2007年03月31日

cim( ^ω^)ノ の発言 :金もらってないから適当なもん出せて

cim( ^ω^)ノ の発言 :それが結局面白い、っていうのはさっきのコウイチさんの意見と似てるなあ、と思いました

こういち の発言 :そーあと

こういち の発言 :インターネットのないときには

こういち の発言 :埋もれてた

こういち の発言 :人が出てこれてよかった

こういち の発言 :よかったよかった

cim( ^ω^)ノ の発言 :ふむ…?

こういち の発言 :職場とか学校で

cim( ^ω^)ノ の発言 :はいはい

こういち の発言 :面白いって認識されてる人は

こういち の発言 :つまんない人です

cim( ^ω^)ノ の発言 :?????????

こういち の発言 :わー断言してるよ

こういち の発言 :俺なんか

こういち の発言 :面白いとされてる人の

こういち の発言 :ギャグを分析して

cim( ^ω^)ノ の発言 :ぶ、分析…

こういち の発言 :種類に別けて

こういち の発言 :判定して

こういち の発言 :評価して

こういち の発言 :つまらないと









こういち の発言 :俺けっこうがんばってサイトやってきたんだけど

こういち の発言 :たいしてアクセス増えないし

こういち の発言 :どうなってんだーって見回したら

こういち の発言 :俺が面白いと思えないサイトがアクセス多くて

こういち の発言 :あー

こういち の発言 :ここもそうかって

こういち の発言 :そんな挫折

cim( ^ω^)ノ の発言 :ハハハハハハハ…

こういち の発言 :やっぱインターネットもダメだ

cim( ^ω^)ノ の発言 :だ、駄目じゃないですよ!

こういち の発言 :他にどっかない?

cim( ^ω^)ノ の発言 :…え

こういち の発言 :だってダメじゃん!

こういち の発言 :結果が全てじゃん!

こういち の発言 :結果がだめだって言ってんじゃん!

cim( ^ω^)ノ の発言 :ええとそのあのそのあの…

こういち の発言 :世の中馬鹿ばかりだ!

cim( ^ω^)ノ の発言 :お、おちちついて

cim( ^ω^)ノ の発言 :だ!cimが落ち着いてない

こういち の発言 :腐りたくもなるぜ

cim( ^ω^)ノ の発言 :わ、わかりました

こういち の発言 :うっそー

こういち の発言 :よくわかったなあ

cim( ^ω^)ノ の発言 :わかったから!ホントにわかった!

こういち の発言 :うそよ そんなのうそよ

こういち の発言 :あたいわかるもん




藤崎 の発言 :まだまだ、出来立てホヤホヤのサイトだから!

cim( ^ω^)ノ の発言 :1999年からログありますよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :ちなみに今2004年ですよ

藤崎 の発言 :長いなー

cim( ^ω^)ノ の発言 :そうだろう、長いだろう

藤崎 の発言 :小学1年だった女の子が、今年小学6年の男の子になっちゃうね

cim( ^ω^)ノ の発言 :そうですなぁ、、

藤崎 の発言 :まじで!

藤崎 の発言 :そうくるの!

藤崎 の発言 :すげーテンション下がってる

cim( ^ω^)ノ の発言 :いやー普通に関心してた

cim( ^ω^)ノ の発言 :何が楽しくてそんなに続けているのかっていう、素朴な疑問ですよ、はい

藤崎 の発言 :いや、日記書きたいでしょ、あなたも

cim( ^ω^)ノ の発言 :んー

cim( ^ω^)ノ の発言 :そう聞かれると良くわからないな

藤崎 の発言 :俺はそうでもないよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :そうでもないのかよ!

藤崎 の発言 :やめられるもんならやめたいよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :やめられないの?

cim( ^ω^)ノ の発言 :なんで!どうして!

藤崎 の発言 :サイトやめると死ぬ病気にかかってるから

cim( ^ω^)ノ の発言 :そりゃ大変だ

cim( ^ω^)ノ の発言 :じゃあ書き続けるしかないですな

藤崎 の発言 :俺のハートが死ぬんだよね

藤崎 の発言 :今、惚れたでしょ

藤崎 の発言 :射抜いたでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :え?

藤崎 の発言 :うわ、テンションひくー

藤崎 の発言 :ズコーてなったよ









posted by tuto at 15:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

藤崎 の発言 :サイト名は「美容と健康」だった

藤崎 の発言 :あー、説明すると長いよ

藤崎 の発言 :つうか、あなた俺のサイト見た事ないでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :ありますよ

藤崎 の発言 :2回くらい見たんでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :2回どころじゃないですよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :少なくとも今年に入ってから10回以上は見てる

藤崎 の発言 :めちゃめちゃ見てるなー

藤崎 の発言 :見すぎ

藤崎 の発言 :でも、犬ヨーグルトの前のサイト名は知らないでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :あー、知らない

藤崎 の発言 :ですよねー

cim( ^ω^)ノ の発言 :なんだったんですか

藤崎 の発言 :BANDやろうぜ

藤崎 の発言 :CDって太陽に向けると音が出るんだと思ってたよ

藤崎 の発言 :高校のときに、向けたもん

藤崎 の発言 :太陽にかざしてみたもん

cim( ^ω^)ノ の発言 :音出ないでしょ、、

藤崎 の発言 :真っ赤に流れる僕の血潮だよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :…って来るのか来ないのか!

cim( ^ω^)ノ の発言 :どっちなんだコノヤロウ!



cim( ^ω^)ノ の発言:おやつの恋愛話でも聞いておこう

おやつ の発言:縦笛とか、ブルマーとか、でてきますよ?



こういち の発言 :えー

こういち の発言 :なんか思ったことがあるでしょ

こういち の発言 :でもこれ 誰にも言えない

こういち の発言 :っつか

こういち の発言 :言っても面白くない

こういち の発言 :興味もたれない

こういち の発言 :そうすっと その思ったことは

こういち の発言 :終わっちゃうでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :は、はい

こういち の発言 :それ書いて上げてるんだけど

cim( ^ω^)ノ の発言 :…

こういち の発言 :そんだけ

こういち の発言 :でも世の中は広いみたいだから

こういち の発言 :上げとくと

こういち の発言 :見る人もいるから

こういち の発言 :よかったかなーって

こういち の発言 :たまに褒められることもあるし

こういち の発言 :褒められたことなんてろくにないんで

こういち の発言 :うれしかったよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :な、なんか切なくなってきてないか…?

こういち の発言 :びっくりした

こういち の発言 :遺書かと思った

cim( ^ω^)ノ の発言 :泣ける

cim( ^ω^)ノ の発言 :声に出して読んだら泣けそうですよ、今の…

こういち の発言 :つーかさー

こういち の発言 :昔はそんな

こういち の発言 :悲壮感が

こういち の発言 :感じられた

こういち の発言 :少なくとも俺には

こういち の発言 :テキストサイトにね

cim( ^ω^)ノ の発言 :はははは

こういち の発言 :いやマジ

cim( ^ω^)ノ の発言 :なんだろ、そうかも

こういち の発言 :今はたぶん違う気がする

こういち の発言 :違う人が増えた

cim( ^ω^)ノ の発言 :もっともっとお手軽になったせいじゃないですかねえ

こういち の発言 :カジュアルなんだ

cim( ^ω^)ノ の発言 :うん

こういち の発言 :軽い

こういち の発言 :軽い

こういち の発言 :軽い

cim( ^ω^)ノ の発言 :…

こういち の発言 :なに言ってんだ俺

こういち の発言 :しょうがないじゃんねそんなの

cim( ^ω^)ノ の発言 :…ものすごく返事に困りましたよ、、

cim( ^ω^)ノ の発言 :どこか遠い世界に旅立っちゃったのかと、、

こういち の発言 :えーとね

cim( ^ω^)ノ の発言 :あい

こういち の発言 :あーどうしよ

cim( ^ω^)ノ の発言 :お、落ち着いて…!

こういち の発言 :あーそーだ

こういち の発言 :いいたいことがあった

cim( ^ω^)ノ の発言 :な、なんでしょう

こういち の発言 :あの、サイトで文章書いてる延長で

こういち の発言 :ライターデビューとか

こういち の発言 :そういうのあるでしょ

cim( ^ω^)ノ の発言 :はいはい

こういち の発言 :あと

こういち の発言 :サイトで金もうけるとか

cim( ^ω^)ノ の発言 :ははははは

cim( ^ω^)ノ の発言 :ありますなあ

こういち の発言 :そういうのもありだと思うんだけど

こういち の発言 :金にならねーから

こういち の発言 :面白いことってのも

こういち の発言 :あるんじゃないか

こういち の発言 :仕事で書いてるものと

こういち の発言 :なんの規制もなく好きに書いてるものって

こういち の発言 :ぜんぜん違うと思う

cim( ^ω^)ノ の発言 :…

こういち の発言 :で

cim( ^ω^)ノ の発言 :は、はい…

こういち の発言 :文章のうまさとか

こういち の発言 :そういうの

こういち の発言 :関係ないっつか

こういち の発言 :わーわかんねー

cim( ^ω^)ノ の発言 :…

こういち の発言 :えーと

こういち の発言 :好き勝手に書いてるのが読みたいです

こういち の発言 :なんかみんな小手先の技身につけて

cim( ^ω^)ノ の発言 :…

こういち の発言 :ちょこざい!

cim( ^ω^)ノ の発言 :ぶ

cim( ^ω^)ノ の発言 :あはっはははは

こういち の発言 :ああ めちゃめちゃだ…

cim( ^ω^)ノ の発言 :あはははは、ちょこざいな!って、時代劇とかでよく言いますね

cim( ^ω^)ノ の発言 :意味わっかんないけど!

こういち の発言 :意味は

cim( ^ω^)ノ の発言 :うん

こういち の発言 :ああだめだ

cim( ^ω^)ノ の発言 :ははは

cim( ^ω^)ノ の発言 :えとですね
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2007年03月30日

 

posted by tuto at 19:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

ロッテルダムテクノ(Rotterdam Techno)は、ロッテルダムを発祥の地とするテクノの一ジャンル。

目次 [非表示]
1 歴史
2 概要
3 日本での反応
4 関連項目



[編集] 歴史
1990年代前半に生まれたハードコア・テクノのよりヘビーなバージョンである。オランダのアムステルダムに住むDJらがイギリスの曲を好んでかけていることに反発したロッテルダムのDJが作り上げたジャンルである。


[編集] 概要
4つ打ちを基本リズムとして、放送禁止用語を連呼するため「おバカ系テクノ」などとも呼ばれることがある。ロッテルダムレコーズからリリースされた音源がよりハードなビートを求めていたニューヨークにおいて好まれたことから世界的に流行した。

全盛期にはオランダのCDショップの棚一面が、すべてロッテルダムテクノであった、といわれるほどである。


[編集] 日本での反応
日本でも電気グルーヴの石野卓球が紹介することによって、ある程度のファンを得た。エイベックスから「Rotterdam Techno is hard hard hard!!」というコンピレーションアルバムが発売されている(絶版)。また、ナムコのリッジレーサーシリーズにおいてBGMにロッテルダムテクノが使われたこともある。

著名な曲にはRTS(ROTTERDAM TERMINATION SOURCE)のPOING、King DaleのUTTER、ユーロマスターズのAlles Naar De Kloteなどが挙げられる。

90年代半ばにはブームも過ぎ去り、よりディープで高速なBPMを求められるガバと、ライトなメロディとボーカルを乗せることで一般化したハッピーハードコアの両方向に分化していくこととなった。

posted by tuto at 19:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

ハーメルンの笛吹き男

1284年、ハーメルンに「鼠捕り」を名乗る色とりどりの衣装をまとった男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。ハーメルンの人々は男にネズミ退治の報酬を約束した。すると男は笛を取り、笛の音でネズミの群れを惹き付けると、ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺れ死にさせた。ネズミ退治が成功したにも関わらず、ハーメルンの人々は約束を破り、笛吹き男への報酬を出し渋った。

怒った笛吹き男はハーメルンの街を後にしたが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び戻って来た。住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。130人の少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。そして、洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。物語のバージョンによっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝えられている。

[編集] 歴史的背景
この物語への最初の言及は、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスに見られる。14世紀から17世紀にかけての幾つかの記録はステンドグラスについて述べているが、このステンドグラスは破壊されてしまったようである。残された記述に基づいて、ハンス・ドバーティンにより現代のステンドグラスが復元された。このステンドグラスは、色鮮やかな衣装を纏った笛吹き男と、白い着物姿の子供たちを特徴としている。

このステンドグラスは、ハーメルン市の悲劇的な史実を記念して制作されたと一般には考えられている。しかしながら、多くの研究が成された後も、笛吹き男の物語に隠された歴史的な出来事とは何であったかの、明確な説明は与えられなかった。16世紀後半になって、初めて物語にネズミの群れが追加されているが、それより以前の全ての記録では、ネズミの群れは登場しない。

多くの支持を受けている説は、以下の四つのカテゴリーに分類される。

子供達はある事故の被害を蒙り、ヴェーザー川で溺れ死んだか、土砂崩れによって生き埋めにされたとする説。
子供達は何らかの伝染病に罹患し、ハーメルン市の他の住民を感染から保護するために街から誘い出されたとする説。この説では、ペストに対する前時代の対応が示唆されている。他の特質として、子供達のダンスは、遺伝性の疾患であるハンチントン病への早期の言及に帰着される(しかしながら同病は遺伝病であり、それが集団発生することは考えられない)。別の可能性として、この出来事は、ヨーロッパの幾つかの村でペストによる苦難の期間以降に遍く記録された、舞踏病の集団発生、いわゆる共同体内での舞踏性躁病の発生の一例を連想させる。ヴェルステガンやブラウニングによる日付1376年は、この説と一致しているようである。これらの説では、笛吹き男は死神の象徴であると認識されている。
子供達はある巡礼行為か軍事行動、あるいは新しい少年十字軍運動の一環として街から去ったが、二度と両親の元へ戻らなかったとする説。これらの説では、名前のない笛吹き男は運動のリーダーか新兵徴募官であったと見なされている。
子供達は東ヨーロッパの植民地で、彼ら自身の村の創建者となるために、自ら望んで両親とハーメルン市を見捨て去ったとする説。この時代に創建された幾つかのヨーロッパの村と都市は、ハーメルンの子供達による開拓者としての努力の結果であると考えられる。この説でも笛吹き男は、運動のリーダーであったと見なされている。(→ドイツ植民)
子供達が1284年に街を去ったとする伝承は非常に古くから正確に記録されており、ペストによる説明は当てはまりそうにない。現代の学者達は、前述の内の植民説がもっとも可能性の高いものであると考えている。換言すれば、ハーメルンの笛吹き男は13世紀における東ヨーロッパ植民活動の徴募者であって、笛吹き男はハーメルンの若い世代の大部分を、ドイツ東方にある遠方の地域へと導き出したのである。

ハーメルンのデカン・リューデは、この出来事の目撃証言であるラテン語詩を含んだ合唱書を所蔵していると、およそ1384年頃に報告している。伝承によれば、この詩はリューデの祖母によって書かれた。この合唱書は17世紀後期以降は、失われたままであると考えられている。

この出来事のドイツ語による記述は、ハーメルンで発見された1602年/1603年の碑文に残されている。

Anno 1284 am dage Johannis et Pauli
war der 26. junii
Dorch einen piper mit allerlei farve bekledet
gewesen CXXX kinder verledet binnen Hamelen gebo[re]n
to calvarie bi den koppen verloren

この碑文は、概ね以下の日本語に訳される。

1284年、ヨハネとパウロの日
6月の26日
あらゆる色で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑場でいなくなった

コッペン( Koppen :ドイツ語で「丘」の意味)は、ハーメルンの市を囲む幾つかの丘の一つであるかのように思われる。それらの丘のどれがこの詩の作者によって意図されたものであるかは、不明確なままである。


[編集] 民話としての成立
およそ1440年頃から、最古の文献が残されている。

ハーメルンの街を東西に貫くオスター通りの東門近くには、消失した子供達への追悼の念を込めて、歌ったり音楽を奏でることが禁止されている舞楽禁制通り(Bungelose、ブンゲローゼ)が現存する。この通りの名は、1427年には既に現れている。

1556年に、神学者ヨプス・フィンツェリウスによる De miraculis sui temporis (ラテン語で『不可思議の徴』)が、この伝説に言及している。著者ヨプスは、笛吹き男を悪魔と同一視している。

最初期の英語による記述は、古物収集家にしてオランダ系の宗教論争家の一人であったリチャード・ローランド・ヴェルステガンによる、 Restitution of Decayed Intelligence (アントワープ、1605年)の中に見られる。残念なことに、ヴェルステガンは物語の出所を示していない。ヴェルステガンの記述はネズミの群れについての言及と、行方不明になった子供達がトランシルヴァニアに現れたという考察を含めている。英語の成句 Pied Piper (まだら服の笛吹き男)は、ヴェルステガンによる造語であると考えられる。より興味深いことに、ヴェルステガンによる事件の日付は、上の記述とは全く異なる1376年の7月22日であったとしている。ヴェルステガンの記述は、後述するロバート・ブラウニングの有名な詩の直接の源となったナサニエル・ウォンレイの Wonders of the Visible World (1687年)に転載された。

