いや、そこはポジティブにとらえ、綱渡りをしながらも戦後一度も直接的な
国家紛争を起こさず、表立ってはアメリカ程には巨大な軍需産業を持たない
日本を、誇りに思うべきなのかもしれませんね。

posted by tuto at 01:46| 東京 🌁| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

エコビジネス

現代の産業社会においては私的利潤のみの徹底的追求は不可能であり、その活動の広さに比例して、環境との交渉は強まり、多くの社会的責任を回避することはできなくなる。内部活動では安全性、好ましい労使関係の維持、資源の有効な利用。また、外部に対しては、一市民としての広範囲な社会に及ぼすインパクトの処理、社会への貢献など、さまざまな問題があげられる。

 企業はいまや「環境問題」といった時代の潮流に逆らうことはできず、流れにうまく乗って生き残りをかけていかなければならないのだ。ひと昔前までの常識を今も通用すると安心しているようでは、これからのビッグビジネスを取り逃してしまうことになり、かなりの損害を被ることになることを認識していかなければならない。もちろん、「環境」との関わりを取り入れていかざるを得なくなった背景には、消費者、社会の動き、政治的な取り組み、人文的視野などからの必要性など、それぞれの複雑な連関があることを見逃してはならないだろう。

 現在、日本の経済には閉塞感がある。日本の財界、政界では少しずつでも経済成長を遂げていく心づもりはしているが、それが数字としてはっきりと眼に見えるものとしてなかなか表れてこない。中にはこれ以上の発展はないだろうと考える人もいるだろう。

 しかし、あるのだ。経済成長をしていく道が。それは、これまで日本が培ってきた生産システムの優秀さ、つまり技術、開発、製造など世界に誇る「ものづくりの力」である。さらに、流行の「環境」をテーマとしたビジネスの分野で、日本の「ものづくりの力」を発揮することも、今後、将来性のある産業として育っていく見通しがみえてくるのだ。関西のシンクタンク、関西産業活性化センターは、「医療・福祉」「生活文化」「情報通信」「バイオテクノロジー」など15分野の新産業の関西における市場規模は2010年までに1995年の3倍近い81兆円に達すると試算している。中でも、バイオ関連と環境関連は全国シェアの20%を超えると見込まれる。新産業の芽はどのように現れているのだろうか。次世代に美しい地球を引き継ごうというメッセージは消費生活にも反映し、省エネやリサイクルの可能性など「環境に配慮した商品」への需要が高まっている。

 例えば、松下電器産業は、大阪市内でテレビや電気冷蔵庫など使用済み家電製品のリサイクル実証試験を進めている。さらに再利用ができるマグネシウム合金を使ったテレビのキャビネット(外枠)を採用するなど、設計段階からリサイクルを念頭においた製品の開発にも力を入れている。テレビやエアコンなどの家電製品で、プラグをコンセントにつなぎ放しにしておくだけで消費される「待機電力」。家庭の電力消費の10%は「待機電力」と言われ、これをいかに減らすかが、省エネの大きな課題だ。シャープは、電源部の部品の回路を改良して無駄に流れる電流を大幅に削減、待機電力を従来の四分の一程度0.5wに抑えることに成功した。この技術を生かしたエアコンなどが商品化されている。省エネをテーマにした新事業も誕生している。大阪ガスの関連会社ガスアンドパワー(本社・大阪市)は、オフィスビルや工場などのエネルギー消費の全体を診断し、無駄を見つけだして効率的な設計や運用を提案するエスコ事業をはじめた。大型タービンの効率的な運転方法から、オフィスの人の出入りを感知して電灯や空調のスイッチをオン・オフする省エネシステムの導入などまできめ細かく設計し、メンテナンスも請け負う。

 このように、動きはにわかに活発化してきている。
 私たちは確信している。環境産業が大きく成長する可能性を秘めていることを。
posted by tuto at 19:09| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

書評 書き方

 書評は分量にもよります。新聞の短い書評から、書評論文といわれるかなり綿密な検討と批判にまで到るものもあります。

 短い新聞的なもの(1000字以内)の場合、これはほとんど議論を検討することはできません。一般的な紹介をして、背景を少し書き、この本の意義を簡単に述べることが中心です。あまり批判はできませんが、一言この本についての欠陥や課題を述べられるとベストです。