1803年にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが、この伝説に基づいた詩を著した。また、ゲーテはファウスト伝説の彼によるバージョンの中にも、この物語への言及を組み込んだ。この詩劇の第一部は1808年に出版され、次いで第二部が1832年に出版された。

グリム兄弟の2人として知られているヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリムは、1816年に出版された民話集 Deutsche Sagen (『ドイツ伝説集』)の中に、11のソースから描かれるこの物語を収録した。グリム兄弟の記述では、他の子供達の後を追えなかった盲目と啞の子供が二人残された。他の子供達は、ジーベンビュルゲンとトランシルヴァニアの創建者となった。

おそらくはグリム兄弟による物語のバージョンに基づいて、ロバート・ブラウニングは笛吹き男の名を題に冠した詩を執筆し、1849年に公表した。ブラウニングの詩は、事件の日付を1376年の7月22日であるとしている。

笛吹き男の物語は、ロシアの詩人マリーナ・ツヴェターエヴァによる詩 The Ratcatcher (1925年初版)の中でも強く言及されている。


[編集] 日本での受容
この物語は、日本でも翻訳され子供を含む幅広い層に知られている。しかし「笛吹きが子供をさらい、子供たちは二度と戻って来なかった」という結末は、少なくとも児童向けの書籍では改変されることも多い。笛吹きが子供たちを洞窟に閉じ込めたことに対して市長や親たちが笛吹きに解放を懇願した(その結末は明示されていないが、市長の約束履行で子供たちが解放されたことを暗示)話への改変が多い。また、テレビアニメ「タイムボカン」第39話(本放送は1976年)はこの物語を基にしているが、ネズミ退治は無欲な少年の笛吹きによって行われ、少年は報酬を求めずに去り、当然子供の誘拐などもないという例もある。
posted by tuto at 09:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

20 名前: ◆vNMwMlWj0E 投稿日:03/08/24 03:27
信じようと、信じまいと―

ヨハネ・パウロ一世。フリーメイソンと癒着し、腐敗したバチカンを改革するべく法王となったが、在位わずか33日間で死去。
朝ベットで横になったまま死んでいるのを発見されることになった。
以前の健康状態に全く問題はなく、前日も健康そのものの状態。
しかしバチカンはなぜか解剖を行わず、血液を一滴でもとることを許さなかった。
そして、なぜかその死が発覚する30分前に葬儀屋が呼ばれていたという。

信じようと信じまいとー
44 名前: ◆vNMwMlWj0E 投稿日:03/08/25 01:35
信じようと、信じまいと―

都内某所の女子高に閉ざされた螺旋階段がある。
窓のひとつもないそこを降りていくと、やはり窓のひとつもない小部屋がひとつ。
その床の真ん中に、なぜか電話が置かれている。
電話線はもちろん通じていないが、時々閉鎖された扉の前を通るとコール音が聞こえるという。

信じようと、信じまいと―
46 名前: ◆vNMwMlWj0E 投稿日:03/08/25 01:58
信じようと、信じまいと―

17世紀、欧州でヨハネス・アラルダスという男がユダヤ人の恋人とともに処刑された。
罪状は獣姦。当時、獣姦は死罪になるほどの罪だった。
獣姦なんかしていないというヨハネスに裁判官は言った。
「なぜなら、ユダヤ人との性交は人間が犬と交わるのと全く同じだからである」

信じようと、信じまいと―
51 名前:RIM 投稿日:03/08/26 00:00
信じようと、信じまいと―

1689年アメリカ、オレゴンで馬鈴薯農家のAが友人を殺害。自分の畑の近くに大きな穴を掘り埋めた。
翌年収穫したジャガイモを自宅で食べると、なんと中から殺した男の指の骨が出てきたという。
他の出荷したジャガイモにも男の様々な部分の骨が混入しており、Aはその後逮捕された。
埋めた場所は畑からある程度離れており、何故ジャガイモに混入したのかは誰にもわからなかった。

信じようと、信じまいと―
157 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/08/29 00:49
信じようと信じまいとー


世界でもっとも歴史的に信憑性の高い亡霊の話がある。

それは第一次世界大戦中、イギリス歩兵団対ドイツ騎馬軍のアモンの戦いで起こった。
敗走する英軍と追撃する独軍の間に突如、白く輝く騎馬軍が現れた。独軍の馬までもが取り乱した。
その白い騎馬団は英軍を安全地まで護送したあと、ふっと消えた。
それは独軍の戦詳記録簿にも残されており、
英国では当時大センセーショナルを巻き起こした。
その白い騎馬軍は英軍の記録に、「天使の援軍」と称されて書き記されている。


ああ1さんのように4行でまとめられない。逝ってきます
812 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/01 23:09
信じようと、信じまいと―

あるビル工事現場で働いていた男に悲劇が起こった。
鉄バイプが落下して男の左後頭部から右頬にかけて貫通してしまったのだ。
しかし、男は何事もないように鉄パイプを引き抜き仕事に戻った。
彼が死んだ後に解剖されたが頭蓋骨の中には水しかなかったという。


328 名前:275 投稿日:03/09/03 00:57

信じようと、信じまいと―

ドイツ、ミュンヘンのある小学校で、カトリン・マイアーという生徒が
転校したその日に、同姓同名カトリン・マイアーという生徒が転入してきた。
生徒がカトリンに、転校していったカトリンの話をしようと思ったが、
誰一人、転校していったカトリンがどんな子であったか思い出せなかった。
329 名前:275 投稿日:03/09/03 01:00
信じようと、信じまいと―

インドネシアのガジャラ地方に伝わる、相手も死ぬが自分も死ぬという禁忌の
呪いの術を試した男がいた。数日後呪いをかけた相手は本当に死亡したが、
男は一向に死ぬことはなかった。しかし、一週間後のある日、男の母親から
男のもとへ、息子が死んだと手紙が届いた。男は一人息子だったはずなのだが……。
332 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/03 01:14
信じようと、信じまいと―

路上で心筋梗塞を起こした男性がいた。男は突然心臓を抑えて苦しみ始め、そのまま意識を失った。
救急隊員が駆けつけた時にはすでに男は死亡していたが、奇妙なことに右手の指が5本とも、刃物
で切られた様に消えていた。家族の証言では男の指はその日の朝まで普通に付いていたそうだ。
死体解剖を担当した医師は男の心臓を見て悲鳴を上げた。なんと心臓に男の指が5本突き刺さっていた。
333 名前:275 投稿日:03/09/03 02:10
信じようと、信じまいと―

アメリカのある学生が、○○という企業の株を買え、という夢を見た。
その企業の株を買うと、翌日からその株は高騰し、学生は大儲けした。
その学生が今度は□□という企業の株を買え、という夢を見たが、そんな名前の
企業はなかった。数年後、起業した学生は社名を□□にし、大成功をおさめた。
334 名前:275 投稿日:03/09/03 02:11
信じようと、信じまいと―

マドリードに住む男性は自分は「27」に殺されると普段から恐れていた。
1966年、男性は34歳の時、通り魔に刺されて病院で手術中に亡くなった。
逮捕された通り魔は27歳。男性の治療にあたった医師も27歳だった。
一体どちらが男性を殺したのか。
336 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/03 02:14
信じようと、信じまいと―

昔の田舎では、死者は簡単な棺桶に入れられて土葬にされていた。
ある日、子供達が墓地で遊んでると、その内の1人が埋めてあった棺桶を踏み破ってしまった。
一生懸命に足を引き抜こうとしたが、どうしても抜けなかった。数人がかりでようやく足を引
き抜くことに成功したが、足の先には、明らかに人間に噛まれた歯型が付いていた。
343 名前: ◆O.O/A/UPTY 投稿日:03/09/03 04:45
信じようと、信じまいと―

1943年 米軍は、特殊なコイルを使った奇妙な実験を行った。
乗組員を載せた駆逐艦を、瞬間移動させようというものだった。
実験は見事に成功し、駆逐艦は瞬時に300km以上離れた地点に出現した。
ただ、精神障害・人体発火・船体と合体する等、無事に済んだ乗組員は殆ど居なかったという。
353 名前:275 投稿日:03/09/03 16:09
信じようと、信じまいと―

ニューバージニアのFという会社員の日課は3匹の犬を散歩させることだった。
ある場所へ行くと、決まって3匹の犬のうち1匹だけが地面に向かって吠えた。
不審に思ってFが地面を掘ると、人間の他殺体が出てきた。
やがて被害者の身元が判明。吠えた犬と被害者は同じ名前であった。
354 名前:275 投稿日:03/09/03 16:10
信じようと、信じまいと―

東京都のある寿司屋では、その日開店直後からやたらとトロが出た。
営業時間を半分残して仕入れたマグロがなくなってしまい、主人は頭を抱えた。
しかしそれ以降、いつも通り大勢の客が店に来たにもかかわらず、
トロを注文する客は一人もいなかった。
355 名前:275 投稿日:03/09/03 16:10
信じようと、信じまいと―

ローマに住む8歳の少女アンナの口癖は「私は鳥なの。空を飛べるの」だった。
ある日帰宅した母親が、アンナが庭に倒れているのを発見した。
奇妙なことにアンナの死因は、急激な気圧変化により肺や内蔵が損傷したためと
判明した。アンナは本当に空を飛んだのだろうか。
358 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/03 19:52
信じようと、信じまいと―

1967年イギリスでの話し。その日ウォール家では、1人娘キャロンの誕生パーティーを開いていた。
キャロンは服を着替えようと洋服ダンスの扉を開けたが、洋服ダンスの中には奇妙な光景が広がっていた。
何と古ぼけたビルの景色が広がっていたのだ。キャロンはそのまま洋服ダンスに吸い込まれるように消え
去った。同日カナダのトロントで、解体中のビルの中からキャロンが発見され、無事に保護された。
371 名前:275 投稿日:03/09/04 04:39
信じようと、信じまいと―

1979年、アメリカ。殺人の容疑で逮捕されたウエイド被告は、法廷で「殺人は
移植された心臓のせい」と訴えた。被告は事件前、心臓移植手術を受けており、
移植された心臓は、留置所で病死した殺人犯のものであることが判明した。
判決は被告の心臓に対して死刑。被告に別の心臓を移植し、取り出された心臓は焼却された。
372 名前:275 投稿日:03/09/04 04:40
信じようと、信じまいと―

愛媛県の女性会計士Aが同級会に出席、タイムカプセルを掘り起こした。
彼女が入れた、当時大切にしていた人形もカプセルの中にあったが、
なぜか入れるときはちゃんとあったはずの人形の右足が無くなっていた。
Aは一年ほど前、事故であわや右足切断という大怪我を負っていた。
373 名前:275 投稿日:03/09/04 04:42
信じようと、信じまいと―

メキシコシティー郊外の古い屋敷には、触れると中に引きずり込まれると噂される
呪いの鏡がある。そこを訪れた学生グループの一人Kが、「迷信に決まってる」と
その鏡に触ったが、何も起きなかった。しかし帰り道、友人の一人が
Kの服の模様が来たときと左右逆になっていることに気付いてしまったという。
408 名前:725 投稿日:03/09/05 00:22
信じようと、信じまいと―

ポルトガルの南部、ザィーナ地方にいくら食べても太らない女性がいた。
女性はゆうに人の倍は食べるが、スレンダーな体型が変わることはなかった。
やがて彼女が死に、葬儀が行われた際、彼女を火葬した葬儀屋は首をかしげた。
焼かれた骨は頭蓋骨から何から全て二人分あったのだ。
409 名前:725 投稿日:03/09/05 00:23
信じようと、信じまいと―

1985年5月13日、コロラド州のウィリアム・メイズが経営する写真屋に老女が
現れた。メイズは老女の依頼により、老女の写真を数枚撮影した。
撮影後老女が店を出たところへ、暴走したトラックがつっこみ、老女は死亡。
老女はメイズに「いつか遺影に使うから、写真を撮ってほしい」と依頼していた。
410 名前:725 投稿日:03/09/05 00:24
信じようと、信じまいと―

スペインのある地方には、列車が通らないのに遮断機が降りる踏切がある。
遮断機が降りる時間は、1968年に脱線事故を起こし多数の犠牲者を出した
列車が、脱線しなければその踏切を通過していた時間であった。
通行者は死者を悼み、文句ひとつ言わずに遮断機が上がるのを待っているという。
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ラスト・フォークロア

606 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/10/22 21:29
なんか、俺ん所にロアのメッセージが届いたんだけど・・・手紙じゃなかったけどさ。
また、12時に来ます。あ、それとトリップとかつけたほうがいいかな?
ではまた。
608 名前:606 投稿日:03/10/22 23:59
信じようと、信じまいと―

フランスのリオン郊外の公園には、1908年頃まで不思議な形をしたオブジェがあった。
いつ、誰が作ったのか、付近の住民は一人も知らなかったが、彼らにはとても親しまれていた。
それを見た旅行中のイギリス人物理学者が、不可解に思いそのオブジェの力学計算を行ったところ、
それが立っているのは物理学上ありえないと言う結論に至った。奇しくもその日、像は倒れた。
615 名前:606 投稿日:03/10/23 01:04
信じようと、信じまいと―

アメリカ、シカゴの病院に変死した男性が運び込まれ、解剖を行う事になった。
しかし、解剖中に停電、手術室は暗闇に包まれた。そして、予備電源が作動し照明が戻ると、
男の遺体は忽然と姿を消していたと言う。次の日、男の遺体は焼却場で発見された。
変死の原因は、室内での凍死であった。
616 名前:606 投稿日:03/10/23 01:07
信じようと、信じまいと―

ロサンゼルスである男が、露店で「不思議なCD」と言うものを売っていたので、それを買ったという。
しかし、家に帰ってプレイヤーにそれを入れたところ、雑音ばかり流れ、一向に何も起こらない。
騙されたと思い、男はCDを取り出そうとしたが、その時不思議な事が起きた。
なんと、プレイヤーから出て来たトレイの上に、あるはずのCDが無かったのだ。
617 名前:606 投稿日:03/10/23 01:09
信じようと、信じまいと―

スイス、ローザンヌに近いとある村には、閉鎖されたトンネルがある。
そのトンネルには、以前、鉄道が通っていたのだが、列車全体が入ってから出て来るのに、
10分以上かかったという。あるとき、安全点検のために国が調査を行ったところ、トンネルの長さは、
明らかに列車の長さより短かった。10分間、列車はどこを走っていたのか?

信じようと、信じまいと―
618 名前:606 投稿日:03/10/23 01:11
昨日、戯れにc\:デスクトップ\loreって入力したら、メモ帳形式でこんなものが入っていました。
なんか、まだホント信じられません。何でこんな事、思いついたのかも今となっては不思議です。
ちなみにロア数は64個でした。あとは前スレ1さんと同じです。ただ、自分はチキンなので、
10個以上は言うつもりはありません。期待してたらスミマセン。では、また明日。
630 名前:606 投稿日:03/10/24 00:03
信じようと、信じまいと―

1999年の全国食肉調査会の調べによると、輸入した全食肉と国内で生産した食肉の合計が、
実際に国内で販売された食肉の量よりずっと少なかったという。また、全国的な保健調査の結果、
食後の体重の増加が、食べた食品の重量より少なかった例が、暫し報告された。
我々は、一体何を食べているのだろうか。
631 名前:606 投稿日:03/10/24 00:05
信じようと、信じまいと―

チリに死者を生き返らせる事が出来る男が居たという。
彼の術により生き返った人間は数知れずといわれ、その土地では神の使いとして崇められていた。
アメリカのレポーターが取材に来たところ、彼は死んだ亀などを生き返らせ、彼らを驚かせた。
しかし、さらに驚くべき事が判明した。政府の公式記録によると、彼は1年前に死んでいたのだ。
633 名前:606 投稿日:03/10/24 00:08
信じようと、信じまいと―

埼玉県の研究室で伝染催眠術の実験が行われた。これは、催眠に掛けられた人間が他の人に再び催眠を
掛け、それを人々に広めると言うものだ。実験では、一人にパソコンがあると思い込ませて掲示板に、
書き込みをさせ、別の一人を部屋に入れ感染させてそれを読み取らせることに、ほぼ成功したという。
しかし同時刻に、実際の掲示板にもそれと同じ書き込みがされていた。催眠はどこまで広まったのか?

信じようと、信じまいと―
642 名前:606 投稿日:03/10/25 00:00
信じようと、信じまいと―

1983年8月頃、カナダのグレートベア湖に、南から見慣れぬ渡り鳥が渡って来た。
付近に住む野鳥学者は、研究のため一に部の鳥たちの足にプレートをつけて、また湖に還した。
鳥たちは冬になると南のほうへと姿を消し、翌年も戻ってくる事は無かった。だがその5年後に、
そこからその鳥によく似た化石が発見されると、その足には何かをくくりつけた跡があったという。
643 名前:606 投稿日:03/10/25 00:01
信じようと、信じまいと―

1989年アメリカ、オレゴンで馬鈴薯農家のAが友人を殺害。自分の畑の近くに大きな穴を掘り埋めた。
翌年収穫したジャガイモを自宅で食べると、なんと中から殺した男の指の骨が出てきたという。
他の出荷したジャガイモにも男の様々な部分の骨が混入しており、Aはその後逮捕された。
埋めた場所は畑からある程度離れており、何故ジャガイモに混入したのかは誰にもわからなかった。
644 名前:606 投稿日:03/10/25 00:02
信じようと、信じまいと―

イタリアに住む神父、アルマーニは日々聖書を書き写す事を日課にしていた。
ある時、彼の知人の男が彼のノートを見ると、彼のノートに写された文の一部にはありもしない文章が
書かれていた。男が神父にその事を告げると、彼はそんなものは書いた覚えが無いと言う。
しかし、その後聖書原典の修復作業が進むと、そこには神父の書いた箇所とほぼ同様の文があった。

信じようと、信じまいと―
645 名前:606 投稿日:03/10/25 00:03
これで、終わりです。ロアの手紙は、メールで友人に送るつもりです。
正直、まだやっぱり少し怖いですが、何も起らない事を祈ります。
もし、続きを読みたかったら、手紙がまわって来るのをまって下さい。
では、さようなら。
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ラスト・フォークロア

266 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/24 22:40
聞いた話。
ある人が切り倒した木を寸断していると
木の中に空洞があり、その中に獣の骨が一揃い入っているのを見つけた。
抜け穴もなく外界から完全に隔絶した洞の中には
乾いた糞のようなものも落ちていたと言う。
267 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/24 22:50
聞いた話。
山菜採りを生業としている夫婦が、山肌にある大岩が燃えているのを見つけた。
慌てて近寄ったが、不思議と熱を感じない。
やがて火は消えたが、周囲の草や木には焦げた跡はなかった。
ただ、岩肌の苔は奇麗に無くなっていた。
268 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/24 22:57
聞いた話。
ある人が梯子に上り木の枝を切っていると、耳もとで声がした。
声のした方向を見ると、幹の向こう側から誰かが覗いている。
目が合った途端、そいつは上の方に滑るように消えてしまった。
その目は真ん丸で、目蓋がなかったと言う。
270 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/24 23:05
聞いた話。
猟師が河原に猿を追い詰め、銃で撃った。
倒れて動かなくなった猿のところへ、猟師が近付いてみると
そこにはひからびた猿の毛皮があるばかりで、周囲には血の跡もなかった。
猟犬は怯えるばかりで近寄ろうともしなかった。
271 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/24 23:17
聞いた話。
男が炭を焼いていると、窯の中から妙な音がする。
耳を澄ませると、男がいつも歌っている歌が聞こえてきた。
気味が悪くなったものの、そのまま焼き続けた。
やがて出来上がった炭は、生焼けで使い物にならなかったと言う。
291 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/25 23:27
聞いた話。
ある男が山菜を摘んでいると、背後から何物かが近づいてくるような音がした。
てっきり猪か熊だと思い込み、慌てて手近な木の上に登って下を見ていると
姿の見えない何物かによって草や灌木がなぎ倒され、けもの道が出来上がっていく。
それが遠ざかってから下に降りてみると、辺りには百合の匂いが漂っていた。
292 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/25 23:28
聞いた話。
その杣取りは、毎朝桜の木の根元にあるお地蔵さまに手を合わせるのを日課としていた。
ある日、手を合わせている最中にお地蔵さまの顔が何処となく悲しげに見えた。
そこで、五分咲きの桜の枝を手折りお地蔵さまの足元に添えた。
夕刻山から下りてくると、満開となった桜の枝がお地蔵さまの頭を貫いていた。
293 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/25 23:29
聞いた話。
枯れた竹薮に湧く化け物がいるらしい。立木を引き倒し、大雨を降らせると言う。
嵐の夜、見回りをしていた男が、半年前に枯れた竹薮の足元に来た時
黒髪のようなものが絡み付いた木々が、土石流と共に押し寄せてきた。
慌てて逃げる男の後ろから、甲高い笑い声が追いかけてきた。
294 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/25 23:30
聞いた話。
一仕事終えた男が山で酒を飲んでいると、突然耳もとで声がした。
「馬鹿だな、馬の小便なんか飲んで」それを聞いた途端、
口の中に何とも言えない味が広がり、男は思わず酒の瓶を放り投げた。
一瞬後、我に返った男がいくら探しても瓶は見つからなかった。
295 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/25 23:31
聞いた話。
ある人が山中の滝壷の側で休んでいた。
何気なく滝に近付いた際、轟々と流れ落ちる水の中で腹を見せて泳いでいる魚を見つけた。
尾ひれを優雅にくねらせる魚の周囲の水は静止しているようにも見える。
思わず顔を近付けたその時、向こう側の水面から突き出した嘴が魚をついばんで消えた。
315 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/26 23:26
聞いた話。
ある晴れた日の早朝、村人が外に出てみると山の景色が変わっていた。
形が幾分ずんぐりとしていて色は黒く、全体がうねうねと蠢いているようにも見える。
村人が騒然とする中、猟師がのそりと歩み出て空に向かい銃声を一発轟かせた。
すると、山から雲が湧くように無数の黒い鳥が一斉に羽ばたき、何処へと飛び去った。
316 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/26 23:27
聞いた話。
山奥の里に漁師と呼ばれている男がいた。早朝山へ登ると夕方には魚を持ち帰ってくる。
里で持ち帰った魚を売るのだが、その中に海のものと思われる魚が混ざっている。
どの魚も採れたてのように新鮮なので、ある人が何処で釣っているのかと聞いた。
漁師は坊主岩の下にある池で採るのだと答えたが、坊主岩という名を知る者はいなかった。
317 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/26 23:28
聞いた話。
ある男が木を切っている最中、切り口から白い手が伸びてチェーンソーの刃を掴んだ。
思わず覗き込んだ刹那、男は縦に裂けた木の幹に胸を強打され、吹っ飛ばされてしまった。
気が付くと、全身ずぶ濡れで家の縁側に横たわっていた。妻が心配そうに覗き込んでいる。
派手な水音がしたので表に出たところ、夫が池の中に倒れているのを見つけたらしい。
318 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/26 23:29
聞いた話。
ある日、少女は村の年寄りに中腹にある石垣より上に立ち入るなと言われた。
少女に思い当たる節は無かったが、石垣には近づかないように心掛けていた。
ある晩、ふと目が覚めると、豪雨のさ中に石垣の上で寝ている自分に気が付いた。
驚いて山を下ったが、すでに村は土石流に押し流され、助かったのは少女だけだった。
319 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/26 23:30
聞いた話。
冬のあいだ閉鎖されていた山小屋で、老人と若い女性の遺体が発見された。
二人とも街を歩くような軽装で、老人は83歳という高齢、女性は妊娠7ヶ月であった。
後の調査では、彼らがどのようにして山小屋に辿り着いたのかは分からずじまいだったが
二人が夫婦であったことが判明した。
327 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/27 23:43
聞いた話。
ある人が弁当を木に吊るして草刈りをしていた。
昼飯時になって弁当を下ろそうとすると妙に軽い。
包みを開けると、弁当はすっかり食べられていて、代りに白い花が一輪残されていた。
通りがかった旅人に見せると、これはカタクリの花で白いのは非常に珍しいのだと言った。
328 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/27 23:45
聞いた話。
深夜、車が谷に転落したとの連絡を受けた警官が現場に向かった。
破損したガードレールと崖下へと消えるタイヤの跡があったものの
谷底には車が転落した形跡すら見つからなかった。
地面には、森の中へと続く血痕だけが残されていた。
329 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/27 23:46
聞いた話。
その木こり達は、いつも四人組で仕事をしていた。
ある日、いつになく仕事が早く終わったので上機嫌で土場に降りてきた。
すると、なぜか既にたき火が焚かれており、周りには石が五つ並べられていた。
翌日、四人が山に入ると、昨日切り倒した木が一本残らず無くなっていた。
330 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/27 23:47
聞いた話。
その池では、欲しい椀の数を書いた紙を放つと、翌朝にその数の椀が浮くと言う。
ある時、息子の結婚式を翌朝に控えた百姓が必要な椀の数をしたためて池に流した。
翌朝になって池に行ってみると、浮いている椀の数が一つ少ない。
百姓が家に戻って間もなく、客の一人が不慮の事故で亡くなったとの連絡が入った。
331 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/09/27 23:48
聞いた話。
猟師が雪山で見た事もない獣の足跡を見つけた。
それを追っていくうちに妙なことに気が付いた。
足跡がだんだん小さくなっている。
やがて豆粒大になった足跡が、雪原の真ん中で消えていた。
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ラスト・フォークロア

1 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 02:56
信じようと、信じまいと―

ドイツのアイゼナハ地方に生きている館があったという。
入るたびに部屋の位置や廊下の形が変わるのだそうだ。
1972年、大学の調査隊が訪れた際、学生の一人が誤って壁を傷つけてしまった。
すると、大きなさけび声に似た音が館に響き、それ以降不思議な現象はおきなくなったという。
2 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 02:57
信じようと、信じまいと―

1922年、メキシコの石器時代の遺跡から銃弾と銃殺された石器人の骨が出土した。
翌年、発見者のカーナボン氏は趣味のボウガンの暴発で死亡。
矢のあたった場所は発見した骨と同じこめかみであった。
現在、石器人の死因は鈍器によるものであるとされている。
4 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 02:57
信じようと、信じまいと―

アメリカ、ノースカロライナ地方で1960年とある女性が、
自分は宇宙人にさらわれたと言った。
別に体に異常はなかったのだが、不思議な事にその女性がその後妊娠すると、
破水はしたのだが結局何も生まれてこなかったという。
5 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 02:58
信じようと、信じまいと―

明治35年の9月3日、山形県のとある村で男の子が生まれた。
助産婦とその母は、その子供を見るとすぐに右目を包帯で隠した。
その男は40歳で死ぬまで包帯を巻き続け、
結局、右目がどうだったのかを知る者は一人もいなかった。
6 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 03:00
信じようと、信じまいと―

ロンドンで、5年間行方不明だった男が当時の格好のまま発見された。
その男の話によると、男は二階建ての建物のエレベーターに三階のボタンがあるのを発見した、
そして、好奇心からそのボタンを押して外に出ると5年が経過していたという。
そのビルは男が消えてから5年間の間に三階に建て増しされていた。
7 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/24 03:01
信じようと、信じまいと―

乗客を乗せていたら突然消えてしまったと言うタクシー怪談。これは、その元となった実話。
恋人を殺害し、城ヶ湖という湖に捨てた男が車で帰宅途中に悪臭。トランクの中に死体が入っていた。
恐ろしくなってもう一度捨てに行くと、今度は自宅に死体があったという。男は恐怖して自供。
管理人の話によれば、男はその日外には出てないと言う。夢でも見たのだろうか?それとも…

信じようと、信じまいと―
30 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/25 00:00
信じようと、信じまいと―

南アフリカのある地方に、動く人形があるという。
イギリス人記者が、それがあるほこらに行ったところ、突っ立ったままで動こうとしない。
その事を現地人に報告すると彼らは一気に青ざめた。その人形は、座っているはずだと。
記者がそこに戻ると、人形は座ったままで微笑んでいた。
31 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/25 00:00
信じようと、信じまいと―

1989年アメリカのコロラド州に住むJが、ネットの掲示板上での殺人予告を見つけた。
その日Jは過ちで見ず知らずの老婆を轢いてしまい、警察が身元を調べると、
なんとその老婆はあの殺人予告でJの見た被害予定者だったのだ。
しかし、調べてもJの言うそんな書き込みはどこにも存在しなかった。Jは何を見たのだろう。
32 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/25 00:01
信じようと、信じまいと―

東京都渋谷区、井の頭通り付近に決して開かないマンホールがある。
その厳重さはマンホールの内部に鉛を注入してある程である。
そして、そのマンホールの内側から何か物音を聞いた者もいるそうだ。
その地下には、下水もガス管も地下鉄も存在していない。一体何に蓋をしているのだろうか?
33 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/25 00:01
信じようと、信じまいと―

戦後まもなくの話だ。中国、燕赫村の森林地帯で未確認生物の足跡が発見された。
中国政府の調査隊が調査を行ったが、厳重な監視にもかかわらず、足跡は増えるばかりであった。
1960年代に入って再び本格的に、今回は監視カメラを用いての調査が行われた。
録画テープには驚くべきものが映されていた。上に何もない地面に、ただ足跡だけが歩いていたのだ。
34 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/25 00:01
今、私の書いているこのロア(噂話)たちは、もともと私の知識ではありません。
ましてや作り話でも。これは半ば強制的に自分が知らされてしまったものです。
現在、私はこのロアをこれら以外にあと52知っているのですが、これ以上話すのには勇気が要ります。
何故なら―いや、それは明日の夜にでも話します。
50 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:00
信じようと、信じまいと―

北海道1966年2月4日、千歳空港に向けて乗用車で走行中の家族があった。その日の不思議な出来事。
空港まではほぼ一本道であるはずなのに、ずっと進むといつのまにか逆方向を走っているのだ。
何度向きを変えても、元の場所へと戻されてしまい、結局予約した飛行機を乗り逃してしまった。
しかし乗り損なったそれは、その日に東京湾へ墜落した羽田沖全日空遭難事故の機体であったという。
52 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:00
信じようと、信じまいと―

ベルギーの北部に「神隠しの森」と呼ばれている場所がある。そこへ行くと必ず誰かが消てしまうと、
現地の人は怖がって近づこうとしない。日本人の大学生グループが遊びでそこに寄った時の事だ。
森に入り、出てくるとその5人は一応お互いに確認し、誰も消えていないと安心していたが、
帰国の際、宿で荷物をまとめると見知らぬ日本製のバッグが残ってしまった。一体誰の物だったのか?
53 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:01
信じようと、信じまいと―

フランスの南、カンブレの村にはきれいな水の出る井戸があった。
水量も豊富で、村の人間はそれを長年大変重宝にしていたのだが、
1862年、その水が急に出なくなったので、村人が井戸の底へと下って行くと、
水脈はおろか水脈があった形跡すらなく、ただ石の床があるのみ。彼らは何を汲んでいたのだろうか?
54 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:01
事の始まりは、一週間前、私宛に送られた一通の手紙です。
その手紙には差出人の名はなく、不審に思いながら開封すると、
そこには、ワープロで62ものロアが書かれていました。
そして、手紙の最後に次のような文が載せられていたのです。
55 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:01
信じようと、信じまいと―

この手紙にあなたの知るロアを一つ加えて、一人の人間に送れ。
そして、この中のロアについては10までしか人に教えてはならない。
もしこれを破れば、あなたの名前の載ったこの手紙がそのうち回りだすことになる。
私の名はロア。私が事実に打ち勝つ日まで―
56 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:02
私は、暗闇であり地下であり背後である。
私は、偶然であり運命であり奇跡である。
そして、無意味であり意味である。
私の名はロア。私が事実に打ち勝つ日まで―

信じようと、信じまいと―
57 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:02
たぶん私の身の上に、何か良からぬ事が起きるとでも言いたいのでしょう。
しかし、私はこの手の話を信用する人間ではまったくありません。
だから、チェーンメールなどする気も起きませんし、この内容も恐らく作り話だと思っています。
ただ、このロア自体はとても面白いので皆に楽しんでもらおうとこんなスレを立てました。
58 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:03
そんな自分でも、やはり10を越えるのは少し怖かったです。
しかし、既に教えてしまったので、もしこれがホントだったとしても、もうどうしようもありません。
私の身に何か起これば、それも重ねて報告しようと思っている次第です。
事情と言うのは以上です。そういう訳で、これからもよろしくお願いします。
59 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:04
残りロア数 ―48―
60 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/26 00:04
途中で何故か名前が変わってしまいました。すみませんでした。
77 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:00
信じようと、信じまいと―

考古学者のプロレは1958年インドで廃墟となった遺跡の発掘中に直径約一メートルの石球を発見した。
しかし、彼が仲間を呼ぶために目を離した隙に消失。地面には複雑な模様が残されていた。
三日後に同じくインド、ニザマバードの広場に同様の物と思われる球体が早朝に突如出現。
市がトラックで輸送を計画したが、今度はトラックごと消失。同じく模様が道路に残された。
78 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:00
信じようと、信じまいと―

ソ連の宇宙船、ソユーズ1号は打ち上げには成功したが、着陸に失敗。
乗員であるウラジミール・コマロフ大佐は帰らぬ人となった。
不思議なのはそれからである。ソ連政府は、宇宙船の回収班のメンバーに何故か生物学者を加えた。
さらに、墜落した森林地帯でそれ以降3ヶ月間に渡り赤い怪光が何度も目撃されたという。
79 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:00
信じようと、信じまいと―

1995年に韓国通信技術研究所の調査は、驚くべき結果を示した。
全世界において、総アクセス数がPCユーザーの総数の約120倍になる時間が存在したと言うのだ。
当時のPCのスペックからすると、一台でそんな多くのサイトにアクセスできるはずも無いという。
一体、誰が紛れ込んだのだろうか?
80 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:01
信じようと、信じまいと―