 長い書評(1000〜3000字)の場合は、まず論文の構造・著者の目的から各章の要旨まで、すべて的確にまとめる必要があります。各章の要旨はあまり長くならないようにします。その上で、あなた様自身がとくに重要な点であると思うところを詳細に議論し、その議論の背景で何が言われているのか、ほかの論者との対比などをすることが不可欠です。その上でこの本の議論が妥当なものかどうか精密に批判します。
posted by tuto at 06:43| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月09日

緊急避妊法

仮性だけど彼女に皮を舌で剥いたりかぶせたりして遊ばれるとすげぇ気持ち良いぞ
あと亀頭と皮の間に舌を滑り込まされるのももだえるw








緊急避妊法とは、避妊に失敗してしまった時(ゴムの破損、膣内精射など)に、72時間以内に中用量ピルを2回に分けて(2回目は1回目服用後の12時間後)服用して妊娠を防ぐ方法です☆


72時間というタイムリミットがあるのは、受精してしまった場合、着床する前に子宮内膜を変化させて防ぐという方法だからです。

一部海外のデータでは120時間でもOKとありますが、時間が経つ程、避妊成功率は低くなります。
そして、忘れてはいけないのは72時間以内であっても妊娠を100%防げるわけではありません!
排卵を抑制してるわけでは無いので。。。成功率は97〜98%と言われてます。

費用は通常のピルと同様自由診療(保険が効かない)なので、料金は様々です!

都心にある10の病院に電話して料金を問い合わせた所、安いところは2000円から、高いところは20000円と料金に10倍もの差が!
(平均5000円くらいだったよ)
行く前には、電話で問い合わせてから行こうネ!!(^∀^)

ちなみに、「緊急避妊法を希望」と言えばすんなり話が進みますが、病院によっては取り扱ってなかったりするので、事前に電話確認するのをオススメします☆
(処方時に使用理由を聞いてくるのかどうかは、病院によってマチマチのようで・・・)

そして、一緒に吐き気止めが処方されます。
一時的なモノだけど、吐き気を起こす人が半数近くいるそうなので、ピル服用の前に必ず服用して下さい♪
服用して時間が経たぬうちに吐いてしまうと、もう1度病院で処方して貰わなければなりません(´・ω・`)
なので、その日はなるべく安静にしていましょう♪

吐き気が起こるほどの大量のホルモンを1度に入れることになるので、この緊急避妊法は、その名の通り"緊急"の時のみご使用くださいね!
posted by tuto at 01:21| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

俺たちが今までに学校で習ったすべてのことより3分間のレコードから多くのことを学んだ

12歳にして早くも“おちこぼれ”という
言葉の意味を知っていた僕には
夕暮れの空が何処に繋がっているのか
はっきりと見えた気がした













基本的に、
とても信頼できるロックバンドだとおもう。
どこか60年代のにおいを引きずりながら、
けれど80年代半ば生まれのメンバーたちと
なぜかそこに混じった「思想」担当の42歳。
リアルであるということがとても困難な時代だし、
リアルでありつづけるというだけで
むしろフィクションになってしまうような世界だけれど、
彼らの憤懣や焦りや不安は、
これはまぎれもなく時代性とか風土に左右されない、
ひとつの普遍的な「体質」なのだとおもった。
つまりロックだ。
ロックは気分や主張や思想ではない。
ロックは体質の音楽だ。

死んだロックを甦らそうとする人間や
死んだロックが実は死んでいないと信じようとする人間、
死んだロックに名前をつけることで前進しようとする人間、
死んだロックを置き捨てて別の場所へ行こうとする人間は
実際のところ、いくらでもいる。呆れるほどにいる。

けれど、
 は
死んだロックを殺しつづけるバンドだ。
何度も、何度も、1回のステージで何千回も
ロックの屍体にナイフを突き刺しつづける。
その瞬間、ロックは体質を超えて空間を鳴らす。
幻想を共有できない人間、
イマジネーションを信頼できない人間、
ロックを認められない人間をも巻き込んで
通り魔的に、一刹那、一那由他のリアルが響きわたる。

このバンドは、
ロックだ。
何よりも強く醜くしなやかで汗臭い、
そんな音楽だ。

彼らの「クソ」という名曲が鳴り出す寸前、
ぼくは叫んだ。

「Play fuckin' loud!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
posted by tuto at 01:19| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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