6月のある日イギリスの議員バリー・チャーチの懐中時計が、8時20分で急に止まってしまった。
時間がわからなくなったため、彼はとにかく急いで議会へと向かった。議会へと到着した彼が、
議会の時計に目をやると、ちょうど針は8時20分を指していた。そして、その瞬間に彼の懐中時計が
また再び動き出したという。「急ぎ過ぎたチャーチ」、以来これが彼のあだ名となった。

信じようと、信じまいと―
81 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:02
近況報告

特に変わった事は起っていません。
強いて言えば、今日買った小説に乱丁があったことくらいです。
82 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/27 00:02
残りロア数 ―44―
111 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:00
信じようと、信じまいと―

エレベータから出てきた五年前の男の話には、こんな続きがある。その話を聞いた別の男が、
友人と共にそのビルへ行った。ビルが、再び建て増しすると聞いたからだ。そして、
4階のボタンを発見。男と友人はそれを押してみた。しかし、彼らはドアが閉まる前に恐ろしい事を
聞く。建て増し計画が無くなったというのだ。友人は慌てて降りたが、男は二度と戻ってこなかった。
112 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:00
信じようと、信じまいと―

トルコの名家、ヨルゲン家で1854年に起きた事件。
当時のクリミア戦争の戦火を逃れるため、ヨルゲン一家は中央ヨーロッパへの移住を計画。
逃亡のための荷物をまとめているさなか、当時6歳だった嫡男のロイが倉庫にあった箱の中から、
一枚の肖像画を発見。そこにはロイによく似た男児が描かれており、その題名は「1854年」であった。
113 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:00
信じようと、信じまいと―

1895年ドイツの医学者シュベルトが、漢方薬の研究の元に完成させた鎮炎症薬を試験的に、
自分の腱鞘炎患者に使用した際起きた事故。なんと両腕に使用した者は両腕で自分の首を締めて自殺。
片腕だけに使用した者は、もう一方の腕で締めようとする腕を抑えて危うく難を逃れたという。
シュベルトの輸入した漢方に使用されている生物の中には、現在未確認であるものも多い。
114 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:01
信じようと、信じまいと―

エリコというイタリアの数学者が、0と1が等しいという証明をしたという。
彼は、友人の前で紙にさらさらと証明を書いて、それ自慢げに説明をした。
説明が終わり、友人がさっぱりわからず紙から目をあげると、エリコの姿は消えていた。
再び紙に目をおろすと、今しがた書いた式も消えていた。

信じようと、信じまいと―
115 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:01
近況報告

すみません、残念ながら特に何も起りませんでした。
116 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/28 00:01
残りロア数 ―40―
132 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:00
信じようと、信じまいと―

平成3年、群馬の建設業者社長が自宅で衰弱死しているのが発見された。彼の手記にはこうある。
1年前、自分は町長との癒着を公表しようとした議員を殺し、新しく作られる講堂の壁に埋めた。
しかし、住民の反対で取り壊しが決定。殺人の発覚が恐ろしく、住民に根回ししたが無駄であった。
だが、実際はさらに恐ろしい事に、いくら壁を壊しても一向に死体が出てこなかったのだ。
133 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:00
信じようと、信じまいと―

18世紀、現在のオーストリアにあたる地方でカミーユという女が子供を孕んだが、相手の男が失踪。
女は男が戻るまでけして産まないと決心したという。その後の数十年、男が戻ることはなく、
また彼女は何も産むことなく腹は際限なく膨らんでいった。結局、男は現れず、
そのままカミーユは死んでしまった。そして、彼女の腹からは老人の死体が出てきたという。
134 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:00
信じようと、信じまいと―

スペインの漁師町で1970年頃、真っ赤なレインコートを着込んだ女が嵐の日に決まって現れたと言う。
その行動の突飛さから、町では彼女のことを知らない者は居なかったのだが、
その顔を見た者は誰一人として居なかった。ある嵐の日、漁師の一人がその女を見つけ、
危ないのでと注意しようと引き止めると、なんと中に体は無く、コートだけが地面に崩れたという。
135 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:01
信じようと、信じまいと―

アイルランドのクリスという男は、自分が囚人であるという夢に悩まされていた。
精神科医にも通ったが、一向に回復しない。しかしこの男、実際はジョージという囚人であり、
クリスというのは夢の中の自分であった。それでも、彼は獄死するまで自分はクリスと信じ続けた。
あなたは今、本当に目を覚ましていますか?

信じようと、信じまいと―
136 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:02
近況報告

恐ろしい事が起ったのでしょうか?それともまだ、前兆に過ぎないのでしょうか?
それも、四つもです。
138 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:04
まず一つ。これは思い過ごしかもしれませんが、
このスレッドが所々文字化けして見えるんです。
たぶん、古いパソコンなんで変になっているのしょうが、不気味です。
時期が時期なだけに。
139 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:05
もう一つは、乱丁の事です。
気になって乱丁したページを今日読み返してみたのですが、乱丁が広がってるんです。
少なくとも、一昨日見た時点では掠れていたのは一文字だけだったはずなのに、
一行まとめて薄くなってるんです。インクが擦れてしまっただけならいいのですが。
140 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:05
三つ目は書き込み時間です。私は、皆がわかり易いように、そしてある種の威厳をつけるために、
0時を狙って書き込んでいたのですが、昨日は一度寝過ごしてしまって
慌ててキリのいい時間、0時5分に書き込んだはずなんです。本当です。
なのに書き込み時間が0時になっているのは何故なんでしょう?
141 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:06
最後に。ロアの話です。封筒が届いた際、私はいくつかのロアを調べてみたんです。
もちろん、簡単に検索しただけなんですけど。
そのとき、少なくともソユーズなんて宇宙船を見つけることは出来なかったんですが、
今検索するとあります、そして記憶にもあるんです、ソユーズが。ロアが現実化している?まさかね。
142 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:06
もちろん、皆さんが楽しみにしているようなので、こんな事で止めるつもりはありません。
しかし、もし何か私の身に起って、書けなくなったらすみません。
その時は、あの封筒が送られてくるまで待ってください。
私の名前の載ったあの封筒が流れている気がするんです。
143 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:06
なに馬鹿なこと言ってるんだろう、自分。ごめんなさい、気にしないで下さい。
144 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/29 00:07
残りロア数 ―36―
187 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:00
信じようと、信じまいと―

ロサンゼルス。1992年にとある男が精神病院に運ばれた。男の話はこうだ。昨夜、コンビニに行くと、
真っ赤な監視カメラがあった。色が色なので気になっていると、その後に行ったコインランドリーや
公衆電話にもそれがあった。そして、自宅の玄関にもそれが付いていたのを見て、気絶したという。
男はその後、謎のショック死をした。顔は天井を向き、何かに怯えているようだったという。
189 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:00
信じようと、信じまいと―

日本人カメラマンが、ロシアのノヴォクズネツクにあるホテルに泊まったときの話だ。
彼は、窓から見える美しい湖を撮影するため、そこに泊まっていたのだが、
なんと2月だとというのに、湖で泳ぐ青年をレンズ越しに発見。良い被写体と思い、
彼はホテルから出てそこへ向かったのだが、そこに人の気配は無く、湖には分厚い氷が張っていた。
190 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:02
信じようと、信じまいと―

ギリシアの西部に住民から底なし池と呼ばれている池があった。国の調査員が国土の把握のため、
ボートからワイヤーを垂らして計測したのだが、100m垂らしても、一向に底に着かない。
その時ワイヤーが強い力で下に引っ張られ、ボートが破損。国は危険と判断し、池の埋め立てを決定。
トラックで土を流し込んだのだが、何故かすぐに埋まり、今地面を掘っても土があるばかりだという。
191 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:02
信じようと、信じまいと―

1812年、イタリアのアロルドという男が自費出版で100冊ほど本を作った。
彼は、近くの書店に50冊ほど置いてもらい、残りは自分で保管していた。しかし、出版一週間後に、
彼の家が火事で焼け、本は焼失し、彼も死亡。さらに、書店にあった本には全て虫喰いが発生。
現在、完本は一冊も存在していない。その題名は、「奇跡の起し方」であった。
192 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:02
信じようと、信じまいと―

マルセイユのとある教会には、「悪魔を閉じ込めた箱」があったという。
箱を振ると確かに、カタカタと木の玉のようなものが中に入っているのがわかる。
1988年、アメリカのTV局のレポーターの女がそこに訪れ、牧師に無断で蓋を開けてしまった。
しかし、箱の中には何も見つからなかったという。
193 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:03
信じようと、信じまいと―

スコットランドの生物学者の学説。動物の細胞には遺伝子が存在する。それが細胞分裂する際に、
その両端のテロメアという部分が短くなり、やがてなくなると分裂は止まる。これが、老いである。
しかし、リング状の遺伝子であればそれが短くなる事は無く、生殖は出来ないが理論上不死である。
彼によれば、確率からそんな人間が今までに5人は生まれているという。彼らは、今どこに居るのか?

信じようと、信じまいと―
194 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:04
近況報告

怖いです。とても怖いんです。
195 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:04
今日、乱丁した小説を友人に見せたところ、彼はどこも乱丁していないと言うのです。
恐る恐るその落ちている部分を見返すと、確かに乱丁なんて無いんです。
しかし、そこに書いてある言葉が変わっていました。こう書かれていたんです。
『ロアはあなたを見つけ、あなたはロアになる』
196 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:05
恐ろしくなって本を投げ出して家に帰ってきました。
何かの見間違えなのでしょうか?たぶんそうだと思います。
このところロアの事ばかり考えていたから、頭が変になっているんだと思います。
そう、今は考えています。
197 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:06
昨日からとりとめのない事が頭の中に浮かんでは消えています。例えば―
私たちは、世界中全てを見たはずではないのに世界についてのほとんどの知識を持っている。
しかし、その中にロアがもしかしたら含まれているかもしれない。
そして、どこかで現実化して何食わぬ顔で座っているかもしれない。 ―とか。
199 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:06
昨日から、暗闇を見るのが怖いんです。あれが、ロアがその奥にいる気がして。
パソコンのあるデスクの下が怖い。そこが暗闇だから。
そしてパソコンが怖い。今見えている文字化けが、いつのまにか、あの小説のように、
恐ろしい言葉に変わってしまうのではないか?
200 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:07
ロアになる―
この意味がこう思えてならないんです。
もし、ロアが現実化する力を持っているとしたら、逆に自分という事実もまた、
単なる「お話」になってしまうのではないだろうか?
203 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:07
ここのところ、このスレに書き込んでいる時以外の記憶が薄くなっている気がします。
今日の昼メシに何を喰っただとか、どこに行って来たかだとか。
小説を見せた友人もどうもハッキリしません。そもそも、そんな事あったんだろうか?
小説なんて、持ってたんだろうか?
204 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:08
明日、本当に病院に行こうと思っています。ヤバイ。本当にヤバイ。
205 名前:また明日 ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/30 00:08
残りロア数 ―30―
278 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/31 00:00
信じようと、信じまいと―

熊本県の横断歩道で、Aという男が事故にあった。赤信号なのにトラックの前に踊り出たというのだ。
Aは何とか生きており、その時、何故か「通りゃんせ」の音が聞こえた、と証言した。
Aの証言を気にした警官がその横断歩道について調べると、
交通量に比べて死亡事故の件数が圧倒的に多かったという。
280 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/31 00:00
信じようと、信じまいと―

フランスの貴族、オリオルのもとに9通のバースデーカードが送られた。
しかし、そのうち5通は配送中の事故により紛失。3通は宛先の間違いによって届かず、
最後の一通は、出したはずであるのにいつのまにか戻ってきていたという。
オリオルは誕生日の前日に死亡。その日を迎える事は無かった。
281 名前: ◆eWjx0HtbGI 投稿日:03/08/31 00:01
信じようと、信じまいと―

1994年、ルーマニアでオズロという男が右目に角膜移植をした。
翌年、彼は失踪。彼の家の鏡、ガラス、その他あらゆる反射物は割られ、粉々になっていたという。
彼の机から、日記が発見された。日記には移植の日を境に、ある言葉が大量に書かれていた。
「右目が俺を睨んでいる」
posted by tuto at 09:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月28日

連れ2人がパチ屋のレディースオープンの日に女装して行ったけどあまりにもブス過ぎて店員にバレて怒られてた。

オレが小学校六年生のころ。
オレはクラス中の奴から無視されてた。
今のガキなら自殺か引き込もるかだろうが、オレは一味違った。

そうオレは皆が反応しないのはオレが透明だからだと思った。

そこからは想像の通りクラス1可愛い女の子のリコーダーをこれでもかと舐める・くわえる(人前で)


当然、女の子は発狂。飛んでくる先生達。

呼び出される両親。

そして引き込もるオレ。





消防の時オナニーすることは罪なことと思っていたので
いつも神に祈ってからチンポをしごいてた。
「アーメン」って十字をきって同級生のおっぱいを揉む妄想でオナニー。
射精が近くなると神様ごめんなさい! 神様ごめんなさい!って神に
謝罪しながらイってた





「汚人」つかわせていただきます。


友達の家に遊びに行って友達の母が出してくれた怪しいコロッケを食べたら、お腹下したらしくゴロゴロきた。
でもまさか友達の家でウンコできないだろ?
だからゲリが出口付近まで貯まって便器に座ったらすぐ全部を噴射できるよう、
ギリギリまで引き付けて短時間で終らせて「小便」ってことにしようと思った。
そのために飲み物もガブガブ飲んだ。
そして作戦開始時間が来た。俺は「あージュース飲みすぎた!トイレ借りるよ」といいトイレに向かった。
便器の前に到着し、ズボンとパンツに手をかけた。
ヤツはもうそこまで来てる!これなら小便と同じ時間でピットアウトできる!バレない!

しかし次の瞬間にはトイレが糞まみれになっていた。
間に合わなかった?それともフライングか!?

そう、俺は短時間で済ませようと焦るあまり

便器に尻を向けるための旋回行動・パンツを下ろす・肛門ゲートを解放し噴射

の行動を同時に行ってしまった。
旋回しながら勢いよくゲリをばら蒔いたのだ。
惨劇はまだ終らない。
その光景と悪臭にやられ、先程作戦のため無理して飲んだドロリ濃厚ピーチジュースが戻ってきたのだ。
・・・トイレのあちこちに俺の汚物が散乱していた。
拭き取る物を見渡すが見つからない。そういえば外の棚に紙があるのを思い出した。
しかし、外からノックが!!!
観念した俺はゲリを舐めては飲み込んだ。





211 :('A`):2006/09/07(木) 18:30:34 0
ヘルスで40分間ずっとクンニし続けた
その間、「デリシャス!」を278回言った

651 :('A`):2006/09/27(水) 17:31:04 0
夜オナニーしながらマラソンしてた。名づけてオナソン。
ただイクまでひたすらしこりながら走る。
多分走ってる姿はきもいと思う。両手は常にちんこだったし。
顔も下向いてたから電信柱にぶつかったり水田に落ちたこともある。
人が来てもやめてはならないという意味不明なルールが
余計に興奮させ今日も俺はオナソンに出かける。



オレが厨房で、仮性包茎だったころの話。

修学旅行って、カメラマンが同行するよね。
で、旅行から数日経つと廊下にカメラマンが撮った写真がずらーっと張り出され、
好きな写真は買うことができる。
オレはもちろん好きな子が写ってる写真を買った。

もちろんそれを見ながらオナ。
お前ら変態はこの程度では驚かないだろうな。

しかし、ド変態のオレは好きなこの顔を約1センチ四方に切り取った。
何に使うかって?グヒヒヒ・・・
当時のオレは頭がよかった。
仮性包茎を利用して、切り抜かれた好きな子の顔写真を
ちんぽと皮の間にしまい、常時持ち運びしていたんだぜ。すごいだろ。
常に、あの子とオレとは一体なんだ。と充実感を得ていた。
好きな子と話している時も、常に写真はちんぽの中。
ちんぽの中にお前の写真が入っているのも知らずに、俺と話してる。
意識すると立って剥けて、落ちそうになるから大変だったな。

もちろんオナにも使い、終わったら皮の下に収納する。
グヒヒヒ。。。

しかし、高校になってちんこの皮がむけてしまって以来、今はやってない。


うんこを出した後、落ちたうんこに唾を垂らすのが俺の決まり事
ある日いつも通り、うんこに唾を垂らした
粘着の強い唾で、うんこに到達した後も糸を引いていた
こりゃいかんと急いでペッペとやったが下の方で切れた糸は再び口の中に戻ってきましたふふふん



俺、脳内彼女と一人メールやってる
気分を出すためにパソコンから自分の携帯に送る
で、着信→ガバッと飛び起きて大慌てで携帯を開く、とか

なんか普通に青春してるような気分になれるよ


おとといイラツイてたからパンツを下げ、ケツを丸出しにしてそのケツでパンパンと地面にあるアリの巣を埋めてやった。
優越感に浸りながら家に帰りニュース23を見てるとなんか菊門痒い…と思ったらケツの穴からアリが出てくる出てくるww
大量のアリの移動により刺激される我が前立腺がまた愛おしいやらなんやらでアッチョンブリケ!我が杓杖は燃え盛るように勃起…

触りもしないのに精子が出そうに……「イクぅ…イクぅの……ひいちゃんイクぅの!!」
と言いながらもう訳分からなくなり申し訳ありません…発射のほうさせていただきました。

と思ってチンコよく見るとそれアリなんですよね〜w精子じゃなくアリがチンコからプププっプリプリプリプリと発射されてましたww
私完全にタガが外れまして…ケツから出てったアリが地面に落ちてたクッキーのカス持って帰ってきますしね。そうなんですよ。私の菊門はもう完全に巣になってましたww
まあそいつは穴に入り込む直前にキュッとアナル閉めて殺しましたwでもクッキーのカスが刺さってちょい痛くて涙…みたいなw

そしたらなんか死んだアリが危険信号フェロモン出したんでしょうか…お腹の中から菊門までアリが激しく動きだしまして。他のアリなんかどこから持ってきたか峨の死骸を5匹くらいでアナルに運んできやがりましてねww
さすがに不安になったんで小学校時代の恩師にTELしましたw

今では慣れましたから同居してます。

















































824 :724の改訂板(漢字ミスなど):2006/12/05(火) 07:38:30 O
思春期のある日、俺は風呂場でちんぐり返って天に向かって唾を吐き自分のアナルに入れようとしていた。

しかし何度挑戦しても唾は自分のフトモモや顔にかえってくるだけでミッションの難易度は熾烈をきわめた。
それからまた20分くらい経っただろうか…再度唾を吐いた瞬間…気付けは俺はガッツポーズを作っていた…完璧な軌道だった……美しい……あたかも虹の掛橋のようなそれを描いた俺の唾は最高到達点を越えゆっくりと降下していく。

そのときである…勝利を確信した俺はこともあろうにそれまで上手く自己を律し程よくリラックスしていたことによりパックリと開いていたアナルを瞬間的に閉じてしまったのである。
唾は……俺の閉じたアナルに小さな音を立てて落ちた……

慢心である……慢心が自己を最後まで律することを許さなかったのだ。
俺は30分ぶりにちんぐり返しを解き全身唾にまみれた体をゆっくりと横たえ目を閉じた…
そこに残ったのは絶望、そして虚無感…
自己のアナルをコントロールすることなど子供にすらできる…気付けば頬を一筋の涙がつたっていた…

俺はもう一度己を奮い立たせ再度ちんぐり返しの体制に…戒めに先程アナルに付着した唾を手ですくい口に戻した。
鼻をつくような香りが全身を痺れさせる…その唾をゆっくりと喉の奥へと運ぶ……渇ききっていた体は久しぶりの水分を待ちきれなかったのだろう、全身に力が漲る…

再び俺は唾を天に向かい吐きはじめた…

それから10分ほど後。それは先程の唾をリプレイしたかのような軌道を描く…
目を反らさずその唾の行き先を追う。
唾は音も立てずアナルに吸い込まれた…体の皮膚以外に落ちたからだろう俺は何も感じ取ることができなかった。

しかしその後アナルを閉じた瞬間「ぷぎりゅ…」と音を立て俺のアナルから泡だった液体がでてきた…
成功である。自己を律することに成功したのである…その瞬間過度の疲労と一種の満足感から俺はちんぐり返しの体制のまま気を失った…

夢を見ていた…まだ見たことのない未来の嫁と食卓を囲んでいる。嫁が抱えてる子供は誰だろう…ハハっ…俺の子か…おいおいそんなにがっつくと喉をつまらせるぞ。
ほら…言わんこっちゃない…この水を飲みなさい。ほら……………………………

その瞬間…ガチャっと風呂場のドアが開いた。その音に目を覚ました俺は全身唾にまみれたちんぐり返しの体制でドアの方向に目をやる…そこには母の姿があった。後で聞いたところ呼んでも返事がなかったので心配になり見に来たらしい…

焦った俺はちんぐり返しを解こうとしたが体が硬直していたため頭の裏に回していた足が取れない…
無言のまま10秒ほど見つめ合っただろうか…
母は崩れ落ちるように泣き出した…

俺はただ虚空を睨み続けていた…
posted by tuto at 19:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人気者になりたくて頭に 肉 の文字を書いて職場に行ったことがある

悪い女=可愛いと思っていた高2の春
制服のスカート丈を引きずるぐらいロング(昔のヤンキーみたいな)にして
ケロッピーの便所サンダルを履いていた
休み時間になると廊下にベタ座りして
家から持参したビニール袋をふくらませて
シンナーすってるフリしてた
誰かが側を通るたびにクスクス笑って
「おっきなクマさん〜遊ぼうよぉ」
とかラリったこと言ったりしてた
授業中にわざと携帯の着メロ流して
電話かかってきたフリして
「え!?マジかよ!剛が!? いいか!あたしが行くまでトオル!
テメーが時間稼げ!奴らまとめてあたしがメイカイ送りにしてやんよ!」
とか叫んで教室飛び出して先生に呼び止められて
「うっせぇ!ダチがやべぇことになってんだよ!仲間見捨てろって言うのかよ!」
とか言って帰って後から先生から家に電話かかってきて
親父にブン殴られて公園100周と
縄跳び500回やらされて目が覚めた


まさしく厨二病真っ只中の厨二の頃
当時俺は放送委員会みたいのに入ってて、部活後の最終下校時刻を放送で伝えたりするのが仕事だった。
最終下校時刻15分前から5分置きに放送しなきゃいけないこの仕事が思った以上に暇で、俺は頭がおかしくなったんだと思う。
何故かはわからないが「悪霊に乗り移られた俺かっこいい」と思ってしまったんだ。


そして放送の時間。
15分前と10分前の放送を無事に済まし、残すは最後の5分前の放送となった。
その間に俺はずっと「悪霊に乗り移られたことで有名になってテレビに出たりするのかな」とか勘違いしてたと思う。
死ね俺。

そしてついに5分前。
機材のスイッチを入れ、マイクに向かって茶番劇を始める。

「最終下校時刻5分前です。帰宅の準備を……うっ!!」
「ハァ…ハァ…俺をこんな目に合わせた貴様らを許すものか!今すぐ全員呪い殺してやる!この悪霊アンチャビッツ様(妄想の中で考えた最高にかっこいい名前)がな!!」


そしてスイッチを切る。
決まった。
完全に決まってしまった。
もちろんその後は先生が放送室に入ってきて、悪霊に乗り移られて気絶した設定の俺をボコボコにしてくれたよ。
次の日学校に行ったら放送を聞いた人達によって俺のあだ名がアンチャビッツに決っており、イジメが始まったのは当然なことだと思う。



空気として過ごした高校
卒業式も終わって俺は友人や恩師と話すこともなく
PC部の部室に置いてあった荷物を撤収させようと
鞄に詰めていたら俺しか居なかった部室に訪問者が
こんなときに誰かと思えば当時俺が好きだった同じだったクラスの娘が
その娘は活発的なタイプでクラスを引っ張っていて
学年一イケメンと呼ばれる彼氏を持ってた
俺とは住む世界が違う娘が部室に来たのは
どうやら俺を探していたらしい
何故俺を?と不思議に思っていたらその娘が話始めた
要点を整理すると
「卒業記念にうちのクラスの男子の第二ボタン(もしくは第三)を全員から集めてて、
残りは俺のだけだったからコンプリートしようと探し回ってた」
そして最後の心当たりとしてこのPC部の部室に来たらしい。
で、ボタンをくれと言われたが俺は今ならふたりきりでこれが最後のチャンスかもしれないと考えた
告白は彼氏持ちには出来ないだろう。何か、何かないかと考え抜いてもうどうなってもいいと
おもいっきり叫んだ
「じ、じゃあボタンの代わりに…パンツくれぇぇっ!!」
一瞬間があって無言で走り去られた
その後は覚えてない



137 :本当に今だからこそ懺悔します(ノД`)・゚・ :2007/02/22(木) 18:29:22 0
( ε )じつはようじょのからだをおいしくいただきました。
ずがいこつはきれいにみがいてりびんぐのたなにかざってあります。
さいしょはたいへんでしたがなれるとあんがいかんたんにできるも
のです。せいぜんもきれいでかわいいおんなのこでしたのでずがい
こつだけでもかたみにのこしてやろうとおもってかざったしだいで
す。こういうのもなんですがじんにくもけっこうおいしいのです。
さすがにしんぞうやぼうこうはたべるきがしなかったのでばいよう
えきにひたしてげたばこにほかんしております。いまのところじし
ゅするつもりはございませんが、ばけてでてこなければさいわいだ
とおもっております。


138 :('A`):2007/02/22(木) 18:43:48 0
通報だぁー



プラモを作ってて、小さなパーツを
その辺に置いとくのがめんどくて、口に挟んでた。
俺は口で呼吸をする人間だったので、
スポッっとふと呼吸をした時に
パーツを飲み込んでしまった。
俺はダッシュで風呂場にいき、
喉に手を突っ込んで洗面器にゲロを吐いた。
んで水でゲロを薄めながら、洗面器の底に沈んでいた
パーツを手探りで救出した。
マジで臭かった。
残ったゲロは便所に流した。



今日仕事の帰り、いつもと違う道を帰った
その道はかつて自分が入りたかった大学の前に続いていた
大学前のコンビニに車を停め、その大学を眺めながら煙草に火をつける
高校中退してはや五年。青春時代に色恋事や友人と遊ぶ経験がなかった為、現在は完全なる喪男
自分より年下の人間がここで青春を謳歌しているのだ。そう考えていたら自分が馬鹿な人間だと思え悲しい気持ちになった
大学周囲にある寮やアパーには窓明かり。恋人達や仲のよい友人達の集まりが楽しく時を過ごしているのだろうか?
月明かりに照らされた校舎を背に俺は涙を流していた




おれは要介護2のじぃちゃんと二人暮らし。
わずかな生活保護で生計を立てている。
周囲5kmは民家ひとつない田舎。親戚の叔母
が月に2回様子を見に来るとき以外外出も
ない。
そんなおれの楽しみは週1回送られてくる
週刊誌だ。ある日雑誌の裏にオナホールの記事を見つけ
1万2000円のオナホールを買う事を夢にみていた。
しかし介護の費用は高額でそんなことに
金をつかうことはできなかった。
しかし、ある日なにを思ったのかアイドルの写真を
切り抜き、もうゴホっとガハしかいわないじぃちゃんの
ケツに貼り付けた。パンツをおろし、昔受験のために
買った耳栓をつけ、ゆっくりと穴にいれてみた
これがオナホールの感覚なのか。驚いたおれは
ピストンを激しくくりかえした、だんだんと耳せんの上から
激しくなるじぃちゃんの声。
3分後、白い液があふれ涙ながらに何かをうったえている
じぃちゃんの顔をみていいたらなんだか泣けてきた。

5年後じぃちゃんは畳の上で天寿をまっとうし
都会に出てきたおれは始めての給料でオナホールを買った。
じぃちゃんとおれとの遠い日の思い出
posted by tuto at 19:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

おしえてください  
この世に生きとし生けるものの  
すべての生命に限りがあるのならば  
海は死にますか 山は死にますか  
風はどうですか 空もそうですか  
おしえてください  

私は時折
苦しみについて考えます  
誰もが等しく抱いた悲しみについて  
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと  
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと  
現在の自分と  

答えてください  
この世のありとあらゆるものの  
すべての生命に約束があるのなら  
春は死にますか 秋は死にますか  
夏が去る様に 冬が来る様に  
みんな逝くのですか  

わずかな生命の  
きらめきを信じていいですか  
言葉で見えない望みといったものを  
去る人があれば 来る人もあって  
欠けてゆく月も やがて満ちて来る  
なりわいの中で  

おしえてください  
この世に生きとし生けるものの  
すべての生命に限りがあるのならば  
海は死にますか 山は死にますか  
春は死にますか 秋は死にますか  
愛は死にますか 心は死にますか  
私の大切な故郷もみんな  
逝ってしまいますか  
posted by tuto at 18:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

@ポケに手つっこみ余裕見せて無視するイケメン
  →だがこいつはただの調子コキ、確かに女もいるがショボイ

A@に釣られて信号を渡ってしまう男
  →スネオ
B@に釣られそうになってためらって渡らない男
 →喪男
C@を見送ってその背中を見つめている男
 →一般人
D@の存在など気づかづ立ち止まって友達と談笑してる男
 →イケメン(強豪)
E@の存在に気づいて渡ろうとする友達を「おい赤だぞw」と
 たしなめて普通に立ち止まって談笑を続ける男
 →無敵イケメン(いい人)
Fこうした妄想でスレをたてる男
 →人の目が怖くて怖くてぶるぶる震えるニート50歳の私

C赤
posted by tuto at 18:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

小池徹平なんてタイマンならワンパンで殺せそうだけどあんなモヤシwwwwwww
posted by tuto at 18:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1174930225/
http://zhubanyu.iza.ne.jp/blog/entry/138437/
http://www.warewaredan.com/blog/

1980年代後半期

2度の転校と中退
1986年に福岡市西区の私立中村学園三陽高等学校に入学するものの、外山らの代が第一期生だったこともあってか、同校では厳しい生徒管理がおこなわれ、これに反発して職員室へ単身抗議に乗り込むなどの行動が、外山のその後のさまざまの政治的活動の出発点となる。

中村学園三陽高等学校にはわずか一学期間しか在学せず、同じ1986年9月には鹿児島県姶良郡加治木町の鹿児島県立加治木高等学校へ、さらにその1年後の1987年9月には福岡市南区の福岡県立筑紫丘高等学校と転校を繰り返し、最終的には1988年5月、同筑紫丘高校を自主退学する(尚、退学後の1988年9月に大学入学資格検定の合格者となった)。

これらめまぐるしい転校、退学の経緯の背景には、当然、それぞれの高校での生徒管理体制に対する外山の活動がある。最初の高校でのそれをきっかけに、外山の「活動家魂」が目覚めてしまったためでもあろうが、実際、外山が10代後半を過ごした80年代後半は、1970年代いっぱいまで持続した高校生のそれも含む学生運動や、1980年前後の校内暴力がほぼ抑え込まれた結果、学校における当局側・生徒側の力関係が当局側に一方的に傾き、行き過ぎた校則や体罰などに象徴されるいわゆる「管理教育」が問題視されはじめ、これに対する抵抗の運動もさまざまに試みられていた時期でもある。


反管理教育運動の本格的開始
筑紫丘高校を自主退学して1年もたたない、退学していなければまだ高校生であった1989年1月に、外山は自らの闘争経験を手記としてまとめた『ぼくの高校退学宣言』を徳間書店から上梓、その地元読者を組織して、「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」を福岡市に立ち上げる(正確には、同グループは外山の高校退学と同時にまず外山一人で「結成」され、地元福岡の複数の高校前や駅前などで単身ビラまきを続けるなどして徐々にメンバーも獲得されはじめていたものが、本の出版を機に一挙に拡大、またその印税をもとに、福岡市南区に1DKの「事務所兼たまり場」も設けられたものである)。

反管理教育運動は、内申書裁判の原告として知られ、現在は社民党議員でもある保坂展人や、現在はジャーナリストとして活動する藤井誠二らの先行世代によって1980年前後から展開され、1980年代半ば頃から一定の盛り上がりを見せ始めており、外山はその最も若い有力な担い手として登場し、その存在が一部に知られはじめたものである。

高校在学中には、我流のハチャメチャなやり方で行動していた外山だが、保坂展人が主宰し、当時の反管理教育運動、のみならず辻元清美のピースボートなどとともに当時の若い世代の政治運動の「総本山」的な趣きを呈していた青生舎の存在を、ようやく高校退学直後に知るにいたって、外山は青生舎・保坂展人の強い影響下に入る。


全国高校生会議
また、『ぼくの高校退学宣言』上梓以前の1988年8月、高校生新聞編集者会議を知って参加したことも、外山のその後の活動の展開にとって重要な出来事となる。 高校の新聞部というと、体育部活の成績発表など、学校側の広報協力的なものが多数派を占めるが、お仕着せの「学校」新聞ではなく、「学生(高校生)」の新聞作りを目指す少数派の連絡組織として、首都圏高校生新聞編集者連絡会議が1978年に発足。顧問教師(及びOB)の指導・影響をほとんど受けない現役高校生の自治組織として、代替わりを繰り返し十数年間活動を続けた。 高校生新聞編集者全国会議は、同高校生新聞編集者連絡会議メンバーが中心となり、毎年1回、3泊4日で数十名から多い年は百数十名の全国規模の交流会であった。その1980年代前半期のメンバーには後に“社会派エロマンガ家”として知られる山本夜羽音などもいる。

高校生新聞編集者全国会議の実行委員会は、外山が関与し始めた直後の1988年末、討論の中心としてあくまで「新聞部活動」が必要と考えるグループと、「新聞」を媒介とすることに必要性を感じないグループ(「新聞」を焦点にすることで、「新聞部」など関係なく社会問題と関わっている高校生の参加が得ずらくなる事を重視)との間で、議論が合意に達せず、翌年3月の会議は「新聞編集者会議」「全国高校生会議」が別個に開催された。 新参の外山も「全国高校生会議」実行委員会の中心メンバーの一人となる。他に、後に日本サッカー界の異端的なサポーター組織「サポティスタ」の創設者として知られる浜村真也や、当時の青生舎の最も若い活動家で、現在は保坂展人の議員秘書、外山の『ぼくの高校退学宣言』と同じくその高校生活における闘争の手記である『熱烈的日本少年』を1990年に上梓する苫米地真理らが、この創設期の全国高校生会議実行委員会の中心メンバーに含まれている。

全国高校生会議は1991年まで3回、毎年3月末に全国から数十名の高校生(や中学生、同年代の高校中退者・登校拒否者)の参加を得て開催されるが、各地で反管理教育運動を担ったり、当時やはり高揚していた反原発運動の参加者であり、1990年前後に(共産党系の民主青年同盟、「解放同盟」系の部落研、平和教育に熱心な教師お手盛りの高校生平和ゼミナールなどをはじめとする既成組織への参加という形でなく)何らかの多少なりとも社会的・政治的な運動に関与していた中高生を、数多く動員することに成功したと考えられる。

その参加者の思想的立場やそれぞれの地元で展開している運動の作風にはかなりの幅があり、過激な者も穏健な者も存在したが、実行委員クラスの中心メンバーの多くが、(既成の党派には属さずに)新左翼的な文化教養を嗜んでいたという意味では、70年を頂点とした高校生運動の「最後っ屁」と位置づけられるかもしれない。 メンバーの中には既出の浜村真也や苫米地真理の他、現在は新進の左派論客として知られる矢部史郎らも含まれ、これら全国高校生会議実行委員会の面々は、その後数年間の外山の主要な同志であったとともに、(当時の)保坂展人に象徴される主流派のそれとは一線を画す反管理教育運動の最左派の担い手となってゆく(外山らと作風を異にした全国高校生会議の参加者には、当時は「子どもの権利条約」批准促進運動の若い担い手の一人で、後に数回国政選挙に出馬して知られる菅源太郎らがいる)。


反管理教育運動の最左派
外山は反管理教育運動開始当初は戦後民主主義を奉じる凡庸な穏健派左翼活動家であったため、他の全国高校生会議メンバーにも強く影響されながら、自身の活動方針や思想的立場を急速に先鋭化させ、(当時の)保坂展人を象徴的キャラクターとする既成の反管理教育運動を、中高生自身が闘争の主役であることを否定し、「理解ある大人」が「管理教育の犠牲者である中高生」を保護し、「代わりに闘ってる」運動へと変質したとして激烈に批判、また、圧倒的多数の「闘わない中高生」の存在は管理教育を支える主要な要素のひとつであるとしてこれに対しても激烈な批判を展開し、「生徒批判」という既成の反管理教育運動におけるタブーを打ち破った。

また当時、反管理教育運動シーンを席巻していた「子どもの権利条約」批准促進の課題に対しても、「子どもの権利は子ども自身が学校現場で闘って勝ちとるべし」、「条約云々なんて話を中心的なテーマにすると、どう転んでも政治家と法律家が主導する運動にしかなりようがない」、「そんな運動に、せっかく自らの権利に目覚めた中高生たちを動員するに至ってはもう言語道断、自立した子どもたち自身の運動の芽をつむ最悪の方針である」などと激烈に批判、一時は確信犯的な管理教育擁護の主張で知られる「プロ教師の会」に、「敵の敵は味方」ということか、接近する姿勢さえ見せた。

80年代は「管理教育」という言葉が人口に膾炙する半面、教育現場で中高生による抵抗が組織されることは稀(「不良」による教師への反抗は除く)で、主に「良識」派識者・市民が、言論の場において「管理教育」の人権侵害ぶりについて論陣を張っていた。 外山の「穏健派」に対する見解を、その著書で述べている内容から意訳すれば 『中高生が教育の名の下に、強制を受けているからといって、良識派の大人の力で管理を緩めることには意味がない。 あるべき管理の内容の決定に高校生自身が関与できないのであれば、「自由な校風」にしろ、「管理教育」にしろ、高校生に教育を「与える」という点に良識派も反動教師も変わりない。 「丸刈りの強制」をやめさせることに意味があるのでなく、高校生自身が「強制」を、受けいれるか受けいれないかを自分の頭で考えることのほうに、よほど意味がある」

これらは本質的には、中学高校の学校空間の諸問題について、「学生自身の自治意識の向上」を抜きした「大人」の議論に対し、中高生の側からの、「中高生は保護されるべき子供ではないことを、自らの運動で証明して見せよう」という宣言であった。(結果的には証明できなかった)

また外山らは『生徒(学生)自身が「自己否定」的に自らの姿勢を検証すること』という方法論とともに知行合一をその作風としていた。 クラスでイジメが起きているのに、その現場で何もできないなら、いくら外でイジメ問題に取り組んでいても、イジメを認めているのと同じという見解である。 (俗的にいえば「自分で責任の採れない能書きを垂れるな」という倫理基準) これは敷衍されて、反体制的な政治見解を主張しておきながら、実際にそれを行動で表現できないのであれば、体制を受け入れているのと同じだという見解とつながる。 「自己否定的検証」と「知行合一」の重視は、規模は圧倒的に小さいながらもかつての全共闘運動と共通するものであり、実際に当時の全国高校生会議のメンバーは絶版されていた三一書房の「反戦派高校生」(70年安保当時の高校生運動の内在論理を言語化した書籍)を勝手に再販した。

またこうした政治的立場と経験の延長線上に、単に反管理教育運動の狭い枠を超えて、社民化した既成左翼総体を攻撃し、異端的な極左活動家として辛酸をなめる1990年代の外山の運動展開がある。


1990年前後の外山が関与した諸運動
1990年前後、反管理教育運動のシーンでは、外山ら全国高校生会議実行委員会メンバーを主要な担い手とする一連の行動がその最左派部分として顕在化したのだが、同様に、当時やはり高揚していた反原発運動では、北海道ローカルながら宮沢直人をリーダーとする「札幌ほっけの会」という最左派グループが存在し、また1988年から1989年にかけての昭和天皇の危篤から死去に至る“自粛”強要への反撃として開始され、やはり当時の反天皇制運動のシーンで異端的な最左派として存在感を放ち、テーマがテーマだけに徹底的に弾圧されて多くの逮捕者を出し“最後の過激派”とも称された「反天皇制全国個人共闘・秋の嵐」(見津毅、高橋よしあき、太田リョウをはじめ、山本夜羽音、佐藤悟志、鹿島拾市ら、多彩な顔ぶれの若者グループであった)の闘争もピークに達していた。

これら秋の嵐・ほっけの会・全国高校生会議の三者は相互に刺激しあい、一時期運動の活発化を見せたが、1991年以降には大きな盛り上がりは見られなかった。 理由としては、国家権力による弾圧、また当時の多少なりとも社会派的な問題意識を持つ若者たちの平均値からあまりに突出してしまったことによるさらなる新規メンバー獲得の困難が想像できるが、正確なところはわからない。外山の主宰したDPクラブも1991年5月に解散を宣言、また全国高校生会議も同年3月のそれを最後として以後は開催されなかった。

なおこの過程で、外山は2冊の著作を上梓(『ハイスクール「不良品」宣言』、『校門を閉めたのは教師か』。いずれも版元は駒草出版。前者は穏健派から過激派へと徐々に立場を移していく外山の反管理教育運動前半期にリアルタイムで書かれた文章をまとめたもの、後者はすでにシーンで最左派となっていた外山らが1990年7月に起きた兵庫県立神戸高塚高等学校・校門圧死事件に関連しておこなった特異な運動の記録)、また、1990年4月、自ら学校空間の内部に「潜入」し、当時内紛の余波で一時的に停滞していたDPクラブの活動再建の契機とすると称して、大検合格により大学をはじめとする上級学校への受験資格を得ていたにもかかわらず全日制課程だけが設置されている福岡県久留米市の久留米市立南筑高等学校に「19歳の新一年生」として入学するといった「奇行」を演じ、当然のことながら制服を着用して通学していた(翌1991年4月にまたもや自主退学。尚、一時期は福岡県下初の単位制高校として高い人気を集めている福岡市博多区の福岡県立博多青松高等学校を再受験するという噂もあった)。


外山による90年青年運動論の偏向について
90年前後の青年運動に関し、ネット上でもっとも長大でまとまった記録が残されているのが外山による「青いムーブメント」であるがゆえに、その影響力を危惧しこの章を設けた。 外山の個人の資質として、運動の実態を報告するにあたって客観性への目配りが余りにも乏しい。一言で言えば夜郎自大である。 外山はその著述で「秋の嵐」「ほっけの会」「全国高校生会議」を90年アンポの最先端として取り上げるが、当時首都圏で反体制の市民・社会運動を行っていた狭義の活動家が認識していたのはせいぜい「秋の嵐」で、他2つは全く認知されていなかった。全共闘がよくも悪くも60年代末の青年文化の象徴であるのは異論は少ないが、外山が3グループを取り上げるのは、彼の主観に過ぎない。1億2千万人の人口を有する日本では、少数派といえども、絶対数としては数多くの左翼的な運動、実践が存在した(する)。思想の内容が優れていても、社会的に全く認知されていない実践が数多く存在する。外山による運動の著述には単なる「レッテル貼り」が多く、活動の実態を事実誤認なく伝えようという配慮にかける。

論考「青いムーブメント」より引用すると http://www.warewaredan.com/contents/a-10.html

> 高校生新聞編集者会議は、七〇年代後半に成立した、高校の新聞部員たちの合宿討論会である。 > 高校全共闘の末裔たちがまだ闘争を持続している時期であるから、この集まりも、 > 彼ら新左翼の高校生活動家たちによって組織されたものと考えて間違いなかろう

当時の構成員の中には新左翼理論に詳しいもの、三里塚などの活動に関心を持っていた者、集会に参加したものも存在する。ただそれと「活動家」は等号で結べるものではないし、「活動家たちによって組織された」は、「高校生による、高校生の為の新聞作り」を結集軸に活動していた「高校生新聞編集者連絡会議」の十数年の活動実態のミスリードである。

他にも外山の文章には「運動の高揚」「最左派」「若い世代の政治的な運動」「活動家」といった言葉が散見されるが、正確に表現しようとすれば、次のとおりとなる。

「運動の高揚 → 参加者が可能性の広がりを感じた。外部にもそれが伝わっているかは問われない」 「若い世代の政治的な運動 → 動物実験反対から、私服登校まで、確かに広い意味では「政治」ではあるが「政治運動」の語感から程遠いものも含む」 「最左派 → 左翼の陣営では一般的に右より左が格好いいものとされるので、単なる自画自賛の言葉。はねかえり」 「活動家 → 活動家としての覚悟を必ずしも持たない、『心情反体制』の青年も含める」

編者は外山の唱える「青いムーブメント」の意味を貶める意図はない。 規模や影響力が小さくても、歴史的意義の深い運動は確かにある。 だからといって、規模や影響力について、オーバーな表現を用いることは正当化されないはずだ。 wikiで、外山恒一について説明する場合、外山の著述は重要な資料となるだろう。 「外山の著述領域は他に文献が少ないこと」「外山の著述に客観性への配慮が少ないこと」から、外山の過剰表現に自覚的であることの必要性は高いと考える。


1990年代前半期
初期衝動の持続を糧としてめまぐるしく展開したその反管理教育運動の挫折の結果でもあろうが、1990年代前半は、外山の運動が最も混迷、混乱していた時期である。

その初期(1991年、1992年)においては、大きく三つの方向性の異なる活動が並行しておこなわれた。

第一は、街頭ライブ運動の、カウンターカルチャー運動としての可能性の追求である。
第二は、既成左翼批判の運動である。
第三は、自らの1980年代後半の運動の整理・総括の作業である。

街頭ライブ運動
街頭ライブとは、いわゆるストリートミュージシャンの活動のことである。

外山は1989年8月に、ふとしたきっかけで福岡市の市街地の中心である天神・西鉄福岡駅前の歩道で、ギターの弾き語りをおこなった。オリジナル曲ではなく、主としてブルーハーツのコピーだったが、ブルーハーツは当時世間の主流とは相容れないと感じるタイプの若者に熱狂的に支持されており(外山自身ももちろんブルーハーツの熱烈な支持者であった)、街頭でブルーハーツを演奏するだけで感覚を共有できる同世代が立ち止まって話しかけてきてくれることに気づいた外山は、この年の12月から頻繁にこの活動をおこなうようになる。

路上で弾き語りをする文化は、1960年代のいわゆるフォーク・ゲリラの運動以来、当初の反戦フォーク的な方向性は失われつつも、おそらく1970年代いっぱいくらいまでは持続していたと思われる。しかしこの1989年時点においてはすっかり影をひそめ、福岡市内の私学に通う中学生として通学路の途中である天神周辺を1983年頃からよく知っている外山自身が、福岡でストリート・ミュージシャンを見かけたことは一度もなかったという。全国的にも、例えば東京・新宿のコマ劇場前にストリート・ミュージシャンが頻繁に見かけられるようになったのは1987年頃だという証言がある。

このような経緯から、外山は、福岡ひいては九州における(現在にいたる流れにおいて)最初のストリート・ミュージシャンとしても地元では認知されている。

1990年に入ってまもなく、外山のストリート・ミュージシャン活動の場を、西鉄福岡駅前から、若者の飲み屋街である同じく天神の親不孝通り入り口へと移すが、これは外山にとってこの活動が、感覚を共有できる同世代の仲間を獲得するという目的の他に、金払いのいい酔客からの投げ銭を収入源とするというもう一つの目的を持つようになったためであり、次第にむしろこの後者の目的が主となり、いくつかの著作があるとはいえ文筆家として成功しているわけではない外山にとって、ストリート・ミュージシャン活動は、この1990年以来、現在に至るまで一貫してその主要な生活の糧となっている。

さらに時を経て、外山のストリート・ミュージシャン活動がすでに「同志獲得活動」ではなくほぼ完全に「生活の手段」と化していた1991年12月頃、急に取り巻きの常連客の若者が増え、彼らが自らもギターを手に同じ親不孝通りのあちこちに立つようになったのが、現在に至る福岡のストリート・ミュージシャンのシーンの始まりだという。

この展開に、外山は俄然情熱を呼び起こされ、このシーンを何らかの政治的・社会的な方向性を持った、つまりカウンター・カルチャー的なものへと成長させるべく、さまざまに画策したが、それはむしろ、シーンにおいて自らを孤立させる結果に終わったようである。1993年秋頃を境に、外山はこの試みを断念し、以後現在に至るまで、ふたたび「単なる生活の手段」としてのストリート・ミュージシャン活動を外山は続けている。

ただし、次の「既成左翼批判」の運動とも深く関係する、1992年8月2日の「ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争」は、この福岡のストリート・ミュージシャン仲間の協力も得ておこなわれ、またコアなブルーハーツのファンの間で外山は「ファンの鑑」だと絶賛された。これは福岡の反管理教育運動家をはじめとする既成左翼勢力(主としていわゆる無党派市民運動の担い手たち)が、若い世代に人気のあるブルーハーツを招請してコンサートを開き、これを政治利用しようと画策したことに腹を立てた外山が、コンサート当日、大量の抗議ビラを会場2階席3階席から散布、主催者や会場スタッフとの物理的衝突に発展したという事件である。この闘争をクライマックスとする、福岡のストリート・ミュージシャン・シーンの草創期であると同時に最盛期でもあった当時の外山の日記が、のち1993年4月、『さよなら、ブルーハーツ』として宝島社から上梓されている。


既成左翼批判
1990年代前半の外山の既成左翼批判の運動は、上記「ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争」をはじめとして、いくつかの「事件」を伴って展開される。 外山が批判の対象とする「既成左翼」には、共産党や社会党(当時)などのいわゆる「旧左翼」のみならず、いわゆる「新左翼」や、全共闘やべ平連を源流とするいわゆる「無党派市民運動」など字義どおりすべての「既成左翼」が含まれている。むしろ、当時の日本の左翼総体から、先に挙げた秋の嵐・ほっけの会・全国高校生会議の三者を軸とする最左派部分の残党を除外したすべて、と言った方が分かりやすいかもしれない。

ひとり外山のみならず、これらの運動の経験者の中には、鹿島拾市や佐藤悟志、山本夜羽音、宮沢直人らをはじめ、それぞれの視点から既成左翼批判を展開する者が多く登場しているが、外山のそれに顕著な特徴としては、既成の左翼運動総体に浸透しているPC(ポリティカル・コレクトネス)的な思考への拒否感がある。外山がこうした問題意識を抱くようになった背景には、反管理教育運動時代に、部落解放同盟系の高校生運動に参加し、その雰囲気に大きな違和感を感じた経験などが存在すると思われる。

反管理教育運動時代の後期から、外山の運動において盛んに用いられるようになった行動形態に、「集会粉砕」がある。外山の言う「集会粉砕」とは、外山自身の言によれば、既成左翼の集会に一人もしくは全国高校生会議系の仲間数名で乗り込み、「多くの参加者が暗黙の前提としているあらゆるテーゼを疑い、一参加者の立場で盛んに論争を挑む」、「それだけで主催者側の意図する予定調和の集会は完全に破綻、野次と怒号が渦巻く大混乱に」なるというもので、「粉砕」という強い字面からイメージされがちな暴力的なものではない。大正時代にアナキストの大杉栄が「演説会もらい」と称してよくおこなったという行動形態に似ている。もっとも外山らの側が、集会を混乱させられたことに怒った主催者などの側から暴力的な報復を受けることは(上記「ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争」もこれに類するが)ままあったようである。

しかし、外山の主観によれば、こうした活動の背景には、外山の目には腐敗あるいは堕落したものと見える既成左翼を攻撃することによって、同じように疑問を持ちながらも他に選択肢がないためそれに参加している一部を刺激し覚醒させ、そのことによってもう一度、左翼運動を魅力的なものとして再生させたいという狙いがあったようである。つまり、外山の既成左翼批判運動は、反左翼運動ではなく、あくまでも左翼再建運動として外山自身には位置づけられていたということである。

1990年代前半の外山の既成左翼批判運動においても、上記の「集会粉砕」戦術はよく採用され、もちろんこうした活動は、既成左翼の中に少数なりとも外山の思想や行動に対する理解者を得ることよりも、とくに地元福岡の既成左翼活動家の間に外山憎悪の感覚を拡大・蔓延させる結果を主にもたらした。


自らの活動史の整理と総括
自らの1980年代末の経験を整理・総括するという外山の作業は、1970年代に一部で盛んに言われやがて顧みられなくなった「学生運動10年周期説」を、外山流にアレンジし直した独自の「10年周期説」に結実した。当初、トンデモ学説的に受け取られることが多く、実際に細部のよく詰められていなかったこの主張を、しかし外山は頑なに堅持し続け、現在自身のサイトなどで「青いムーブメント」と題して半ばまで公開されている80年代論においては理論としての洗練がなされるに至り、まだごく一部にではあるがこれを支持、あるいはまじめな検討対象とみなす者も現れはじめている。

またこの作業の過程で、中高生時代からDPクラブ解散までに至る自らの反管理教育運動の全過程を詳述した『注目すべき人物』が、1992年11月、ジャパンマシニスト社から上梓されている。


中森文化新聞
他に1990年代前半期の外山について挙げておくべきは、『週刊SPA!』の「中森文化新聞」への頻繁な登場と、「反共左翼革命結社・日本破壊党」の活動である。

「中森文化新聞」は、『週刊SPA!』の“雑誌内雑誌”のような体裁で、1993年から数年間おこなわれたコラムニスト・中森明夫の連載ページである。中森は、サブカルチャー・シーンで活躍が期待できる有為な後進の人材を発掘することに熱心で、この連載は、中森の目にとまったそれら“カルチャー・スタア”の卵たちを中森の筆で紹介したり、あるいは当人に寄稿してもらいながら、中森が監修していたものである。「中森文化新聞」への登場がきっかけとなって実際にブレイクした例として、『完全自殺マニュアル』の鶴見済や、ルポライターの藤井良樹、石丸元章、歌人の枡野浩一らが有名だが、外山も初期の「中森文化新聞」で中森が強力にプッシュしていた“カルチャー・スタア”の最有力候補の一人であり、連載開始当初から1995年半ば頃まで、同ページに「反教育の革命児」との触れこみで盛んに登場した(「反教育」は、管理でない教育などそもそもあり得ないとの「ラジカルな認識」に達した外山が、その反管理教育運動の後期に、「反管理教育」のスローガンに代えて使用しはじめたものである)。

この時期の外山がいかに中森によって強力にプッシュされていたかは、次第に『噂の真相』誌の名物連載へと成長した永江朗によるインタビュー・シリーズ「メディア異人列伝」の第一回目のゲストが外山であることからもうかがい知れる。

外山ら全国高校生会議派の運動がピークを迎えていた時期に、外山が別冊宝島シリーズの『子どもが変だ!』に寄稿した、「子ども自身による反『管理教育』運動なるものは、ほとんどゲロゲロである」と題する異様にテンションの高い一文に、中森が強いインパクトを受けたことが、こうした展開への契機となったようである。

「中森文化新聞」への頻繁な登場は、たしかに外山の知名度を、それ以前に比してとくに出版界やサブカルチャー・シーンにおいて格段に上げ、その過程で中野翠、西部邁、水道橋博士といった一部文化人からの絶賛も受けたが、本格的なブレイクには至らず、むしろこの時期の中途半端なブレイクが、とくに熱心にその後の外山の活動をフォローしているわけではない大多数の出版関係者やサブカルチャー愛好者に、外山を「過去の人」と印象づけてしまう結果をもたらしたきらいもある。


日本破壊党
「反共左翼革命結社・日本破壊党」は、DPクラブ解散以後に新たに知り合った「同志」数名を組織し、1993年10月に外山が福岡で結成したグループである。

グループ名の冠部分からも読みとれるように(「日本破壊党」の部分は、単に当時まだ存在していた「日本社会党」のパロディで、思想的にそう深い意味はないという)、同党は「反共」を掲げる「左翼」であり、「革命」を志向する「結社」である。「反共」でありながらしかし「左翼」で、社会改良ではなく根底的な「革命」を志向しているというのはつまりアナキズムの結社であるということだが、当時の外山はアナキズムを標榜することを頑なに拒絶していた(現在は、当時の自らの立場は結局アナキズムであったことを認めている)。この時に外山が掲げた「反共」には、「反マルクス主義」の意味ももちろんあるが、むしろ「反既成左翼」のニュアンスが強く、現実に日本に存在するアナキズムの運動のすべては、外山の目には否定すべき「既成左翼」の一部、少なくともそれに追従する存在と映っていたためだと外山自身は言う。

ちなみに外山は、反管理教育時代の過程で1989年2月頃に「入門書を1冊読んで」マルクス主義者となり、その末期である1991年5月頃に「笠井潔の著作が決定的契機となり」マルクス主義を捨てたと書いている。1990年代をとおして、外山は笠井潔の強い思想的影響下にあり、笠井に倣ったものであろうが「ブランキスト(ブランキ主義者)」を自称して、アナキストとは意識的に距離を置いた。

日本破壊党は、かつての全国高校生会議などと違い、現実には外山のワンマン・グループであって、1994年夏頃には「外山の失恋というショボい事情で」活動停滞に陥るほどの、本来ならばとりたてて解説の俎上に乗せるまでもない些細なエピソードにすぎないのだが、しかしその実体にそぐわない大きな「事件」をいくつか引き起こしているために、無視してしまうわけにもいかない特異なグループである。

破壊党の活動を開始するにあたって、外山は若い世代によるラジカルな政治運動とラジカルな芸術運動の融合をその主要テーマに挙げており、この前後から、外山は自らを単に政治活動家(あるいは「革命家」)であるのみならず、「前衛芸術家」でもあると自己規定しはじめるようである。このテーマの実践として、既述した福岡のストリート・ミュージシャンのシーンをカウンター・カルチャー的な方向へ誘導するためにこれに介入していくという試みもおこなわれるのだが、他に1993年11月におこなわれた「寺山修司展粉砕闘争」がある。これは単に、「ラジカルな政治運動とラジカルな芸術運動の融合」に賛同する新たな仲間を獲得するために、福岡市内のデパートの中のギャラリーでおこなわれていた寺山修司の回顧展に出向き、そこで勝手に来場者にビラをまいていた結果として突発的におこなわれることになった「闘争」である。つまり許可なきビラまきをやめさせようとする主催者と、「演劇をやってはならない場所で演劇をやった人の業績を賛美するイベントの主催者が、なぜビラまきをやってはならない場所でビラまきをおこなうことを認めないのか」と食い下がる外山ら破壊党メンバーとの言い争いが当然ながら決裂し、主催者が警察を呼ぶに至ったという、ただそれだけの「事件」である。しかし地元版の『読売新聞』がこれを「寺山修司展でユニークな問題提起」と社会面トップで報じるという大げさな展開となる。

破壊党が引き起こしたより重要な「事件」は、翌1994年7月の「公安調査局事件」である。

破壊党の活動実態について内偵していた九州公安調査局(つまり公安調査庁である)の職員が、そのことの確実な証拠となる内部文書を、こともあろうに外山のアパートの前に落としてしまい、結果として問題の文書は外山の手に渡ることとなり、当然ながら外山ら破壊党メンバーが「一体どういうことだ」と騒ぎ立てた事件である。

これはもちろん、上記「寺山修司展粉砕闘争」よりも格段に大きく地元メディアで報道されたが、そもそも外山が地元の既成左翼、つまりこの種の問題に敏感ないわゆる「人権派」の活動家たちから憎悪され、その協力や支援を得られない状況があったためであろう、事件の重大さに比してあまりにも世間に広く知られないままとなってしまっている。


1990年代後半期

福岡版だめ連
そもそも既述のとおり、「外山の失恋というショボい事情で」、1994年夏頃にはふたたび停滞しはじめていた外山の活動だが、1995年に入るなり、さらに外山は身動きのままならない状況へと陥る。

1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生し、このいずれもが以後の外山の活動の展開に濃い影を落とすこととなった。

震災の翌日には数名の仲間と共にヒッチハイクで現地へ「物見遊山」に出かけたものの、それと入れ替わるように続々と現地入りし始めたボランティアの若者たちの姿に外山は困惑し、やがて自らが「ヒューマニズムへの反感が行き過ぎてすっかりグレてしまっていたのだ」との「反省」を意識するに至る。

地下鉄サリン事件では逆に、オウム信者に対して微罪逮捕や別件逮捕を繰り返す警察のやり口や、それをむしろ後押しするようなメディアの論調や世論の傾向に強い危機感を抱き、「監視社会化」「警察国家化」が今後急速に進行していくに違いないとの認識から、これに対する抵抗運動を志すが、そもそもすでに外山は圧倒的に孤立した異端的極左活動家となっており、共闘を呼びかける相手も、また仮に呼びかけたとしてもそれに応じるであろう相手も周囲に想定できず、いよいよ外山は行き詰まってしまうのである。

このような状況下で外山は、東京の最盛期の「だめ連」の活動と出会う。

その素朴かつ「ダサカッコいい」作風に強烈にインスパイアされた外山は、これを福岡に「輸入」することを決意、幾度もの挫折を繰り返しながらの「福岡版だめ連」の試みが、1990年代後半期の外山の活動の主軸となる。

1990年代半ばの首都圏では、だめ連の他にも、フェミニズム運動に屈服しこれに呼応する男性側の運動の側面が強かった従来の「メンズリブ」運動の限界を突破し、「男らしくない」男たちの自己解放運動の側面を強く打ち出した「メンズリブ東京」の運動も盛り上がり始めており、さらに1990年代後半に入ると、「銭湯料金の値上げに反対するとともに、行政による銭湯業者の保護を要求する」という「銭湯的労働者協会」(反管理教育運動時代の外山の「同志」の一人でもある矢部史郎が、山の手緑とともに結成)や、学生会館の建て替えや学費値上げに反対するという従来からのオーソドックスな学生運動のテーマに、従来とはまったく異なる斬新な切り口と作風で取り組む「法政大学の貧乏くささを守る会」などのより先鋭的な運動も登場してくる。

外山の主導による「福岡版だめ連」の試みは、単にだめ連のみでなく、これら外山の注目する首都圏の新しい運動が提示するレトリックや作風をすべて総合した上で、さらにこれまでの外山自身の「既成左翼批判」のモチーフや、現前しつつある「監視社会化」「警察国家化」への抵抗という新しいモチーフをも織り込んだ、ほとんどオリジナルの運動と化し、むしろ「元ネタ」であるはずのそれら首都圏の運動の担い手たちからは異端視されるほどの奇怪なものとなる。

外山は後に、一連の「福岡版だめ連」の試みについて、当時はそのモチーフをうまく言語化できなかったと断りながら、自身が追求していたのは「自警団化する社会から身を守るための自警団」「自警団から身を守るための自警団」だったと振り返っている。

またこの試みの過程で、外山は「前衛芸術家」としての活動もさらに前面に押し出し、相田みつをの文字を切り貼りして無意味な「格言」を“偽造”する悪意のパロディ「ぺりかんだもの」や、「無職青年社社長(無職)」を名乗りその「社歌」として発表した替え歌メドレー「青年は仕事をやめる」など、首都圏や九州のアングラ芸術シーンの一部に絶賛される傑作を次々と手がけている。「前衛芸術党・棄権分子」の「公認候補」として福岡県知事選に「無届立候補」し、棄権を呼びかけるステッカーを福岡市内の電柱などに貼ってまわり、「当選」した現職の麻生渡知事の得票数よりも、棄権した有権者の数の方がずっと多いことを根拠に、「本当に多くの支持を集め、当選したのは私だ」とのロジックで、「新人・外山氏が圧勝」などの文字が躍る「号外」を西鉄福岡駅構内に勝手に貼り出すという1999年4月の「投票率ダウン・キャンペーン」も、この時期の外山の「前衛芸術運動」の一つであると同時に、近年の外山が取り組む特異な選挙運動の先駆的形態でもある。

他にこの1990年代後半期、外山は上記「銭湯的労働者協会」の矢部史郎、山の手緑や、「だめ連」周辺から登場し後に新進の左派論客として注目を浴びる酒井隆史、丸川哲史、さらにやはり古くから「同志」的関係にある元「秋の嵐」の鹿島拾市らを主要メンバーとして、ヒットチャートから社会情勢を読み解くという座談会企画、「ヒット曲研究会」を主宰し、この様子をそのままテープ起こしした『ヒット曲を聴いてみた』を1998年4月、駒草出版から上梓している(さらに付言すれば、1990年代初頭までの、それまで単行本に収録されていなかった論文やエッセイをまとめた『見えない銃』が、1995年12月に出版研から上梓されている)。


マイ・マジェスティ事件
1999年3月、外山は当時交際していた、福岡版だめ連の主要メンバーでもあった女性を、別れ話のもつれから殴打し、これを「女性差別事件」(ドメスティック・バイオレンス)ととらえて、長年にわたり「同志」的な関係にあったはずの上記「銭湯的労働者協会」の矢部史郎と山の手緑らが、外山糾弾・追放の闘争を福岡版だめ連内部に組織するという形でこの「問題」に介入、これを契機として外山と矢部・山の手は「同志」関係を解消、福岡版だめ連の試みも内部の人間関係の崩壊から頓挫した(外山は翌2000年3月、山の手緑をその東京の運動拠点アパートに侵入して殴打するという「報復テロ」事件を引き起こしている)。

この過程で、外山は精神を病んだと自己規定して精神科に通院しはじめ(「悪いのは自分ではなく社会なのだから、自分がクスリを飲んだりしても意味がないと思い」、やがて通院をやめたという)、また殴打した交際相手ともまもなく別れたまではいいものの、身に覚えのない「ストーカー行為」の濡れ衣を着せられて警察に出頭を求められ、濡れ衣であるためにもちろん証拠がなくこの「ストーカー事件」を立件できず、しかし外山への疑惑を払拭できない警察は先の殴打事件について傷害容疑で外山を起訴、元交際相手の女性もこれに協力し、民事でも外山を提訴、地元福岡の既成左翼運動が女性の支援に回るなど、外山はいよいよ身動きのままならない厳しい泥沼的状況に追い込まれていく。

ここに至って外山は、「福岡版だめ連の試みは挫折した」との認識を表明するが、実際にはその真の価値を体現する重要な試みは、ここから始まった。

というのは、政治的な意味での裁判支援はまったく得られないと観念した外山は、裁判闘争を前衛芸術運動として展開するという破天荒な戦術を選択、傍聴を呼びかけるビラをまるで演劇公演のそれであるかにデザインし、主に地元の芸術シーンを対象に情宣、法廷でも「傍聴人を楽しませるための」パフォーマンスを繰り返したのである。当然ながら法廷内外で発表される外山の陳述や文書は、内容面では「反PC(ポリティカル・コレクトネス)」や「既成左翼批判」、そしてDVやストーカーといった「民事」への介入がなし崩し的に進行することによる「警察国家化」への懸念などの問題意識に貫かれ、つまりこの一連の裁判闘争(外山はこれを「マイ・マジェスティ闘争」と命名)において、外山がその福岡版だめ連の試みに込めようとしたすべてのモチーフが統合して表現されたのである。外山を少なくとも心情的に支持する立場からの裁判傍聴者も続々と現れ、裁判闘争にかこつけて外山が開催した大小無数の「交流会」は、ある意味では外山が追求した福岡版だめ連の高揚がここにおいて真に実現したものと言いうる。

等と、長々と自己弁明の駄文を綴っても、女を平気で殴り警察沙汰になるような粗暴な人物であることは、疑いのない事実である。


2000年代

実刑判決
既述した外山の交際相手殴打事件をきっかけとする「泥沼」状況は、1999年から2000年にかけて進行し、外山を被告とする傷害容疑での刑事裁判、およびこれと並行する民事裁判は、実際にはそれぞれ2001年2月と3月に福岡地裁で初公判が開かれ、本格的にスタートする。

外山が法廷で繰り広げたパフォーマンスは、双方の法廷の裁判官らを激怒させ、その結果、刑事裁判では同年8月に懲役10ヶ月の実刑判決が、民事裁判では外山に百万円の賠償命令が言い渡され、通常の意味ではいずれも外山の完全敗訴となる。一審で「思いつくことは全部やり尽くした」外山は、以降は裁判闘争への興味を失い、ルーティンに控訴、上告をおこなった末にこれらの一審判決を確定させる。





獄中生活
結局、外山は2件の判決での計1年半の懲役期間と、名誉毀損容疑で逮捕されてから傷害容疑での判決が確定するまで、および傷害での服役を終えてからまだ続いていた名誉毀損での裁判が終わりその判決が確定するまでの二つの未決勾留期間を合わせ、ほぼ2年間に及ぶ初めての投獄を経験し、2004年5月5日、福岡刑務所を満期で出所した。

この獄中生活のちょうど中間の時期にあたる2003年5月頃、外山は「ファシズムに転向」し、ついに自らを「左翼」の枠内に位置づけることをやめた。1995年のオウム事件以後の社会状況を、日本版の「まったく新しい戦争」(対テロ戦争)であり、以後現在に至るも日本は戦時下にあるとの認識を表明している外山は、「私はつまり、戦時下の思想犯」、「そのような立場に置かれた身にいかにも起こりそうなこと」などと自らの「ファシズム転向」を自嘲的に語りもするが、外山の標榜する「ファシズム」思想の内実については項を改める。

名誉毀損裁判がまだ続いており、外部との交渉に支障をきたしかねない言動を慎まざるをえなかった傷害での服役期間については忍従してこれに応じた外山であるが、もはやいずれにしても外部との連絡が認められない名誉毀損での服役期間である最後の8ヶ月間では、外山はその初日に判決を不当として課せられた一切の刑務作業の拒否を刑務所側に通告、実際、刑務作業には一切手をつけなかった。当然これは刑務所における「懲罰」の対象となり、外山は約1ヶ月間の「軽へい禁」罰を言い渡されるが、そもそも実刑判決そのものが不当なのであり、それを拒否したことへの懲罰も必然的に不当であるとして、懲罰も拒否、つまり朝から夕方まで監視孔に面して座れとの命令も退けて、懲罰の一環として寝具や洗面用具以外の所持品(とくに本や書類、そして筆記用具)を没収されたほとんど何もない独房(新聞の閲覧もラジオの聴取も懲罰期間中は完全に禁止である)で、自由に寝そべるなどの反抗的姿勢を崩さなかった。このためこの8ヶ月間は、そのすべてが「懲罰」と「(次の懲罰の期間を決定するための)取調べ」に当てられた。

「取調べ」に相当する期間以外は本も筆記用具も所持しえないはずであるが、外山は何らかの方法でこれらを隠し持ち、「懲罰」期間中も読書や執筆に励んだという。

外山のサイトに現在途中まで発表されている自伝兼1980年代論である「青いムーブメント」の冒頭二百数十枚ぶんは、この「懲罰」期間中に「隠し持った紙に隠し持ったシャープペンシルの芯で」書かれたものだという。

また同様の方法で書きとめられたものを多く含む、外山の獄中連作短歌「百回休み」は、2005年の角川短歌賞で、応募作624篇中33篇の予選通過作品の一つとなっている。


出所後の活動
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。
出所後の外山は、獄中で構想したファシスト党「我々団」の建設を活動の主軸におきながら、現在に至る。

この間、まず出所したその2004年暮れ、獄中手記や、獄中で獲得した「新思想」の開陳を含む新しい著作『最低ですかーっ! 外山恒一語録』を不知火書房より上梓。

2005年11月には、鹿児島県霧島市議選(隼人選挙区)に「政府転覆」を公約として立候補、大方の予想どおり最下位で落選したが、実際には有効投票の150分の1の得票をしており、これを現在外山が立候補を表明してる東京都知事選について、前回の有権者数と投票率で換算すると約3万票の得票であり、その戦術に比してあながち「惨敗」とも言えない。

また2006年4月には、同じく鹿児島県の桜島でおこなわれたテント演劇「アリババが四十人の盗賊」(劇団あたまごなし第一回公演)に脚本家・役者として参加、現在は戦時下であるとの認識が繰り返し強調され、戦時下においては演劇をはじめあらゆる芸術に存在意味はないとするメタ演劇的なテーマを持つその脚本は、現在外山のサイトで全文公開されている。

2007年東京都知事選挙に「ストリートミュージシャン」名義で供託金を知り合いより借りて立候補したが、当然ながら「落選前提」であり「当選したら私もビビる」と語り、その戦術は鹿児島でのそれをほぼ踏襲し、「九州でともに活動する同志の獲得」を主要な目的としたもので鹿児島市議選挙にも立候補予定であり、「投票日の翌日には九州に帰る」と外山は公言している。政見放送においては、政府転覆を訴え、最期には中指を突き立てるという暴挙に出た。その政見放送がネット上で話題となり、当人も驚いたと話している。


外山の「ファシズム」
外山の掲げる「ファシズム」思想なるものは、一般にイメージされるそれとはずいぶん異なっているが、外山によればその一般的なイメージの方がむしろ戦後、アメリカとソ連という二つの戦勝国の双方が利害一致して流布させた誤解に基づくものであり、外山の掲げるファシズムこそが本来のそれなのだという。ただし外山のファシズムは、ヒトラーのナチズムとは内容を異にする、そもそものオリジナルであるムソリーニのファシズムを下敷きとしたもので、しかもそれにさらに外山なりの改良を加えたものだという。

外山は自身の「ファシズム」について、「極左思想経由の極右思想」、「民主主義勢力と国家権力とが強力に結びつき、いよいよ自由が死の瀬戸際にまで追い詰められた時に、劇的な逆転を企図する自由主義者のアクロバットであり、怒りの爆発」、「ある立場Xが、左翼と連帯関係にある時にはアナキズムと呼ばれ、右翼と連帯関係にある時にはファシズムと呼ばれる」、「左翼と国家権力とを同時に敵とみなし、右翼と連帯してこれに対峙するという立場」などとさまざまのレトリックで説明しようとするが、現状ではそのエッセンスが表明されるにとどまり、全貌については外山の今後の活動の展開を待つしかなさそうである。


外山の「異色」さについての考察
外山の9冊の著作(文末参照)は、同時代の反体制の立場にたった刊行物と比較すると、その独自性が印象深い。この背景には外山が行った運動の独自性が関係しているように思われる。 全共闘運動の敗北以降も、現在に至るまで、大学における学生運動(新左翼セクトによるもの、無党派によるものいずれも)はひらすら縮小再生産を繰り返しながらも存続している。 ただそれらの世代交代は、先輩による後輩のリクルーティングが大きな要素を占める。 大学以外を舞台とした社会運動も、運動未経験者を中心で成立しているものは少ない。 勿論外山も新左翼文化圏の空気を吸っていたわけだが、彼の運動圏には、同年代の同志は大勢いても、先輩が存在しなかった。(唯一、秋好悌一を師と仰いでいたが、外山とは同一の運動を展開したことはない) 外山は「先輩の指導」があれば簡単に避けられる、「失敗する事が容易に想像できる愚行」を、これでもかこれでもかと度重ねている。 頭で「行動の説得力の強弱」を理解するのと、身をもって「行動の説得力の強弱」を理解するのでは、後者のほうが「行動の説得力」についての骨身に染みた知見を得る事ができる。(これを否定的に見れば、「いつまでもお山の大将をやっている」と切り捨てることも可能であろう) 外山の半生は「独りよがりの正当化」の歴史の印象を受けるやもしれないが、彼の主観的立場に立てば、自分の行動(結果的に説得力を持てなかったことを含め)を「自己否定」的に検証し続けた結果=最終的にファシズムに至ったと理解することもできる。 同時に徹頭徹尾、「自前の」「手作り」の思想であることが、(その正誤は別として)社会常識から大きくかけ離れた主義を主張をする上で、外山の自信となっていることは想像に難くない。

posted by tuto at 17:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

  

「童貞すら守れない奴に〜」に対するうまい返し方
<< マークパンサー謝罪してるじゃんwwwwww <<
>> アメリカン2次ポルノww >>


1 モデル(USA) 2007/03/22(木) 09:19:37.98 ID:epZngWwA0
たまに見る
童貞すら守れない奴に何を守れるというのか
というレスにうまく反論したいんです



16 新聞配達(東京都) 2007/03/22(木) 09:22:18.66 ID:quPrlnPh0
女にすら股開いてもらえないで
未来が開けるとでも


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37 ふぐ調理師(新潟・東北) 2007/03/22(木) 09:25:56.34 ID:wENBWXNaO
>>16が秀逸



41 美容師見習い(関東) 2007/03/22(木) 09:27:28.54 ID:OckoVnH1O
>>16
うまいな



4 付き人(山梨県) 2007/03/22(木) 09:20:45.58 ID:Bgqu/QL50
出撃すら出来ぬ兵に何の価値があるのか



6 モデル(USA) 2007/03/22(木) 09:21:20.53 ID:epZngWwA0
>>4
いいねいいね



5 ボーカル(宮城県) 2007/03/22(木) 09:21:14.95 ID:Wpn65sVe0
僻むなよ童貞



7 料理評論家(神奈川県) 2007/03/22(木) 09:21:30.80 ID:rmEWD6Ej0
日本守れるだろ…富国強兵的に考えて…



8 割れ厨(埼玉県) 2007/03/22(木) 09:21:38.30 ID:f5eqCMWl0
童貞しか守れない奴が何を言う。



17 電力会社勤務(九州・沖縄) 2007/03/22(木) 09:22:19.81 ID:YkNrLK0cO ?2BP(1072)
>>8
何も守れないやつに言われたくないわ



9 私立探偵(滋賀県) 2007/03/22(木) 09:21:43.85 ID:meeprFBm0
童貞すら捨てられない奴に何を捨てられるというのか





19 DQN(北海道) 2007/03/22(木) 09:22:25.01 ID:fxcxPvwE0
>>9
人生捨てれる





10 鉱夫(千葉県) 2007/03/22(木) 09:21:49.78 ID:rEvl5Sn/0
童貞乙wwwwwwwwwwwwでいいじゃん



11 新聞配達(東海) 2007/03/22(木) 09:21:51.45 ID:ZylQx945O
攻撃は最大の防御





13 留学生(東京都) 2007/03/22(木) 09:22:02.74 ID:7ghjFShF0
彼女守ってますが何か?





18 女子高生(愛知県) 2007/03/22(木) 09:22:22.52 ID:eUU9PvJX0
だまれ童貞



21 組立工(福岡県) 2007/03/22(木) 09:22:45.65 ID:zeca1sbS0
少子化だからしょうがないじゃん、でおk



22 プレアイドル(岡山県) 2007/03/22(木) 09:22:50.72 ID:odrGcBcW0
法律かな・・・



25 サンダーソン(宮城県) 2007/03/22(木) 09:23:19.40 ID:lZS/VqiG0
使わぬ刀は錆びていくだけよ



27 書記(愛知県) 2007/03/22(木) 09:23:50.48 ID:0mgonlbR0
男は童貞を捨てて初めて一人前になるんだよ



28 造園業(関西・北陸) 2007/03/22(木) 09:23:58.77 ID:9TPbCX5JO
愛を守ることができる



30 狩人(大阪府) 2007/03/22(木) 09:24:02.40 ID:h4hRsHZY0
守ってるんじゃなくて誰も攻めてこないんだろ?



31 小学生(関東・甲信越) 2007/03/22(木) 09:24:22.30 ID:VRfzNGksO
ああ、俺は童貞は守れなかった………
でも……彼女って言う守らなくちゃいけないものが出来たんだ!



32 DJ(中国・四国) 2007/03/22(木) 09:24:33.47 ID:Cglmk5fYO
君は若いな
いつかは君にもわかる時がくるだろう





36 美容師見習い(新潟・東北) 2007/03/22(木) 09:25:38.24 ID:t5LJfjk1O
それを捨ててでも愛したい人がいたんだよ





38 少年法により名無し(長野県) 2007/03/22(木) 09:26:06.85 ID:ckWVkRqV0
俺からでもその童貞を守れるかな



40 野球選手(福井県) 2007/03/22(木) 09:27:10.15 ID:xEp0CMWi0
そんな事言いながら虹相手だとあっさり童貞棄てるんだろ



48 不動産鑑定士(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:29:17.21 ID:hcIsrFSVO
失ったから強くなれたんだ



55 三銃士(新潟・東北) 2007/03/22(木) 09:31:14.82 ID:47J8A4eYO
いやただ単純に君モテないだけだろ?って言われたら正論過ぎて非常に辛い



62 ふぐ調理師(新潟・東北) 2007/03/22(木) 09:33:08.75 ID:wENBWXNaO
>>55
確かにwwww



64 モデル(USA) 2007/03/22(木) 09:33:17.95 ID:epZngWwA0
実際には攻め込まれてもいないのに「守っている」と表現する欺瞞性を
指摘することがキーになると思います



65 狩人(大阪府) 2007/03/22(木) 09:33:19.62 ID:h4hRsHZY0
激しく同意(自分も童貞)



68 AV監督(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:34:25.81 ID:UBsheaKIO
守れなかったんじゃない。必要がないから捨てただけだ。





72 相場師(東海) 2007/03/22(木) 09:35:39.53 ID:j04Nuv2rO
自分を守ることで精一杯の人間が
他人を守れようか





73 新聞配達(東京都) 2007/03/22(木) 09:35:51.62 ID:quPrlnPh0
童貞よりも、好きな女を一人、守りたかったんだ



75 サンダーソン(宮城県) 2007/03/22(木) 09:36:33.50 ID:lZS/VqiG0
ところでマンコの中って気持ちいいよな。
「○○君だいすきぃ」って言いながらしがみついてくる彼女萌え。



77 牛(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:37:26.03 ID:xhaiajXvO
このスレに惚れた



82 コレクター(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:39:24.97 ID:/Lh97vYVO
童貞・・・「すら」だと?
おまえにとって童貞とはそんなものか
おれにとっての童貞はそんな軽いものじゃなかった
その童貞を失う悲しみがもとでニートになってしまうほど・・・な



83 保母(関東・甲信越) 2007/03/22(木) 09:39:26.73 ID:gxATHQBiO
てめぇの先祖はなぁ・・・もう何百代にも渡って非童貞を守り続けてんだ・・・
その伝統と誇りを汚すような真似はするな・・・



85 トリマー(九州) 2007/03/22(木) 09:39:28.24 ID:HkCPJWysO
大切な人を守るためならどんな物を失ってもいい…それが例え童貞でも



90 サンダーソン(宮城県) 2007/03/22(木) 09:40:12.24 ID:lZS/VqiG0
童貞とか、皆ネタで書いてるだけだよね?



93 乳母(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:41:35.37 ID://6+5yL2O
ではお前は童貞以外に何を守った?



99 保母(四国) 2007/03/22(木) 09:43:18.32 ID:HZUwiQPkO
童貞を捨てるという試練を乗り越えてこそ本物の男になれるのだよ



106 ダンサー(埼玉県) 2007/03/22(木) 09:46:41.46 ID:bHLU+CTy0
いつまでも皮にこもってちゃ前には進めない





109 留学生(岡山県) 2007/03/22(木) 09:47:44.53 ID:Z9ER3xmI0
チンポがついてる意味を知ってるか?
マンコに入れて精子を出すためだぞ





112 パート(熊本県) 2007/03/22(木) 09:48:36.09 ID:YLB9/W0Z0
口喧嘩くらい童貞に勝たせてやればいいのに・・・



141 電力会社勤務(東海) 2007/03/22(木) 09:57:46.57 ID:dDwRqBE2O
守りに入った男ほど、悲しいものはない



142 事情通(コネチカット州) 2007/03/22(木) 09:57:48.52 ID:xttCfQkSO
童貞を
捨ててわかった
虹の良さ



144 ほっちゃん(大阪府) 2007/03/22(木) 09:59:17.10 ID:K/orK7QW0
守る童貞もあれば、捨てる童貞もある。失うことで進む道もあるんだ。





150 留学生(四国) 2007/03/22(木) 10:03:54.92 ID:oL51dtX9O
童貞守ってどーすんだよ
まず、仕事しろ

posted by tuto at 19:38| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

24時間いじめSTYLE

http://www.cannabis-studyhouse.com/32_harm_reduction/14_cannabis_quality_risk/cannabis_quality_risk.html


ガビョウで刺してガラスコップ被せられるようにしといて、
点火したら被せてスライドさせて間からクイッ〜〜ト。
ボングやタバコに混ぜたりでもいけるけどね。
posted by tuto at 18:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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